ホームから1キロも歩いただろうか、疲労も激しく、下半身に力が入らなくなってきた。俺は人家の植栽の縁石に腰掛けた。杖を支えにしてうな垂れる。目を閉じると、泣きたいような気分になった。こんな気分になるのは一体何度目だろう。いつもではないが、散歩に出て今日みたいに自分の身体の衰えを痛感するとそうなる。俺だけじゃない。きっと年寄りはみんなそうなんだろう。重苦しくざわつくような疲労感が消え去ってくれるまで、俺はそのままじっと堪えていた。

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 現在俺は、住宅型の老人ホームで暮らしている。76歳だ。定年になるまでアルミサッシを造る工場で勤め上げて貯金は在ったし、住んでいた家屋や土地も売り払った。それでも足りなくなったら援助すると二人の息子も言っている。なので俺は、死ぬまで此処でぼんやり過ごしていれば良いわけだ。田舎だし、月々の賃料はそんなに高くない。食事代と光熱費も込みだ。もし必要なら併設された施設でデイサービスの看護を受けられるし、個人的にヘルパーを頼む事も出来る。それは別料金だが、今の俺には必要無い。
 住宅型と言え、マンションのようなものではなく、ホテルみたいなもんだ。一階の玄関を入り受付を過ぎると、大きな食堂兼レクリエーション室が在り、テーブルの他にソファやテレビなんかも置いてある。そこからエレベーターに乗って、上階の個室が列ぶフロアに行く。部屋にはベッドと机、それとは別に小さなテーブル、洗面台に浴室が在る。台所は無い。つまりは入居者に火を扱わせないという配慮なんだろうと思う。俺がこの施設に入った理由もその辺りにある。

 65歳で定年を迎えた俺は、息子達がとうに居なくなった家で、妻と二人、悠々自適に暮らし始めた。働くばかりで特に趣味を持たなかったが、妻と連れだって美味いものを食べに行ったり、散歩したり、庭弄りを初めてみたり、夕方になれば野球や相撲をテレビで観戦したりして過ごした。俺には充分過ぎる毎日だった。
 ところがそれから5年後、妻が脳卒中で倒れた。そして再び目覚めることなく、そのまま死んでしまった。あっけなかった。障害を残したまま生き延びて苦労するよりマシだという考えもあるだろうが、俺は妻に生きていて欲しかった。妻の介護でどんなに苦労しようとも、共に暮らしていたかった。妻が居なくなってしまえば、俺には生き続ける理由が無くなってしまうからだ。老いていく恐ろしさも、妻と一緒なら大丈夫だと思っていた。それが或る日突然、すべてがナシになった。妻を失った悲しみと、人生の終わり近くでいきなり放り出されたという不安が入り交じって、もはや何も考えられなくなった。
 葬儀やら何やら諸々のことが終わった後、暫くの間俺は殆ど家の外に出ず、ただ時間が過ぎるのを眺めていた。それでも日に一度はコンビニへ買い物に行っていた。朝起きて、昨夜の残り物食べ、昼には買い置きの弁当を食べ、排泄し、風呂に浸かり、夜にはまた買い置きの弁当を食べた。時間の空白を埋める為にテレビはずっと点けていた。起きている事に苦痛を感じ、布団の中に身を横たえて寝る前に妻との思い出を反芻し、消え入るような気分で眠った。
 そんな状態だったから、当然俺の生活は荒れた。掃除はしないし、洗濯なんかもずるずると引き延ばして、どうしようもなくなってから何枚か手荒いで済ませたり、コンビニで買い足してその場を凌いだ。そうこうしている内に、あっという間にごみ屋敷のようになった。その間まったく連絡しないでいたので、さすがに心配した長男が様子を見に来て、その様子に驚き、俺を施設に預ける事を提案してきた。俺は気付いていなかったが、コンロの周りに包み紙が散乱していて、それが焼けていたそうだ。俺は息子から大きな声で怒鳴られながら、それでも俯いているしかなかった。
 そして俺は、70を迎えた年に施設へ入った。息子達はそれぞれ立派に暮らしているが、俺を迎え入れるのは迷惑だろうし、俺も自分のどうしようもない姿を彼らに見せるのは嫌だった。ただ静かに、生きていたかった。

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 当時の荒れた生活のせいか、俺は体力や筋力をかなり失っていた。歩けるのは歩けるのだが、すぐに疲れてしまって座り込んでしまう。働いていた頃の自分が夢のようだ。入所してすぐにケアマネージャーと相談を重ねた。奥様を亡くされた精神的な影響も残っているのでしょうから、無理せず、少しずつでもリハビリをして行きましょう。と、そういう事になった。しかしながら俺には気力が無かった。毎日のリハビリも続かず、寝てばかりいた。
 ところが或る日、自分と同じように施設内で歩く練習をしている男性を見かけた。来る日も来る日も、彼はスタッフに支えられながら歩いていた。俺にはそれが気になってしまい、彼の姿を盗み見るようになった。リハビリは思うように進んではいないようだった。その男性はいつも苦悶の表情を浮かべ懸命に歩いていたが、いつもよろけてしまい、どうしようもなくなって、スタッフが用意した車椅子に乗せられて自室に戻っていった。

 ある時昼食を摂ろうと食堂に入っていくと、その男性が独りでテーブルについて食べていたので、俺はつい同席を願い出た。

「すみません、失礼ですがご一緒しても良いですか?」

「あぁ・・・良いですよ」

 俺はテーブルに手を突き、身体を支えながらゆっくりと腰掛けた。

「脚がお悪いようですね」

 俺は率直に話しかけてみた。彼は少し苦しそうな表情を浮かべ、答えた。

「ええ、車で事故を起こしましてね。長く入院していたので、すっかり弱ってしまいました」

「そうでしたか」

 俺達は暫く食事に没頭した。

「私もね、長く引き籠もっている間に、まともに歩けなくなってしまったんですよ」

「ほう、それはどうして?」

 俺は、これまでの顛末を簡単に話した。彼は俺の目を見て、頷いていた。

「私も随分前に妻を亡くしましてね、それからずっと独り暮らしだったんですよ。それである時事故を起こしちゃったんですが、退院しても身体が元に戻らない。かと言って娘家族の世話にはなりたくなかったんで、此処に入る事にしたんです」

「そうでしたか。何だか私ら、似てますなあ」

「ええ、よく似てます」

 彼は笑顔を浮かべた。そしてうどんを啜った。

「それにしても貴方は、リハビリ頑張っておられますね。私はすぐに疲れちゃって、止めちゃうんですよ。どうしてそんなに頑張れるんです?」

「うーん・・・早く歩けるようになりたいんですよ」

「どうしてそんなに?」

「私はね、散歩するのが好きだったんです。亡くなった妻も好きでした。自分の脚で歩いて何処へでも行けるというのは嬉しいし、散歩の途中でいろんなものを発見するのが楽しかったんです」

「なるほど。散歩ですかあ、私は余りしませんでしたね。働いている時は、家と会社を車で往復してましたし、それ以外に出歩く事があんまりなかったんですな」

「やってみたら良いですよ。きっと楽しいと思います」

「そうなんでしょうかねぇ。しかしまぁ、取り敢えずまともに歩けるようにならないと」

「まぁ、そうですよね」

俺達は笑いながら、残りの食事を平らげた。

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 それから食堂で見かけると、時々話すようになった。相変わらず彼はリハビリを懸命にこなしていて、さすがにそういう時は話しかけられない。会釈する程度だ。そして何となくだが、俺もリハビリを再開した。彼に対して恥ずかしい気持ちになってきたからだ。医学療法士のスタッフにはどういう風の吹き回しかと聞かれたが、適当に笑って誤魔化した。

「最近、頑張っておられるようですね」

「いやぁ、まぁ・・・私も頑張りたいと思いましてね」

「そりゃ良いことです」

「はぁ、息子達がいつ様子を見に来るかも知れませんし、少しでも練習しておかないと」

「そうですなあ」

 そんな会話もした。そして程なく、俺は施設内ならどうにか歩き回れるくらいにまで回復した。自分では驚きだったが、スタッフはそうでもなさそうだ。予想されていたのかも知れない。俺はたぶん、心の問題で萎縮していただけなのだろう。それから間もなく、医学療法士のスタッフに外を歩いてみないかと勧められた。自信はなかったが、ここで止めてしまうと元に戻ってしまうんじゃないかと不安になり、少々無理があっても挑戦してみる事にした。

「私、明日から外を歩いてみようと思うんですよ」

「ほう。回復が早くて羨ましいですね」

「いやぁ、私が後から始めたのに、何か申し訳ないです」

「そんな事ありませんよ。回復のスピードは人それぞれですから」

「そうなんでしょうかねぇ」

「私も頑張りますから、貴方も明日は頑張って下さいよ」

「あぁ、そうしましょう」

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 次の日、俺は用意しておいた杖を突き、ゆっくりと歩き始めた。暫く歩いてみると、施設内を歩くのとは勝手が随分違う事に気付いた。道は決して平坦ではないし、冷たい風は吹いているし、田舎とは言え車や自転車や人通りもある。気疲れなのか、俺はすぐに疲れてしまった。立っているのも億劫なので、適当な場所を見つけて座り込んだ。
 調子は良いと思っていたのに、やはり無理なのか。俺はそう思って落ち込んだ。疲れも手伝ってか、暫く動けなかった。道に散らばって、踏みつぶされた街路樹の葉っぱが目に入った。自分が憐れにに思え、妻の顔が思い浮かんだ。俺は驚いた。妻の事を思い出したのが久しぶりだったからだ。つまり、妻の存在を今の今まで忘れていたのだ。妻が亡くなってからというもの、毎日妻のことを思わない日はなかった。かつての妻との生活や、為し得たかも知れない妻との生活の事を繰り返し夢想した。いつの間にか、そういう事をしなくなった。何故だろう。
 それ以上ものを考えられなくなったので、取り敢えずホームに帰る事にした。それにしたって一苦労だ。どうにか帰り着く事は出来るとは思えたが、往きよりも数段辛い。しかしそうしない事にはどうにもならないので、俺は必死に歩いた。辿り着いた時には、もうやりたくないと思った。
 翌日の食堂で、俺は彼に一部始終を話した。

「それは仕方ないですよ。始めたばっかりでしょう」

「そうなんですけどね。いやぁ、自分が情けなくて」

「年寄りが全員そうだとは思いませんが、そういう人はたくさん居ると思いますよ」

「そうですかねぇ」

「そうですよ。それに、貴方には頑張って貰わないと」

「は。それは解ってます」

「お願いしますよ」

 そうは言ってもすぐには無理だった。どうしても気力が萎える。俺は二日後に再び歩き始めた。前回の失敗を繰り返さないように距離を短めに設定して、慎重に脚を進め、少しでも疲れを感じては立ち止まって休んだ。その日は長くは歩けなかったが、這々の体に陥るような事はなく、気分良く帰る事が出来た。それで俺は自信が持てた。今は全然ダメだが、このまま練習を続けていけば自由に歩き回れるんじゃないかと夢想する事が出来た。
 しかしそう簡単な事ではなかった。調子が良い日もあれば悪い日もある。前日に調子良く距離を伸ばせても、次の日は何故かすぐに疲れてしまい引き返すような事も度々だった。そういう時は疲労が溜まっているのだと思い、二三日休んでから再開した。しかし一進一退の状態が長く続いて、俺は段々と頑張る事に飽きてきた。

「最初の時のように頑張れない、というか楽しめないんですよ」

「景色とか見てます? ただ脚を動かしてるだけじゃあ、そりゃあ楽しめませんよ」

「いやでも、これは歩く練習なので」

「散歩で良いじゃないですか、散歩で。その方が気が楽になると思いますよ」

「そんなもんでしょうか」

「ええ。散歩なんだから毎日キチっと歩かなくても良いし、何処をどのように、どれだけ歩くかも勝手ですし、疲れたらすぐ止めてしまえば良いんですよ」

「ああ、そう考えると気が楽ですね」

「気を楽にして歩くと、自然と景色が目に入るようになるんですよ。そうすると、毎回違う事に気付いたりして楽しいですよ」

「気付くって、どのような?」

「分かりやすいのは草花や樹木でしょうかねぇ。それに川の様子だとか、もちろん天気も違いますからね」

「うーん、じゃあちょっと注意して見てみます」

 俺は半信半疑だった。そういうのが楽しいようには余り思えなかった。しかしやってみようと思った。何故かと言えば、俺より彼の方が人生の楽しみ方というものを知っているような気がしていたからだ。既に彼には、同期とか同僚とかそういう親しみを感じていたが、何となく先輩のような印象も持っていた。とにかく、やってみる事にした。

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 それから二ヶ月ほど歩き続けて、ようやく分かってきた。元来の性格のせいか、観察するという感じだったが。天候に拠って川の水位は違うし、鷺や鴨が今日は何羽居るだとか、とある人家の庭の木々がどのくらい落葉しているとか、そういう事を毎回確認した。それは何となく楽しい事のような気がした。毎回疲れはするが、少しずつ距離も伸びて来た。その頃には軽いリュックサックを背負い、その中に小さなペットボトルに入れた水を持ち歩くようになっていた。

 そんな日々を過ごしているうちに俺は思い出した。亡くなった妻は散歩が好きだった気がする。何故なら、今日どこそこに行ったらこんな花が咲いていたとか、どこそこの庭は手入れが行き届いて素敵だとか、そういう話をよくしていた事を思い出したからだ。そうか、そうだったのか。俺はそんな事さえ忘れてしまっていた。散歩に付き合ってあげれば良かった。そうしたらもっと楽しい時間を一緒に過ごせたのに。その夜俺は、後悔の念に打ちひしがれ、なかなか寝付けなかった。
 次の日から、テレビの横に置いていた妻の位牌をリュックサックに入れて歩いた。これでは妻に景色が見えないではないかと、自分の思いつきに落胆したが、まさか抱えて歩く訳にはいかない。妻には道中は我慢して貰って、景色の良い場所に辿り着いた時にリュックサックから出して見せてあげた。

「それは良い事ですね。奥さんもさぞ喜んでいるでしょう」

「いやはや、お恥ずかしい」

「そんな事ありません。私も是非そうしたいですよ」

「最近調子はどうです?」

「徐々に良くなってきましたよ。もうすぐ外に出れると思います」

「それは良かったです。そのうちに、散歩をご一緒したいですな」

「ああ、そうしましょう」

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 年の暮れとなった。ホームでは、大晦日には皆集まって紅白歌合戦を観ましょう、という呼びかけがなされている。そして明くる日の元旦には、おせちを囲んで新年を祝いましょうという手はずだ。それはそれで良い。それなりに楽しい催しだろう。しかし何かが抜けているような気がした。しかしそれが何なのかはよく判らなかった。
 食堂で彼に会ったので、話してみた。

「大晦日ですなあ」

「そうですねぇ」

「紅白観ながらの晩餐には参加されるんです?」

「いやぁ、あんまり興味が持てなくて」

「そうですよねぇ。私もそうなんです」

「もっとしっぽりしたいんですよ」

「そうそう、酒でも飲みながらね」

「良いですなぁ」

 この施設では、特に飲酒を禁じている訳ではないが、進んで用意してくれはしない。飲みたければご自分でご自由にどうぞ、という感じだ。それはそうだろうと思う。入居者は一日中暇なものだから、下手に酒を提供すれば一日中だって飲み続ける輩も居るだろう。そうなると問題も出てくるだろうし、そういう事に関与したくないのだろう。当然だ。

「あのぅ、今夜部屋で飲みませんか?」

「お。良いですね」

「私、何度もコンビニまで行ってますから、何か買って来ますよ」

「お願いしても良いんです?」

「えぇ、もちろん。酒は何を?」

「やっぱり日本酒が良いですな」

「そうしましょう。肴はおでんで良いですかね」

「良いですね。サキイカなんてのはもう歯が立たなくて」

「いや、それは私も」

 俺は、何だか楽しくなってきた。

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 おでんが冷めてしまうとは思ったが、夕暮れ時にコンビニへ行く事にした。夜に歩くのは未だ少し恐い。良い顔はしないと思うが、スタッフに頼めば温め直してくれるだろう。
 コンビニへ辿り着くと店内は暖かく、おでんの匂いが漂っていた。結構客が入っていて、皆楽しげだ。家族連れが来ていたり、若い人達が数人で来ていたり、それぞれに買い物を楽しんでいた。俺は良さそうな銘柄の日本酒の四合瓶をカゴに入れ、おでんが置いてあるレジまで行った。

「大根と牛筋と、それから竹輪とがんもどき、それと玉子を二つずつ下さい」

「かしこまりました」

「あっ、それとシラタキも入れて下さい!」

 俺はふと妻がシラタキを好きだった事を思い出したのだった。妻が作るおでんには、シラタキがたくさん入っていたものだ。しかしこれは一つだけにしておいた。彼に付き合わせるのも申し訳がなかったので。

 俺はビニール袋を両手に提げて店を出た。夜空は雲一つなく、月が頭上に浮かんでいた。部屋に戻ったら、テレビの横に置いている妻の写真と位牌をテーブルに出しておこう。彼は嫌がるだろうか。そこはお願いしてみよう。なんなら彼も同じようにすればいい。俺は妻と一緒に大晦日の夜を過ごしたいと思ったのだ。そういう事が空しいとも思わなかった。そうする事が当然であるような、当たり前であるからこそそうしたいと、そう思った。白々とした街灯に照らされながら寒い道を歩く。息を吐けば白い。ほっとするなあ、俺はそう独りごちた。さあ、早くホームに戻らなければ。彼らが待っている。