源頼朝は鎌倉に拠点を定め、鎌倉幕府をつくり、文字通り天下の覇者となった。いわゆる鎌倉期以降の博多の都市的発展(対外関係・モノの流通・文化)を考える場合、禅宗と禅寺が持つ意味を見逃すわけにはいかない。栄西の聖福寺、円爾の承天寺の建設。いずれもこの時期の博多の都市的発展を考える場合の核となる重要なできごとである。
 武家文化を培養した鎌倉禅や、公家の保護を背景に兼修禅を中核とした京都禅と比べ、博多禅は、禅宗のの初伝として、対外文化交渉の門戸にふさわしい発展ぶりをみせた。宗・元などの中国文物の日本への移入役として禅宗を位置づけるべきであり、博多の日本文化史に占める意義は大きい。博多禅は、臨済宗と茶の導入者である栄西によってスタートした。

武野要子著『博多〜町人が育てた国際都市〜』岩波新書 2000年 p.36