特に現代美術館は、現代、同時代のアートを《新しさ》の生産として見せる空間である。同時にリアルライフのの中に存在し、《現代社会や日常に揺さぶりをかける》場所でもあるのだ。例えばミシェル・フーコーは、あらゆる他の場所関係しながらも同時にそれらとは矛盾する奇妙な場、日常生活から逸脱する《他なる場 (outer spaces)》としてユートピアとヘテロトピアを挙げる。ユートピアは現実に存在しない思考の中の空間であるが、ヘテロトピアは実際の施設や制度の中に現実に存在しながら、人びとを現実から運びさる場である。日常の生活に根をおろしていながらまったく異質な空間として、フーコーはミュージアム、図書館、オリエントの庭園、アミューズメント・パーク (fairground)、植民地、売春宿、船などを例として挙げる。そこで、ヘテロトピアはモダニティの周縁的な場として、モダニティの閉じた状態と確実性を常に崩壊の危機にさらすものとして論じられている。

長谷川祐子著『キュレーションー知と感性を揺さぶる力』集英社新書 2013年 pp.77-78