彼らが好きなのは虚構を実体化することではない。よくいわれるように現実と虚構を混同することでもない。彼らはひたすら、ありものの虚構をさらに「自分だけの虚構」へとレヴェルアップすることだけを目指す。おたくのパロディ好きは偶然ではない。あるいはコスプレや同人誌も、まずこのように、虚構化の手続きとして理解されるべきではないか。人気のあるアニメ作品には、必ず「SS(ショート・ストーリーないしサイド・ストーリー)」と呼ばれる物語の書き手がついてくる。彼らはアニメーション作品の設定や登場人物はそのままに、異なったヴァージョンの小説ないしシナリオを書き、パソコン通信のフォーラムなどにアップロードする。この一文にもならない表現行為は、何のためになされているのか。自己顕示? 他のファンへのサーヴィス? しかしそれなら、パロディや評論の方が、ずっと効率が良いだろう。私の考えでは「SS」こそ、まさにおたくによる作品所有の手段にほかならない。作品をみずからに憑依させ、同一の素材から異なった物語を紡ぎ出し、共同体へと向けて発表する。この一連の過程こそが、おたくの共同体で営まれている「所有の儀式」なのではないか。

斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 pp.40-41