何だかどうも、宜しくない連鎖を孕んだ空気を彼方此方で感じる。それは僕自身の中にも在る。去年の暮れ辺りから、僕はどうやら人生単位で漠然とした後悔をしているようだ。漠然としているところが厄介でもあり、救いでもあるのだけれど。今現在の自分には何ら意味も価値も見出せない、というような事を考えている事からして既に駄目なのだな。自分の心の裡に潜む闇を見つめてはいけない。大抵は酷い状態にまで落ちてしまうし、そもそも其処には何も見つからないのだから。
 暫くの間、ふらふらしていよう。考えなくてはいけない事はたくさん在る。でも僕という矮小な存在は情けない事にそれを受けつけないのだ。反省するなら今がその機会であるのだろうけれど、そう一度には消化しきれない。本当にちょっとずつしか前に進んでは行けないのである。昔、知人の母上と話す機会があって、どういう話の流れであったのか全く覚えていないのだが、彼女はこういう事を言っていた。「嫌な事なんて、放って置いても向こうから勝手にやってくるんだから、私は出来るだけ楽しい事だけを考えるようにしてる」バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタが好きだという、強い女性であった。
 誰かの苦渋に満ちた顔ではなく、笑っている顔を思い浮かべよう。美しく愛しいものに囲まれる自分を思い浮かべよう。想像力とは、こういう時にこそ使うべきなのだろう。ふわふわと浮き足立っている自分自身の姿が、いつしか僕を救い出してくれるような気がする。

 そんな感じの、非常に消極的な、僕の年頭に於ける抱負である。