鎌倉時代末の日本と元の関係は、一口でいえば緊張状態にあった。第三次の元の襲来が予想されたからである。にもかかわらず、二章で述べた東福寺の造営料船の例もあるように、北条氏や寺社は盛んに貿易船を派遣し、日本に来た元僧たちは清新な空気を日本に吹き込むなど、文物交流は盛んであった。その中心地が博多だったのである。

武野要子著『博多〜町人が育てた国際都市〜』岩波新書 2000年 p.59