ここでジョバンコ氏は、アメリカでのタブーの意識を知る上で、貴重な資料を提供してくれている。セーラー服自体が水夫の仕事着を女子学生の制服に転用したものであるという経緯は、たしかに注目に値する。近年わが国で異常なほど注目されている「女子高生」への関心は、たんに若い女性への欲望ということだけでは語りきれない要素をはらんでいるからだ。そこには少なくとも服装倒錯的な嗜好が紛れ込んでいる可能性がある。さらに極論すれば、セーラー服と若い女性の組み合わせを愛好するという行為については、小児愛に服装倒錯、さらには同性愛的な嗜好などといった他形倒錯の傾向として分析することも不可能ではない。
 氏はまた「変身」にちても、次のように述べている。
「(戦闘美少女が変身することについて)たぶんそれは、幼く可愛い少女から成熟したタフな女性への変化だ。この二重人格性は、成人男性のオタクが少女に望むすべてをもたらす。それは彼女たちを完璧な存在にするのだ」。
「変身」が加速された成熟の隠喩である点は、私もまったく同意見である。

斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 p.115