展覧会とは、平たくいえばモノ(作品)の移動である。それが展示室の配置移動にせよ、文化の異なるA地点からB地点への移動にせよ、とにかく移動させる。A国の文化を知らないB国の観客にとって、作品はときにはまったく異質のものとして理解できないか、誤解のうちに受け入れられることも多い。アカデミズムを重視する学者はその誤解を批判するが、キュレーターは、誤解を怖れることなく、それを新たな解釈の生成とみなし、つぎなるアプローチのための糧とするのである。
 私たちは、生まれ育ってきた文化や情報環境の蓄積と、直感や感性を総合して、対象の意味をとらえている。例えば村上隆のフィギア彫刻は、欧米の鑑賞者にはエキセントリックにデフォルメ(大きな目や胸など)されたポップアートの彫刻に見えるのに対して、日本のアニメオタクにとってそれは出来の悪い(精度の低い)フィギアの一つになる。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 p.16