DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: October 2012 (page 3 of 4)

詠句

うすら寒襟を合わせて下をむく

ゆっくりと歩く

 朝、駅へと向かう道すがら、時折見かける女子高校生が居る。だいたいは僕の少し前を彼女が歩いており、僕が途中で追い越す。つまり彼女は僕よりもずっと歩調が緩やかである訳だ。いや、僕というより、誰よりも緩やかに歩いている。学校指定のボストン型のバッグを背負い、もう一つ別なバッグを肩に掛けている。いつもイヤフォンで何かを聴いており、時々スマートフォンをバッグから取り出しては画面をスクロールしている。こう言ってはなんだが、何の変哲もない高校生に見える。しかし彼女の歩き方だけが誰とも違っている。同じような学生であれ、勤め人であれ、駅へと向かう人達は皆わりと早足で(こう書くと何だか80年代ポップスの歌詞のようだ)次々に彼女を追い抜いていく。彼女だけが超然と別な時間軸で生きているような印象を受ける。

 何故彼女はそんなにもゆっくりと歩いているのだろうか。

 自分の事を振り返ってみれば、回りに人が多いだけならそれほど気にならないが、人混みの中を歩くのは好きではない。しかしこれは、長年東京に住んでいるせいか感覚が年々鈍磨してきて、昔ほどには気にしなくなった。昔はとにかく早く人混みを抜けたくて早歩きをしていた。そんな事をやっていると、そのうちにその事自体が少し楽しくなってきて、道行く大勢の人々を障害物と見立てて、バイクがスラロームでパイロンを擦り抜けるようにして歩いていた。それはそれで面白かった。
 そんな事を繰り返しながら歳を取り、徐々にではあるが疲弊してくると、いつの間にか歩く人が少ない道を選んで歩くようになり、目的地へ到達するには避けて通れない場合は、息を潜めるように我慢しながら歩くようになった。そういう時はやはり早歩きである。そしてその習慣が影響しているのであろう、目的地が在る場合には割としゃんしゃん歩いている。何もそれは特別な事ではなく、おおよその人達は同じような感覚でいるのではないかと思っている。

 そして、朝見かける女子高校生の話に戻る。僕が思うに、勤め人が休日の散歩を慈しむように、平日の毎朝、駅までの道のりを楽しんでいるのではないだろうか。好きな音楽(ではないかも知れないけど)を聴きながら、学校に着くまでの時間をめいっぱい楽しもうとしているのではないだろうか。そういう事ならば僕にも解るような気がする。例えば、仕事が困窮しいて、どうにも出社したくない状況であったりすると、会社に着くまでの道程をなるだけ長く楽しもうと、文章に集中したり音楽で気持ちを和らげたりしている。
 そういうものだろうと思う。学校生活なんて、仲の良い級友と喋るか、好きな部活動に勤しむ以外には楽しい事など何一つない。学校の勉強が好きな人も居るかも知れないが、僕にはそれはよく解らない。彼女がいったいどういう毎日を送っているのかは勿論判らないが、学校生活をどうにかやり過ごす為の、彼女なりの知恵であるのかも知れない。

 ★

 一昨日の話だけど、彼女の背中を眺めながらふと思い付いて、同じようにゆっくりと歩いてみたくなった。彼女との距離を詰めてしまわないように、いつもよりも緩慢に脚を動かして歩いてみた。僕の主観で言うなら「必要以上にゆっくり」と。
 すぐに気持ちに変化が見られた。気分が良いのである。歩く速度はそんなに変わらないはずなのに、景色の見え方が随分と違う。目にするもの自体はいつもと変わらないが、線路脇の鉢植えや、沿道に建つ低いビルの屋上に並んで羽を休めている鳩だとかが、いつも以上に僕の目に迫ってくる。平素では流して見ているこれらの事象が、これほどまでに存在感を持っているものだとは思わなかった。いや、忘れていただけなのかも知れない。しかし、この現世がこのような重量感をもって認められるというのは、僕の世界観に於いて新しい発見であるように感じる。

 暫くの間、この習慣を意識的に続けてみようと思っている。

詠句

秋冷えの朝に毛布を手繰り寄せ

冷ややかな枕を頬に二度寝する

詠句

庭に降り夕陽眺めつ障子洗ふ

詠句

つま先に秋の七草分け入りて

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