随分前に、こんな台詞を友人だか知人だか誰だかにほざいた記憶がある。どう考えても誰かの受け売りなのだが、それが誰の言葉だったのかが思い出せない。しかしそんな事は日常に流され一瞬のうちに忘れ去ってしまい、ごく稀に思い出してはやはり思い出せないのでまた忘れてしまう。そういう風にして年月は経って行くのだけれど、ここの所、彼方此方で読み漁っている中にこの台詞が度々登場するので久しぶりに思い出した。

 まずは実相寺昭雄。吉原特集の「東京人」で氏の追悼記事が載っていて、その中にはこうあった。

 「生きてるなんてことは、所詮死ぬまでのヒマつぶし」が、実相寺さんの生活信条であった。

 当時の僕が実相寺昭雄に興味を抱いていたとは思えないのだけどなあ、と思っていると、また別な記述に突き当たった。Wikipedia で「みうらじゅん」について読んでいたいたらこんな記述があった。

 グレート余生:「人生とは死ぬまでの暇つぶし」はみうらじゅんの言葉である。人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。

 数々の造語を世に広めた人ではあるが、1937年生まれの実相寺昭雄が生活信条にしていた言葉を、1958年生まれのみうらじゅんが造るかなあ、と僕はかなり疑っている。ついでに書くとリリー・フランキーの書いた短編の中にも出てくるのだが、これはみうらじゅん繋がりで出てきた言葉ではないだろうか。
 タイトルの言葉で検索すれば幾らかは出てくる。わりかし使われる言葉であるようだ。これだけ出てくるのならば、ずっと昔から伝わっている言葉ではあるような気がする。その元となるような記述を見つける事は出来なかったが、誰しもとは言わないけれど、結構人の口をついて出る言葉なのではないだろうか。

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 それはさておき、上記の実相寺昭雄の追悼記事の中で、寺田農の書いた記事にこうあった。

 そしてそのことが、若い頃から好んで口にしていた「生きてるなんて事は、所詮死ぬまでのヒマつぶし」につながっていくのだろうし〜中略〜ましてやそれを口にする時には、自虐めいた嘯きでもなかったしかといって虚無的な思索にみちたものでもなく、ジッソー独特の、あのイッヒッヒという笑いのなかでの言葉だった。

 確かに僕がその言葉を口にした時も多分に自虐めいていたし、検索でヒットした記事にしても大体はそんなニュアンスを含んでいるものばかりだた。そんなものはやはり人生に対する愚痴でしかない。その言葉を己の生活信条とした実相寺昭雄の軽やかさには到底及ばない。例えるならば、真っ白な画用紙に、十二分に水を含んだ絵筆から色彩を落としていくように、そして落とした色が画用紙に滲んで色彩を広げていくのを楽しむように生きる事。それを目指す事こそ、この言葉の本意なのではないだろうか。