DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: July 2004 (page 2 of 3)

Summertime Very Bad Blues

 不確実性に期待を寄せながら日々を過ごすというのは、精神衛生上非常に良くない・・・気がする。目前の事柄に集中するべきなのだろうか。いや、多分そうだと思うんだけど、それだと今の僕には仕事だけという事になり兼ねない。寂しい気もするが、妥当な気もする。いくら待ってもいつまで経っても何も起きない、とはよくある話である。この暑さだ。ロクでもない事をしでかす可能性も十分にある。たぶん僕が。こんな感じで一夏を過ごす事が予想されるのは決して珍しい事ではない。夏に生まれはしたが、夏に成就する事はないのである。

My Shawl / Xavier Cugat & His Orchestra

 たぶん僕が上京してすぐの頃でしょうか。キューバン・ミュージックなる音楽を聴いてみようかなと思いCD 屋で物色してみましたが、全く持って何も知らないので選びようがない。こんな時は大概ジャケットで選んでしまうのが常な僕。しかしこの時はバンド名で選びました。ザヴィア・クガート。何というイカシた響きでしょう。こんな格好良い名前の人が作る音楽はやはり格好良いに違いない。そう思い込んで買う事にしました。基本的にはラテンの名曲のカヴァーアルバムなのですが、結果・・・当たりでした。全部が良い事はありません。半分くらいです。や、個人的には。この CD で僕は生まれて初めてブラス・アンサンブル(というのかどうかは)に打ちのめされました。 ” Sway ” とか ” Miami Beach Rhumba ” とかもう最高。因みに、村上龍の ” トパーズ ” にちょっとだけ使われていて、王家衛の ” 欲望の翼 ” に全面的に使われています。

Ascenseur Pour L’Echafaud / Miles Davis

 階下の店では、今夜は確かジャズ(風)・バンドが演奏しているハズなわけ。でもそれにしては ” 涙そうそう “とか演っちゃってるし、挙げ句の果てには ” 色彩のブルース “とか演っちゃったりしてるわけ。でも個人的には中納良恵嬢以外の声では聴きたくないので、とっとこ出かける事にしたわけ。サンダル履きで自転車すいすい漕いで。無駄にキャップ被って。もう、なんていうかスパルタな父親の元から逃げ出したベートーベンな気分なわけ。だからと言って2時間も3時間も自転車に乗ってられるハズもないわけ。今日は身体の調子もあまり良くないし。んで、適当な居酒屋に入って呑んだりするわけ。独りで。焼酎を。考えてみれば一昨日から三連チャン。一昨日も昨日も上司と呑んでた。そんな事やってりゃ体調が良いハズないってミミズでも解る論理なわけ。ふう。で。今コレ聴いてます。” 死刑台のエレベーター ” のサントラ。映画は観た事ない。コレ聴いてると頭の中がシーンとしちゃって気持ち良い。夜が薄れ、カラスがようやく目を覚ます午前4時。そんな感じの日曜日。

夜の影法師

 陽が落ちて随分経った頃に、会社の屋上で煙草を吸いながら眼下の通りを眺めていました。昼間とは違い、光は頭上からではなく足元から、全てに公平で透明な光ではなく、微弱な、それでいて欲を孕んだ色とりどりの光が僕の顔を照らします。仕事を終えた人々が三々五々それぞれのテンポで歩き過ぎるのが見えます。彼等一人一人が手の平に光を持ち帰り、やがて此処は街灯の除けば闇に沈むでしょう。
 仕事にしても私的な事柄にしても、同時に幾つもの要素が流れうねるので、僕は少々呆れてきました。何にって、今の状況に呆れている訳です。よくもまあ、ここまで入り組んだもつれ方をするものだと関心してしまうくらいです。それでもどうにかしなければ前には一歩も進ませてはくれないので、一つ一つ丁寧に解いていかなければならない。それは非常に面倒な作業で、それだけで一日が終わってしまいそうな勢いです。中には解こうにも手が届かない案件もあったりして、そうならいっその事無視していたいのですが、性格上気になってしまうのでそれも出来ません。しかも、しかもこういう時に限ってやたらと他の事に首を突っ込みたがる私の性格はどうにかならないものか、と。或る種の逃避でしょうか。自分で自分が解らない。

最後の息子 / 吉田 修一

 三つの短編からなる本。今回は文庫のジャケットで。・・・表題の ” 最後の息子 ” の主人公は自分の卑しさを清々しいほどに受け入れていて、心地良ささえ感じる。私からすれば羨ましいとも思う。かと言って決して天動説的でハタ迷惑な精神の持ち主な訳ではなく、きっちりと、冷静に、他人に自分が与える影響を計っている。言わば確信犯的な人生ゲームといったところか。自分は誰かを利用しているし、その誰かも自分を利用している。例えそれが生活上の僅かな機微であっても、それで関係のバランスは取れているし、それ以上に何かを望むべくもない。独りではない暮らしというものは、得てしてそういう事の繰り返しであるのかも知れない。

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