私はうすうす気がついていたのだけれど、いやかなりはっきり確信があるのだけれど、いや絶対って言い切れるのだけど、男と女を比べると男の方が何百倍もいい人達である。
 私は弱い女というのを知らない。見たところはかなげで、あやうげで、たよりなさげな女だって、いやそういう女たちこそ、したたかで、根っこのところが実に強い。
 強いというか悪い。
 子供の頃、可愛い顔して、たいがい色が白くて、おとなしくってそそとしていて、女の子の見本みたいのがいる。
 子供達がわーわーむらがって遊んでいる時、その子がジワーッと近づいて来て、私にぴたーっとくっついて来る。何だ何だと思っていると突然その子が私のうでをぎゅーっとつねる。ぎゃっ何だとびっくりして、「やだーっ」と叫ぶとその子が急に泣き出す。皆んなが集まって来る。「どうしたの、どうしたの」と泣いている子の側に来て顔をのぞき込む。その子は弱々しく悲しげにいやいやをしている。私はボー然として「あわ、わ、わ」と思っていると、子供というものは必ず泣かしたのが自分かと思って「わたし?」「わたし?」とその子の肩を抱いたりしてきく。その子はいやいやをして、少し両手をずらして、チロリっと私の方を向いて又泣く。「あーあー洋子ちゃんが泣かした、洋子ちゃんがなかした」と言うとその子をかかえて遠くに行き集団で私をにらんでいる。その子は、他の子供達にひと言も何も言っていない。ただ私をチロリと見ただけである。嘘をついたわけでもない。私をチロリと見ただけなのである。すげえーかなわんわーと思って生きて来た。他の人に言うと、「いたいたそーいうの」って必ず答える。五十人の中に一人位はいるのである。
 それで、男にもそーいうのがいるかと思うと絶対にいない。こーいう風な構造に男はなっていない。大ぼら吹いてサギする位の単純さである。私、アダムとイヴのイヴもそーいう女だった様な気がする。神様はお見通しであるが、男は見通さない。たとえ自分の女房がそうでも一生見えない。そして知らないまま死んでゆくのである。

佐野洋子著『覚えていない』新潮文庫 2009年 pp.66-67