14日早朝、薄い頭痛と共に目を覚ました僕はテレビを点けた。アルゼンチン対ドイツの決勝戦を観る為である。それまでの放送は余り熱心に観ていなかった。なにしろずっと体調を崩していたので、睡眠時間を削って真夜中や早朝の放送を観たいとは思えなかったからだ。しかし決勝戦くらいは、と思って無理矢理起きたのだった。それでも、試合は面白かった。相反するスタイルのサッカーが拮抗し延長戦までもつれ込んで、ドイツの若いストライカーの一蹴りでとうとう勝負がついた。
 ドイツ側の選手もスタッフも観客も、雪崩のような爆発的な喜びを全身で表し、ピッチやスタンドを席巻した。あれほどまでに歓喜に満ちあふれた人々の姿はなかなかお目にかかれない。何となく、ベルリンの壁が崩壊した際のニュース映像を思い出した。あの時ドイツの人々は次々に壁の上によじ登り、諸手を掲げ、旗を振っていた。上に登った者が地上の者を引き上げ、肩を組んでは声の限りに歌い上げていた。解放され、喜びに満ちた人々を眺めるのが僕は好きである。事情は違うが、オリンピックの閉会式も同じ理由で好きだ。ワールドカップはそういう映像を流す事が少ないが、オリンピックでは延々と閉会式の映像を流すので、僕はそれをぼうっと眺め続けていたりする。ただ単に調子に乗ってる連中を見ても腹立たしいだけだが、それが努力の末のものであったり、長い間待ち望んだものであったりする場合は別である。何となく羨ましい。その立場に居ない自分が口惜しい。そんな気分にもなる。あれほどまでに喜べる機会を持てる特権を、どれほどの人が有する事が出来るのか。

 ところでアルゼンチン側。スタンドの観客は呆然としたまま立ち尽くし意気消沈していて、スタンドの最前列で齧り付きで応援していた少年は泣きじゃくっているし、選手達の中には突っ伏して泣いている者も居た。なかなかに残酷な映像だった。しかし、ドイツチームが優勝記念の写真撮影をする頃になると、アルゼンチンの選手達は立ち上がり一カ所に集まってきた。こちらもメディア向けの撮影の為だと思われるが、フロントにメッシが立ち、数歩後ろに監督、その背後を覆うように他の選手達が立っている。もともと彫りの深い顔立ちである上に、負けたばかりなので皆表情が暗い。しかし誰もが前を見据え(恐らくドイツチームを見ていたのだと思うが)一言も喋らずにただ立っていた。呆然とした雰囲気は全くない。そこでメッシがペットボトルの水をぐいと飲む。何だか、映画で描かれるマフィアのようでカッコ良かった。既に四年後に向けて闘志を燃やしているのだろうか。四年後の大会の決勝戦の後で、彼らの喜ぶ姿を見たいものだ。そう思った。