さて、この季節、一時期に二つのベクトルが働きがちです。別離と融合。決別と受容。上昇と下降。前進と後退。温暖化と寒冷化。つまりは逆方向の二つの力が人々を惑わすのです。これは何故でしょうか。4月開始の年度末制のせいでしょうか。それとも人間の身体に及ぼす気候の影響のせいでしょうか。考えてもよく判りませんが、兎に角、この季節は不安定を常とした時期であるようです。

 ところで、上で「一時期」という風に書きましたが、稀にですが、これが「一瞬間」というか「同時に」に働く場合が在ります。ま、その場合は何も気候がどうとか、そういう理由でそうなる訳ではなく、会話の中で突然行われます。
 その唇から放たれる言葉は、僕の想像を絶し、一瞬のうちに混乱を呼び起こし、そうなれば僕はただ呆然とするだけで為す術も在りません。在るとすれば、図らずも間の抜けた相づちを打ってしまい、後になって後悔するくらいのものです。
 此処まで書いて気付いたのですが、前フリの話とは似ているようで全然関係の無い話になっていますね。でもせっかくですから、このまま続けましょう。
 こういう類の言葉(事実)を投げかけられた場合、僕は昔っから自分の感情の赴くままに(無理矢理)話を自分に引き寄せようとする事が多いのですが(それはいくら考えたって何も答えが出ないから)、それらは一様に失敗を招いてしまうので、今回は黙りました。というのは嘘で、何も思いつかなかったから黙っていただけです。それでどうなるかなんて、もう考える余裕すらなかったのです。

 そうそう。今日という日を考えれば、全てが壮大な嘘であるのかも知れないと思わなくもないのですが、確かめる気力も無いし、恐らく気分としては、どちらにしてもそう大差ないのだろうと思い諦めています。何を諦めているのかって、この流れに逆らい覆す事をです。この二週間というもの、諸事情を含め色々な事が有り過ぎます。恐らくこれで終わりではないのだろうし、今後に備えてひたすらに休息する事が先決です。何がどう動いているのかさっぱり解らないのですから、それ意外に賢明な行動を思いつけません。

 JR山手線の沿線を取り囲む桜の木々は、切り立った土手の上に根を下ろしているせいか、陽の光を求め、枝を足元に下ろしています。その様は、溢れ出づる幸福の重さに耐えかねて、頽れる賢者のようにも見えます。