つい先ほど、イトーヨーカドーで慎ましい夕食を買い求めて部屋へ戻るべく踏切を渡ろうとしていた時、擦れ違った男子中学生が携帯電話で誰か向かってこう話しているのが聞こえた。「ご飯ある?」相手は母親であろうか、学習塾の帰りなのかよく判らないけれども、これから帰る家に何かしら期待が持てるというのは幸せな事だなあ、と思う。
 そう言えば、ずっと以前に青山のワタリウム美術館で売られているポストカードを眺めている時に見つけた一葉の写真を思い出す。何処か外国のビーチで撮った写真で、高い位置から幼い男の子が父親の胸へ向かってダイヴする瞬間を写していた。男の子は父親が自分を受け止めてくれる事を一瞬たりとも疑う事なく満面の笑顔で飛び降りている。父親は少しだけ困ったような表情を浮かべながらも、逞しい上半身を輝かせながらしっかりと腰を据えて息子を受け止めようとしている。僕はカードを棚に戻す事も忘れてずっと眺めていた。

 このような写真を撮りたいなあ、などと時折思う。しかし実際にはこれとは凡そ反対の要素を持つ写真ばかりを撮ってしまう。それはそれで仕方ないと思ってはいるのだけれども、いつの日にかそんな写真を撮る事が出来たならば、己の死が間近に迫る日々を、その写真を眺めながら過ごしたいと思う。自分はそんな幸福な世界を生きて来たのだと、自分を欺いてでも、そう思いながら死にたい。