DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: May 2004 (page 2 of 3)

春の宵風

 こうやって窓を開け放って寝転んでいると、色んな音が聞こえてくる。電車が通り過ぎる音。近くに駅が在るので朝5時から夜中の1時近くまでひっきりなしに聞こえてくる。この部屋へ越して来て一年目はそれが気になって目が覚めたりしたが、二年目にはもう慣れていた。地元の駅は気に入ってる。地上にホームが二つと線路が4本在る。ホームから改札へは、階段を上り駅舎へ続く通路を渡る。改札も二階だ。出口へは階段を降りる。地味で懐かしい造りだ。階段を降りれば直ぐにパチンコ屋と煙草屋が在る。或る意味王道である。数年前にコージーコーナーも出来た。中華定食屋はその次の年に改装し5階建てのビルになった。踏切と交差する道を渡ると交番が在り、その隣には不二家が在る。去年、バスキン・ロビンスが併設された。下町にも、少しずつではあるがそれなりに変化は有る。

 ベランダから身を乗り出し直ぐ下を通る道を見下ろす。高校生くらいの男女が自転車に二人乗りで、大きな声で会話しながら走り過ぎて行った。爺が孫をなだめつつ歩いて行く。階下の鉄板焼き屋には今夜も客が良く入っているようだ。時々女性達の嬌声が聞こえてくる。向かいの家に二階の部屋の照明が夕方見た時には切れかかっていて点滅したいたが、その後取り替えたのか今は窓を白々と照らしている。昨夜からチェ・ジウのあの右の頬だけで笑う表情が度々思い出されて、気になって仕方がない。今夜放映されるから観てみようか。男達が大声で何やら話している。次の店に移る相談でもしているのだろうか。

 春の宵は柔らかく凪ぎ、やがて訪れるであろう初夏の匂いを孕んでいる。煙草の煙は暫くの間彷徨った後に、窓の外へと吸い込まれて行く。

School Girl Distortional Addict / Number Girl

 Zazen Boys の流れでコレ。もう随分と昔から聴いてるような気がしていましたが、まだ5年しか経ってないのね。暫く前までこういう系統の音が全然受けつけなくて、Bossa とか 大人しめの R&B しか聴けませんでしたが、今現在は(正確に言うと先週から)こんなんばっかしです。緻密で繊細な音より、荒々しく大仰な音。絶叫上等音量アップ。
 Amazon のおすすめ評価には「ニルヴァナ+ソニックユース+ピクシーズ+アルコール=ナンバーガール 」とあります。あら、僕はピクシーズは聴いた事ないや。思いついた単語を並べてたらますます訳が分からなくなってしまったような曲のタイトルや、くどいくらいに屈折した青春像を映し出す歌詞が好きです。向井氏が大した大酒のみであるのは周知の事実らしいですが(関係ありませんが)、8曲目の ” 透明少女 ” が最高ですわ。涙千切れるほどに。

先送りの未来

 今日はロスト・イン・トランスレーションについて他の人達がどんな事書いているのか検索して回っていました。人ぞれぞれ、気に入った気に入らないビル・マーレイがどうのこうの HIROMIX がどうのこうの藤原ヒロシがどうのこうの並んで観るほどではないレンタルで十分などなど・・・僕を含め観て「感じた」個人的な都合を羅列しているだけである。別にそれで悪いという訳ではないが、5エントリも読めばもうお腹一杯。そんな中ちょいと印象に残るエントリが一つ在りました。灯台もと暗し、自分んとこにリンクしてる Sekiya 氏のエントリ(一部ネタバレ)にこういう記述が。

 普通に『東京は人が住むところじゃない』とかいう台詞が出るように、普段こんな状態、街としておかしいなと思いながらも日常は進んでいて、とりあえずそういう疑問はまた明日!って先延ばしになっていく。そういう日常と、非日常のピュアな出会い、ときめきというスパイス。でも若い頃ってそういうことが日常だったよな、と振り返ってもキスどまり。そして先送りの日常に戻っていく。その舞台となった先送りしながら歪んでいく東京はもはや、しょうがないのかもしれない。

 先送りの日常、という言葉が腹にズンと来ます。選択する事を放棄した惰性の日常。何も選択しないという事は、取り敢えずは何も失わないという誤魔化し。未だ日常の域に達していない非日常的な選択肢は、それを失っても最小限の痛手で済む。現実ではなく、数ある可能性の中のたった一つを消去したに過ぎないから。やがてそれは白く靄がかったカーテンの向こう側へ仕舞い込まれ、甘い唾液を提供する思い出となる。痛みと伴う現実として引き込むより、自ら手放した可能性として振り返る方を選び取るという術。失わず、何も手に入れられないという法則。Sekiya 氏は東京という街を指して書いていますが、それはあらゆる側面に蔓延しているように思えます。少なくとも僕の日常には。くるりの ” ワンダーフォーゲル ” という曲の歌詞にこう在ります。

ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく

 痛みもなく、喜びもなく、ただ繰り返していく日常。やがて無に帰すまでの長い道のり。私の手のひらには砂粒一つ残らない。

Zazen Boys / Zazen Boys

 兼ねてから彼方此方で「良い」と聞いていたので買ってみた。・・・良い。妙に良い。Amazon のおすすめ評価には「向井秀徳エレクトリック狂乱節」とか書いてありますが、まさにそんな感じ。Number Girl の時の Television とか 初期のTalking Heads とかに通じる音質はそのままで、言ってみればそれに落語が混じった感じ。変な例えですが。ナンバガのゴリゴリにブリティッシュなヤツも大好きですが、これも好き。最初聴いた時は「ふ〜ん」という感じでしたが、後から何故か聴き返したくなる。妙なバンドです。つうか感じ感じってうるせえな俺。

Lost in translation / Sophia Coppola

 観て来ました。上映館がシネマライズだったので若いヤツらが多そうで嫌だなあ、とか思って少し迷っていたのですが、部屋に籠もっているのも嫌だったので結局出かけて来ました。
 主演のビル・マーレイが可笑しくて仕方がない。映画館であれほど笑ったのは久しぶりです。” Lost in Transration ” というタイトルにコッポラ監督がどれほどの意味を込めたのかは解りませんが、案外そこら辺にありそうです。変わって主演女優のスカーレット・ヨハンソン。・・・好みです。系統で言えばソフィー・マルソーとかイザベル・アジャーニとかですか。その昔「アンニュイ」とかいう言葉が流行っていた時期がありましたが、そんな感じ。

 因みにストーリーは・・・個人的にはどうでも良いです。アカデミーでオリジナル脚本賞とか取ってますが、どうでも良い感じ。どういう映画なのか簡単に述べようとすれば、HIROMIX の写真を映像化したような映画、ですかね。彼女の写真が作り出す雰囲気が好きな人にはお薦め。というか本人出演してるし、雑誌でのインタビューでコッポラ監督の発言の中に度々登場するし、少なくともコッポラ監督は HIROMIX の写真が好きなようです。ま、でもここら辺は情報不足。他にも気になる事があるので色々調べてみよう。

 ところで・・・検索してて気付いたのですが、HIROMIX と名乗る人(男女とも)が数人いるみたいなのですけど、一体何なんだろコイツラ。

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