ここで「ひきこもり」の側から社会をみるなら、私は(「この国」ならぬ)この時代においてはいまだ「自由」が正しく認識されていないのではないか、という実感を持っています。ひきこもり状態とは、一切の社会的束縛を免れているという点からみて、きわめて自由な立場とみることもできます。しかるに、もっとも自由な立場の人間が、もっとも不自由な状況に甘んじている。私はこの一点に、いまだ本来的な意味での「自由」を享受し損ねている、この時代の病理を感じます。「自由であること」それ自体が葛藤の原因となるような時代を、「思春期の時代」とかりに呼びうるなら、「社会的ひきこもり」とはまさに、そのような時代を象徴するような病理ではないでしょうか。

斎藤環著『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』PHP新書 1998年 p.210