DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

騎馬戦の思い出

 高校生の頃に体育祭の騎馬戦に参加した事がある。僕が通っていた高校は、文化祭と体育祭を年毎に交互に催すのが慣例で、その年は(僕は確か二年生だったと思われる)体育祭であった。そしてこの体育祭は全校生徒を(単純にクラスの番号で分ける事が困難な構造だったので失念したが)何チームかに分けて互いに競い合うのだが、何故かしら強制的に全員参加というものではなかった。大昔には公立の女学校であったという歴史を持つ故か校風は穏やかであったので、あまり競い合うような事には熱心ではなかったのかも知れない。とにかくその程度の縛りしかなかったものだから、当時の僕は斜に構え過ぎて殆ど反対側を向いているような隠れ問題児であったので、当然参加するつもりはなかったし、どの競技にも登録していなかった。
 そして当日、興味もないものだからサボっていたかったのだけれど、全校あげての行事なのでそうはいかず、仕方なしに見学に行ったのだった。どのような競技がどのように行われていたのかは殆ど憶えていない。もし憶えていたとしてもこの話には関係無い。なのでいきなり騎馬戦の話を進める。

 僕と同じように不参加を決め込んでいたクラスメート数人とスタンド席(書くのを忘れていたが、体育祭は市内の競技場を借りて行われる)に座っていたところ、背後から声がかかった。各チームを仕切っている最上級生の有志である。何度か集会のようなものを開いているので顔は知っていた。その人達が僕らボンクラに何の用があるのかと思えば、騎馬戦に出場するメンバーが足りないので出てくれないか、という依頼であった。元女学校で穏やかな校風とは言え、生徒は色んな人種が混在しているものである。ヤンキー、メタラー、パンクス、各運動部、吹奏楽部、演劇部、その他一般(地味なので何やってるのか全然知らない)と、目立つ順に書けばそういう感じだろうか。で、話を戻すと、チームを仕切っている有志というのは、その中のヤンキー(応援団として参加)と運動部(もちろん競技者として参加)という厳つい人達ばかりなので、僕らのような虚弱なメンズは割と脅威に感じており、断ると面倒な事になりそうだなとか、下手すると殴られそうだなとか考えるものだから、そうとは見せずに嫌々参加する事になった。でもそれだけではないかも知れない。座ったままぼんやりと競技を眺めているうちに、少しは興奮していたのかも知れない。

 いよいよ騎馬戦が始まる。ゲートからグラウンドに降り立ち、ハチマキを締めて騎馬を組む。後から参加した虚弱な僕らは当然ウマ役である。しかしそんな事はどうでも良い、問題はここからである。騎馬を横一列に並べ、その前に立った応援団がゲキを飛ばす。「絶対負けんなぁー!」とか「紅組を倒せぇー!」とかそんなよく在る感じで応援団が煽れば、騎馬組は「おおー!!」などと応えていた。しかしそれだけでも応援団と騎馬組の興奮は最高潮であったと思う。興奮に興奮を重ね合い、とうとう応援団の一人がこう叫んだ。「紅組を殺せぇー!!」
 若気の至りと言おうか、勢い余ってと言うか、叫んだ本人もどうしてあんな事言っちゃったんだろうと後から思ったのかも知れないが、その場では何ら不自然に思う人は居なかったのか、騎馬組も「おおおおーー!!!」と更に盛り上がって、挙げ句には応援団と騎馬組みで殺せ殺せの大合唱であった。若くて鬱屈が溜まっている連中を集めているとは言え、闘争の場というのはそんなにも人間を熱狂させるものなんだろうか。自らも参加しておいて言うのも何だけど。
 空砲が鳴り、双方の騎馬はグラウンドの中央目がけて突進する。横一列に並んでいた騎馬はグラウンドで入り乱れ、闇雲に間近に居る相手チームの騎馬に組みかかる。組み合った騎馬は、馬上の人間が両手をがっしりと掴み合って相手をウマから落とそうとあの手この手で応戦する、というのがテレビやなんかでよく見る騎馬戦だが、普段からエネルギーが有り余っている上に興奮の絶頂に在る高校生男子達であるからして、組み合う前に手が出る。しかも馬上の人間だけではなくウマも手を出す。拳を振りかざすような派手な殴り合いではなかったと思うけど、少なくともお遊戯には見えなかった。僕はと言えば、相手のウマが突き出した手の平で顎を殴られ、頭がクラクラしていた。

 競技自体はあっさり終わったように記憶している。恐らく僕らのチームが勝ったのであろう。何故なら、応援団の先輩達が「おまえらよくやった!オレは嬉しい!!」と男泣きに泣いていたからである。僕はその光景をただ何となく眺めていた。このような小競り合いを殆どの男子生徒が経験するのだから、その後の学校生活に支障が出たりしないのかと心配になるが、僕の知る限りではそんな事は全然無かった。かと言って、頭が冷めれば全てを水に流せるというものでもなかった。僕を殴ったウマ(他クラスのバスケ部で、1年の時は同じクラスだった)と廊下で擦れ違う度に「あ、オレを殴った○○だ」と定冠詞付きで名前を思い出すくらいの事はあった。でも、それだけ。そういう事も含めて、あれは一体何だったのだろうと不思議に思える訳である。

 ★

 同じものだと思っている訳ではないが、先日の東京は新大久保で行われた反韓デモの動画を見ていて、そんな事を思い出した。

2 Comments

  1. 「時」を経てもやけに生々しい活写がここにみられますが、その生々しさは書き手がおそらく原子でつくられた実在の世界と衝突せず、ふれあわず、すりぬけるばかりの粒子ニュートリノのような異分子もしくは部外者として騎馬戦の白熱に闖入して観察しているからではないでしょうか?

  2. 恐らくそういう事なんでしょう。身体は勝手に動いていますが、意識は脇腹の辺りにあったように思います。

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