アメリカ主導の美術の世界に、「日本の文化との折衷案としての新しい文脈」を提示し続けるうちに、ぼくの中には、澱のように解決不能の事柄が数多くたまってくるようになりました。「必死に学んだアメリカのルールといつかお別れをしなければならないのかもしれない」そんなことを思わないではないんです。もちろん、現状はズレはじめています。しかし「作品を通して世界美術史における文脈を作り上げること」は。今でも世界における美術作品制作の基本であり続けています。まだ欧米のルールは有効なのだから、世界で勝負をしたいと願う今の表現者はまだ欧米のルールを学ばなければならない。

 東洲斎写楽や葛飾北斎の作品を理解するためには一定の教養が必要になります。なぜなら写楽も北斎も欧米の美術史の中で評価されたからです。評価された角度も、「ハイアートの中のジャポニズムに位置づけられた」という限定条件の中にいるわけです。ジャポニズムの文脈がわからなければ、西洋で理解されている根拠もわからないのです。つまりそれでは作品を見る視点さえ見誤ることになります。
 海外の美術の世界は「すごい」と思われるかどうかが勝負の焦点になっています。お客さんが期待するポイントは、「新しいゲームの提案があるか」「欧米美術史の新解釈があるか」「確信犯的ルール破りはあるか」といずれも現行のルールに根ざしています。

村上隆著『芸術起業論』幻冬舎 2006年 pp.108-109