父が死んでからはますます父の郷里と私達は疎遠になった。伯母ノブが死んだのを私は知らなかった。伯母が死んでしばらくして、私は従妹にさそわれて伯母の家に行った。大きな松の木のある立派なかやぶきの大きな屋敷に伯父が一人で住んでいた。
 伯母の家の広い縁側から父の実家の屋根が見える。
 「伯母さんはずい分近いところからお嫁に来たんだね」従妹のあっちゃんは笑った。「そうでもないじゃん、タカ伯母さんはもっと近いじゃん。隣に嫁に行ったんだもの」
 私が九歳で引き揚げて来てしばらく父の実家に居た時、わたしはよくこの松の木の下であっちゃんと遊んだ。あっちゃんは、白いひげをたらした村で一番「学」のあるおじいさんに自分の宿題をやらせ、そのあと、おじいさんのひげを三つ編みにしてひげの先にいくつも小さな赤いリボンを結んでふざけた。白いひげのある「学」のあるおじいさんは白い壁のお倉の二階に和とじの本をつみ重ね一日中筆で字を書いていた。
 「あっちゃんのおじいさん、ずい分優しかったねェ」と私は三十年も前を思い出す。「そんなことあるもんかね。私にだけ甘かったんだよ。かんしゃく持ちで、母ちゃんずい分いじめたよ。気に入らないとみそ汁でもぶん投げちゃうし口やかましかったんだよ。おばあちゃんはめくらになったじゃん。その世話も大変だったんだよ。母ちゃん、何も言わなかったけどね」私は子供の頃あっちゃんの九人の兄弟の大きい人達は誰が誰だか区別がつかなかった。夕方畑から帰ってきた伯母は「洋子来てたのか」と私に笑いかけた。あっちゃんの大きいお兄さんの誰かと一緒のこともあったし一人のこともあった。汚れたわらぞうりで音もなく庭に入って来ていた。私は伯母が私に笑いかけると体中の骨が少しやわらかくなった様にうれしかった。私は伯母が優しいということと疲れ果てている様子が区別出来なかった。伯母はそのまま台所で夕食の支度をした。そういうものだと思っていた。
 「うちの父ちゃん、母ちゃんがぼけてから人が変わっちまってね。考えられないよ。わがままだもんで百姓したくなくて役所に勤めていたし。時々、役所行きたくなくなっちゃって、押し入れの中に入っちまって、一ヶ月も二ヶ月も出て来ないんだよ。そんで急に田んぼに行って働いてる母ちゃん田んぼに埋めちゃったりするんだよ。それが母ちゃんぼけちゃってから、仏様みたいになっちゃってね。母ちゃん毎日ここまで布団引っぱって来てね。大きな声で歌うたうんだよ。今まで歌なんかきいたことなかったによ。ずっーと切れ目なしに子供の時のうたうたうんだよ。一緒にうたえって。わたしもつき合うんだけど疲れちゃうじゃん。父ちゃん『そうかそうか』ってえらいしんぼう強く、こういう風に手振ってね、母ちゃんが振れって言うもんだから。やめると父ちゃんのことぶつんだよ。ぼける前は、静かに何も言わないでね、私が言う事聞かないと『困ったな』って、こういう風に自分のひざさすっているだけなんだよ。どんなことがあっても、何も言わないで、泣いたりおこったりする事一度もなかったんだよ。こうひざさするだけだったのよ。それでぼけちゃってすっかり子供になっちゃっただね。父ちゃんに、自分のこと縁側からけ落とせって聞かないだよ。そんで父ちゃんそうかそうかってけ落としてね、何回もだよ、それから自分をおぶって上の天神様に行けって、ようやく天神様につくとすぐ帰れって、帰ってくると又登れって。ひどい時は五回も母ちゃんしょって天神様に行ってたよ。本当に父ちゃん仏様になっちゃって。母ちゃんは、楽しかったこと子供の時しかなかったんじゃない。嫁に来てから牛みたいに働いてさ。むずかしい、しゅうと、姑に、きかない子九人で、わがままな父ちゃんじゃん。そんでも黙ってただひざさすり続けて、どこにも行かないでさ。夜なべして居たよう。五十年もだよ。言いたいこと山程あったずらに、ただひざさすってよう。ぼけてくれて、私しゃ本当によかったと思うだよ」

佐野洋子著『私はそうは思わない』ちくま文庫 1996年 pp.224-226