先日再読してみた。この手の本は一度読んだだけでは極一部を覚えているだけでその他は全然頭に入っておらず、暫くしてか、若しくは数年後に再読すればその度に色々と気付く事があるものである。そりゃそうである。著者が膨大な時間とエネルギーを注いだ本を初見で覚えられるはずもない。第一僕は記憶力が薄い。すぐに色んな事を忘れてしまう質なのだ。そして今回、面白く読んだ部分は多々在ったのだけれど、その中で最近の僕の思考の流れに沿う部分を一部抜粋して話をしようと想う。

 客と遊女が本当に惚れ合い、離れ難い気持ちになると、とりわけ富豪の息子が夢中になって熱をあげると、遊女は彼を手放したくないと切望して、誓いの言葉を述べるだけでなく、最も権威あるものといわれる熊野神社の午王宝印の起請文にならって、夫婦になる起請文を書いて、神仏に誓う。

 落語「三枚起請」(僕自身はその話は知っているのだけれども、まともに落語としては未だ聴いていない)でも知られる誓いだてですな。武将の盟約にもよく使用されたらしく、誓いとしては厳格なものであったようである。(余談:実は三枚起請の下げの意味がよく解っていなかったのだが、此処にその解説がされていた。僕はまだまだ勉強が足りない。)とまあ、そういう事らしいのだが、しかしながらこれが今回の主たる話ではない。流れを作る前文として書いたまでだ。引用元の本には上記に続いてこう在る。

 さらにそれだけで不足ならば、遊女は真実の意を示す証拠として、小指を切断して男へ送る。

 漫画「さくらん」にも出てきた話だ。切断した小指を送りつけられるなんて、日常的な精神状態であれば脅迫という観念さえ越えて恐怖以外には思えない行為であるが、ロミオとジュリエットの類とは全然違った嗜好性に酔って、盛り上がりに盛り上がった当事者にとっては当然な流れなのかも知れない。更にこう在る。

 また、客とともに互いに腕に、○○(遊女の名)の命、××(客の名)の命と入墨をして、見せ合う。

 これを読んで「お。根性彫りてえのはその頃から継承する習慣だったのか!」と思ったりしたのだけれど、よくよく眺めていると少し感じが違う。「名前」と「命」の文字の間に「の」が入るらしいのだ。僕の認識で言うならば「千明命」だとか「静香命」という風に刻まれるはずである。その意味合いとしては「おいらは千明を命を懸けて愛するんだぜ!」または「おいらは静香を命を懸けて愛しているんだぜ!」とか、どちらかと言えば一方的な想いを告白している感じである。
 しかし江戸吉原で流行った入れ墨は「の」一文字が入っているだけで、その意味合いは「おいらは夕霧の命と謳われるほどの男なんだぜ!」となってしまう。相思相愛。お互いが最上の情夫(婦)である事を前提とした宣言文である。何だかえらい事になっているのである。これに比べたら「の」が入らない入れ墨なんぞ稚拙な自演に過ぎない。しかし傍から笑って見ていられるのもこちらである。相思相愛の上での入れ墨なんて笑えない。そういうのは他人に見せてはいけないものだ。上記の引用文から察するに、お互いが確認する為だけに行われた風習であるようだ。深く絡み合った情愛は二人以外の世界を排除してしまうのだろう。