江戸時代には、どんな村にも神社があり、春には五穀豊穣を祈り、秋には感謝の祭りをした。神社は、村の安全・発展を村人と共同で願うものであった。ただ、中世ではどうかというと事情が異なってくる。この時代には、神社は在地領主である武士の氏神として、一族の結合や地域支配に役立てられていた。それが、戦乱や兵農分離などにより、武士がその土地、神社から離れたことから、神社は新たな保護者を地域の村落・農民に求めざるをえなくなったといわれている。
 それが江戸時代に入ると、このような中世以来広い領域にわたって権威を持ち信仰を集めた大・中の神社に加え、一村落もしくは数ヶ村を単位とした神社が、近世的村の村立とともに歴史の表舞台に出て来るのである。

朝日新聞福岡本部編『博多町人と学者の森〜はかた学6〜』葦書房 1996年 pp.130-131