DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: March 2009 (page 2 of 2)

緒川たまき結婚報道がもたらすもの

 休日の朝遅くに目を覚ました僕は、カーテンを開け、晴れ渡る青空に目を細めた後、パワーブックを起動させる。そしてブラウザを開いた僕の目に飛び込んできたのは緒川たまきとケラリーノ・サンドロヴィッチの結婚報道。僕は声も無く嘆いた。それは複雑に過ぎる混じり合った感情の押し出された形なのかも知れない。きっと色々な人達が色々な事を書いてるだろうとグーグルのブログ検索で探ってみると「たまきちゃん結婚おめでとう!」とか「ケラリーノ・サンドロビッチって誰?ヘンな名前w」みたいな記事ばかりで、余りにもツマラナイので早々に読むのを止めた。そんな中、僕の巡回先に一人だけこの件について記事を書いている人が居て、それが秀逸で面白かった。

緒川たまき結婚で試される童貞力 / Webdog

 特にこの辺りの行が大好きである。

 結婚を報じるあらゆるニュース記事を読みながら僕はなにかを掴もうと必死になった。なんだかよく分からないけど眠っていた童貞力がめきめきと伸び始めた。伸び続けて止まらない。第一報を目にしてから30分、もはや僕はすっかり童貞だ。

 ああ、こんな風に思う事あるよなあ。上の記事にも在るように、原田知世が結婚した時とか森口瑤子が結婚した時とか本上まなみが結婚した時とか麻生久美子が結婚した時とかに僕はそんな感じだった。僅か数ミクロンの微かな希望でさえも手繰り寄せて縋りたくなるような心許ない気持ちというか、「切ない」という曖昧な表現の中にはこういう「憧れの対象への手の届かなさ」が多分に含まれているような気がする。「手が届かない」からこそ「憧れ」であり、「憧れ」ているからこそ心も下半身もねじ切るようにして見つめてしまうのだろう。「憧れ」るにはその対象となる人に関する情報量の少なさが必須であるように思う。メディアへの露出が比較的多く、巷でプライベートを報道されまくっているようなアイドルにはどうやっても「憧れ」る事が出来ない。

 それにしてもケラめ、おめでとうなんて絶対に言わないぞ。

 先日観た緒川たまきの神々しくさえある姿が、昼間の光に晒され、朧気に消えていく・・・。

雑感〜春に向けて

 以下箇条書きにて。

  • 今更ながら絶対領域という言葉の存在を知る。女性の太腿の柔らかさ・いやらしさを最大限に引き出す的確なコスチューム及び定義である。定義された黄金律がどれほどの緻密さを持っているのか試したくなる。
  • ようやく、というかとうとう母に対して女性特有の面倒臭さを感じるようになってきた。本当に面倒臭い。寧ろ腹が立つ。
  • 花粉症は本当に辛く、なーんにもする気が起きない。
  • 金曜日の帰宅時に、電車の中で制服を着ていて中国語を話す少年達三人と隣り合わせる。それほど混んではおらず、穏やかな雰囲気の車内で彼らの話し声は高らかであった。その内の一人。僕の隣に座る少年が鼻歌を歌い始める。何の歌なのかはまるで判らなかったが、悪くない、そう思った。
  • 最近、近所のディスカウント酒屋に新しいバイトの少年が入った。凄く若く見えるが高校生だろうか。背が小さく、丸坊主で、顔立ちが幼い。言い換えれば非常に「丁稚」っぽい。彼を見ていると楽しくなってくるのだが、余りじろじろ見ていると少年愛好者だと思われ兼ねないので自重している。
  • 美形の歯科衛生士がこのところ妙に優しいのでむず痒い。つい無駄口を叩いてしまう。
  • ありふれた奇跡の第七話のラスト。川縁の土手に寝転ぶ加瀬亮の姿の切なさと美しさに溜め息が出る。断っておくが僕はヘテロセクシャルである。
  • ぐるりのこと。の劇中、尼住職の一言。「絵を描くのも技術なら、生きるのも技術なのよ」まさにその通り。
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