精神分析によれば、人間はすべて「自己愛」を持つとされる。それはなにも、「エゴイズム」とか「自己中心」ばかりを意味しない。むしろ自己愛は、人間が欲望を持ち、また他者を愛するための基盤として、必要不可欠なものなのだ。
 コフートは人間の一生を自己愛の成熟過程としてとらえている。この発達に際して重要なのは「自己ー対象」との関係である。「自己ー対象」とは、自己の一部として感じられるような対象のことだ。乳児にとっては母親が最初の重要な「自己ー対象」となる。自己はさまざまな「自己ー対象」との関係を通じて、その対象から新たな能力を取り込んでゆく。この取り込みの過程は「変容性内在化」と呼ばれる。
 ここでコフートは、自己が発達するために必要な三種類の自己ー対象関係を考えた。これが「鏡自己ー対象」「理想化自己ー対象」「双子自己ー対象」である。「鏡自己ー対象」関係とは、「なんでもできるすごい僕」といった誇大な自己を受け入れ、ほめてくれる母親との関係である。「理想化自己ー対象」関係は、スーパーマンのように理想化された親のイメージとの関係である。このふたつの「自己ー対象」関係が、「野心」と「理想」という、自己にとって重要な二つの志向を決定づける。
 しかし、これだけでは十分ではない。ここでコフートが重視するのは、「双子自己ー対象」関係である。これは、自分と他人は同じ人間であるという同胞意識に近いものだ。この関係こそが、さきにふれた「野心」と「理想」の間に生ずる緊張によって活性化される。才能や技術などの施行機能を発達させるという。そして、主にこの関係をになうのが、家族以外の対人関係にほかならない。ここで、仲間関係が「施行機能」の発達において重要であることに留意しておこう。
 ちなみにコフートによれば、人間の心理で最も重要なことは、その心を凝集的な形態に、つまり「自己」に組織化することであり、自己と環境との間に、自己支持的な関係を確立することでもあるとされる。ここでコフートは、母親のあり方の重要性を強調するのだが、そのことは、今は措く。最も望ましい発達は、青年期や成人期を通じて、支持的な対象が持続することなのだ。「ひきこもり」に問題があるとすれば、それはまさに、望ましい「支持的な対象」との関係が途絶してしまうことによるだろう。

斎藤環著『「負けた」教の信者たち〜ニート・ひきこもり社会論〜』中公新書クラレ 2005年 pp.47-48