DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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岩田屋のクリスマス

 昨日は外出しており、その出先でちょっとした事があって僕は少し寂しい思いをしていた。遣る瀬無い感情を持て余しながらトボトボと歩いていると、福岡天神駅のコンコースで一人の老女の姿が目に留まった。その老女は腰が前方に70度ほど曲がっており、さらには右斜めにも傾いていた。とても痩せていて、帽子を目深に被り、灰色のジャケットを羽織り背中にリュックサックを背負って、左手には岩田屋の紙袋を下げていた。歩く事も困難なようで、コンコースの中を少しずつ少しずつ移動して、段差があれば壁に手を突きながら脚を下ろす。その姿はあたかも周囲を行き交う人々とは違う時間軸に生きているようであった。僕はその後の予定など無かったし、その老女が転んだり突き飛ばされたりしないかと心配になってきたので、少し見守ってみる事にした。
 さっと行って声をかけ、困ってるようなら代わりに荷物を持って、彼女の行きたい所へ連れていってあげたら良いのではないかとも考えたが、何となく躊躇される。大変そうではあるがどうにか歩けてはいるし、もし歩行の手助けをするとするならば、その場合は家まで送り届けるという事になると思うが、そんな事を望むだろうか。彼女は怪我をしている訳ではない。常日頃もその体調であるだろうし、それを承知で行動しているのだから、それはきっと放っておいても問題ないだろうと考えたのだ。しかし、放っておいても大丈夫だと思える要素が見つけられないのである。そしてそれとは別に、自分が老女に声をかけないのは、声を掛けるのが恥ずかしいとか、面倒な事になったら嫌だとか、そんな風に考えているからではないのかなどと自問し始めてしまった。おかげで考えが全然まとまらず、その結果、ただ見守り続けるというおかしな行動を取ることになった。

 その後、ついに老女はコンコースを抜けて駅前の歩道に出た。そこを渡ろうとしている。人通りが多いので危ない。行き交う人々が老女を避けるように歩き、どうにか車道側のベンチまで辿り着いた。恐らくベンチに座って休もうとしているのだろう。頭を上げて辺りを見回している。しかし生憎とベンチは埋まっていた。老女の姿を認めた若い女性が立ち上がってベンチを譲ろうとしたが、彼女はそのまま素通りしてしまった。恐らくその若い女性が立ち上がった様子が見えなかったのだろう。試してみると判るが、腰を70度折り曲げるとほとんど地面しか見えない。前を見るには頭を上げた状態を維持しなければならないが、その姿勢は楽ではないし、その姿勢のままでは歩きにくいようで、歩くときは頭を下げていた。
 老女は歩道の端を左側に歩き始めた。そちらには地下街へと降りる階段がある。もしかしたら地下鉄で帰ろうとしているのだろうか。しかし彼女の歩行スピードだと一時間くらいはかかってしまいそうだし、辿り着けるかどうかも心配だ。そもそも階段を降りる事は出来るのだろうか。ここはやはり声をかけるべきではなかろうか、と考えていたら、老女は階段を降りずに階段口の向う側に回り始めた。そのスペースは自転車置き場になっている。まさか自転車に乗って帰る訳ではないだろう。もしそうならビックリだ。しかしこれも違った。老女はそのスペースを歩いて右側へ戻り、円形のベンチの反対側に座ろうとしていたのだ。あんなに歩くのが大変なのに、どうして席を譲ってくれるように頼まなかったのだろう。頼まれたら断る人なんて居ないだろうに。
 ベンチに座った老女はリュックサックを方から下ろして何やら荷物を漁っていた。何を取り出そうとしているのかは見えなかったが、やがて荷物を再びまとめ、ようやく身体を休める事が出来たようだった。

 さて、彼女は落ち着くことが出来たが、僕はまだ落ち着く事が出来なかった。彼女はこれからどうするつもりなのだろうか。ベンチのすぐ右横に横断歩道があり、その向こうに暫く歩くとバス停がある。そうかバスか。乗る為にはまた少し歩かなければならないが、地下鉄の改札よりはずっと近いし階段も降りなくて済む。十分に休んだら彼女でも問題なく辿り着けるだろう。彼女がバスに乗り込むのを見届けたら僕の役目は終わりだ。そう考えるに至ってようやく落ち着いてきた。
 暫くした後に老女は立ち上がった。そしてゆっくりと動き始めたと思ったら、今度は横断歩道の手前に置いてある腰高の植栽の縁に腰掛けた。何かを待っているように見えるが、何を待っているのかは判らない。やがて再び立ち上がり横断歩道に近づいたが、そのまま立ち尽くしていた。もしかして横断歩道を渡ろうとしているのか。そうだとしたら、彼女の脚では渡りきるのに10分くらいはかかりそうだ。それから何度か信号が変わって人々が行き来したが、老女はそのまま立っていた。そろそろ声をかけた方が良いかも知れないと考えていると、すぐ傍の植栽の縁に腰掛けて動物愛護の活動をしていた女性が老女に声をかけた。二言三言言葉を交わした後、動物愛護の女性は元に位置へ戻った。しかしそれからも老女は同じ場所にただ立ち続けた。何度も何度も信号は変わった。それでも老女は動かなかった。動物愛護の女性が再び声をかけたが、やはり元の位置に戻った。そしてとうとう老女が動いた。車道側に少し移動して、手の平を小さく上げたのだ。僕はその姿を見てやっと理解した。彼女はタクシーを拾おうとしているのだ。そりゃあそうだ。タクシーを使うのが一番楽だろう。どうして気付かなかったのか。しかし如何せん、腰の曲がった彼女が手を上げても手の平は頭の上にすら出ていない。こんな人混みの中だし、通りすがりのタクシーの運転手は気付けないだろう。僕はそれを手伝う事にした。ようやく役割を与えられた気がした。

 動物愛護の女性も老女を気にして見ていたので、先にその女性に声をかけた。「あの女性はタクシーを拾おうとされてるんでしょうか」「そうなんですよー」次に僕は老女に声をかけた。「手伝います」彼女がどう答えたのか思い出せないが、とにかく僕は車道に乗り出して左手を挙げた。タクシーは結構通るが、大概は「賃走」の表示を付けていた。ようやく「空車」と表示したタクシーが停まってくれたが、若いカップルが横から乗り込んだ。自分達が止めたのだと勘違いしたのかも知れないし、僕達の存在に気付かなかったのかも知れない。タクシーは走り去った。
 それから何台もタクシーは通ったが全て「賃走」だった。動物愛護の女性が老女に疲れただろうから少し腰掛けてはどうかと声をかけたが「大丈夫です」と老女は答え立ち続けた。「前は停まってくれたんですけどねぇ」と老女は言うが、それはどの程度前の話なのだろう。いつも同じやり方でタクシーを拾っているという事なのだろうけど、この状況では難しいだろうと思った。クリスマスイブの土曜日の夜で乗客は多いだろうし、横断歩道のすぐ横手はタクシーも停まりにくい。そして老女はよく見えていないようだ。メガネをかけているが、空車や賃走の表示も見えていないようだし、タクシーではない車に向かって手を上げる事もあった。僕らは手を上げ、立ち続けた。
 眼をこらして遠くを見ていると、どうもバス停の向う側辺りでタクシーが客を乗せている様子が何度か見て取れた。「向こうの方がタクシーを止めやすいようなので、行ってみましょうか」と提案してみると、老女はそれには答えず「あのー、アナタは?」と質問されてしまった。そりゃあ不審に思いもするだろう。「通りすがりです」と答えたら「そうですかー」と言いニッコリしていたが納得したとも思えない。しかしそれ以上の説明は出来ないのでしょうがない。
 何となくうやむやのまま、更に立ち続けた。そしてついに一台の空車タクシーが停まった。僕らはそそくさと移動し、老女は乗り込んだ。「脚がお悪いようなので、気にとめて上げて下さい」と運転手に言ってみたが、彼は老女をじっと見たまま返事をするどころかこっちを見ることさえしなかった。嫌な感じがしたが、他に選択肢はない。そのまま見送った。僕は動物愛護の女性に会釈し、その場を去った。

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 善いことをしたのかどうか、よく判らない。必要な事であったかどうかも判らない。僕が居なくても何も問題はなかったのかも知れない。あの老女にたいして何かしら行動したのは、僕が気付いた限りではベンチに座っていた若い女性と、動物愛護の女性だけである。他の道行く人々は誰も老女の事を気にとめていなかったように見えたし、存在に気付いてすらいなかったのかも知れない。つまり、何てことのない光景だったのかも知れない。そうすると、僕は何故そんなにも気にしたのだろう。僕が孤独感を感じるような状態であったから、辛い思いをしているように見えた老女に同情してしまったのだろうか。前述したように、彼女はその状態が日常であり、その上で「買い物」に来ていたのだ。老女が手に提げていた紙袋は岩田屋のもので、その百貨店は駅から少し離れている。健常な人なら歩いて二三分程度だが、彼女にとっては結構な距離になるだろう。何故そうまでして買い物に来たのだろう。クリスマス若しくは正月用に、毎年岩田屋で買っている商品があるとかそういう事だろうか。そうだとしても何故独りで来たのだろう。考えられるとすれば、今日の買い物は彼女の生活の中では特別な意味を持つような楽しみであるのかも知れない。あの状態から察するに、平素も外出はままならないだろう。家の中に閉じこもった生活はさぞ息が詰まる事だろう。だからこそたまの外出は、困難を押してでもやる意義のある事なのかも知れない。もしからしたらその困難を含む事にも意義があるのかも知れない。老女の人に頼ろうとしない態度からそんな事を想像してしまう。だとしたら、僕はそれを少し邪魔したと考える事も出来る。しかし老女の歩行の困難さは、歩いているというより脚を使って身体をずらしているという方が正しいと思えるようなレベルなので、どうしてもまず安全を考えてしまうのだ。
 僕はそんなモヤモヤを抱えながら歩いていた。酒でも飲もうかと考えたが、この状態だときっと飲みすぎるし、酔っぱらって電車に乗るのは嫌だったのでとにかく歩いた。ぐるぐる歩き回りながら、クリスマスに浮かれた人々の顔を眺めながら、モヤモヤはモヤモヤのまま丸呑みしなくてはならずに途方に暮れた。唯一、僕の一連の行動は全て、自分自身の為なんだろうなとう事だけは確かであるような気はしていた。

そこには光があった。

 一月前の事。叔父(母の弟)から、祖母が調子を崩しているとの連絡があった。御年百を超える祖母は長らく介護施設に入所しているのだが、少し前から物が食べられなくなって来ているとの事だった。そして当人も、自分もそろそろみたいだ、というような事を口にしているらしい。
 前回祖母を見舞ってから数ヶ月が経っていた。理由は家業が忙しかったり、父の容態が悪くなっていたり、とにかく母が行きたがらなかったりと理由は様々だ。その間にも、定年を迎えたばかりの叔父は祖母の様子を伺いにせっせと通い詰めており、時折近況を知らせて貰っていた。そういう状況なので母は何処か安心していたのだと思うが、さすがに今回はすぐに見舞いに行くことに決めたようだ。そして今回は父も同行すると言う。僕ら兄弟は、母が見舞うときには誰かしらが同行しているが、父はもう長く会っていなかったはずだ。しかも、自分もすでに棺桶に足の小指の先くらいは突っ込んでいるような状態なので、何かしら思うこともあったのだろう。
 恐らく祖母は、その施設の中では一番年上である。しかし取り分け元気な方であるようで、自分で歩いて用は足せるし、食堂へも自分で行ける。同施設内には祖母よりも10歳20歳若くても、すでに車椅子を使わなければ移動は出来ず、食堂のテレビの前で死にそうな顔をしながら過ごしている老人がたくさん居た。「あの人達と一緒にいたら、こっちまで辛くなってくる」と祖母はよく溢していたらしい。
 しかしそれは以前の話だ。今ではそうは出来なくなってしまったのだ。知らせを受けた三日後に、我々家族は祖母を見舞うべく車に乗り込んだ。

 祖母が入っている施設は筑後川の側に在る。我々は県道を北上した。その日は天気が良く、県道の両側に建ち並ぶ家々や商店について話が弾んだ。あれは誰それの家だとか、あの店は以前はなかったとか、かつてのあの店は無くなって残念だとか、父母を中心にして、僕や弟が時折意見を差し込む感じでずっと話していた。これから親戚の見舞いに赴こうとするような神妙な雰囲気ではなく、僕ら家族は浮かれていた。父があちこち手術を繰り返し、歩行が困難になり、排泄にも少し支障を来すようになってからは遠くまで出かけることを控えていたのだ。なのでこれは久しぶりの外出で、しかも家族揃って(実際には末弟がいなかった。しかし彼は今フランスに住んでいるので不可能)の外出である。
 やがて、父が手術で何度も入院した医大の横を通り過ぎ、堤防を上って橋の上に出た。途端に視界が開け、河川敷を含む河川の全貌が眼前に広がった。青空と、輝く川面と、芝生で覆われた河川敷しかない光景であったが、とても美しい景色だった。僕ら家族は感嘆の声を上げ、「近所の川じゃあこうはいかないよね」とか「田主丸の方にもこんな景色を見る事が出来る場所があるらしい」とか「今度は是非ともそこに行きたいよね」というようなたわいもない事を、実際には方言で喋った。
 僕は心密かに打ち震えていた。さっき過ごしたほんの一瞬。あれは恐らく僕が小学生の時以来初めて経験する、我が家族の最も幸せな一瞬であったであろう。我が家は、僕ら兄弟が思春期を迎えた頃に意思の疎通が行われなくなり、共に過ごす事が困難になってしまったので、その後はロクな時間を過ごして来なかった。大人になったらなったで、住む場所がバラバラになってしまったので、たまの帰省で顔を合わせる程度だった。だからこんなにも心から和やかに笑い合う日が訪れるとは思ってなかった。僕が三年前に帰福した理由の一つに、もう一度家族というものをやり直す、というと大袈裟になるが、短くてもいいから家族らしい時間を過ごしてみようと思ったのだった。僕はそうして来なかった事がずっと気掛かりであったし、なんと僕はそれまでの二年ほどは家族と音信不通状態であったのだ。それまでの自分の行いを反省をしたというより、自分のやり残している事をようやく実行する気になったという感じだった。なので今回は、僕の想っていた事を少し実現出来たようで嬉しかったのだ。つくづく末弟が居なかった事が残念で仕方がない。

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 祖母は今日、介護施設から病院へと転居した。施設は看取りまですると言っているようだが、祖母は内蔵に病気を抱えているので、その点の医療的な対応が難しいとの判断で病院へ移る事に決めた。要は終末医療である。祖母の、百年以上も生きた女性の人生がもうじき終わる。

とある秋の日の散歩道

 先々週の月曜日だったか、午前中にウォーキングに出た。気温は高めで明るい陽差しの下、いつものように農道(と書くと畦道を想像するかも知れないがちゃんとアスファルトで舗装されている)を西へ抜けると、近くの幼稚園の子供達がどうやら散歩中であるらしく、みんな赤い帽子を被ってひよこのように歩道の一角に整列していた。僕は保育士や園児達と挨拶を交わしながら行き過ぎたが、道の脇には黄色く花を付けた背高泡立草が立ち並んでいた。
 それから僕は別な農道に入る。それは昔から在る道で、僕が子供の頃にはまだ舗装されていなかった。田畑の広がる地域を蛇行しながら南北に延びていて、その途中に今はもう使われていない資材ゴミ焼き場が在る。燃え残って積み上がった資材が生い茂った植物で覆われていて山のように見える。そしてその中には野生化した青紫色のアサガオが混じっていた。その農道は橋のたもとに繋がっており、河岸には釣り人が二人、少し離れて坐って川面に糸を垂らしていた。子供の頃の記憶を辿ると、釣れるのはコイかフナかタイワンドジョウのはずである。装備を見る限りでは、フナ釣りだと思われた。
 今度は川沿いの道を歩く。珍しく透明度の高い川の流れを覗き込むとコイが群れて泳いでいた。暫く歩くと二本の川が合流する場所があり、川面には十数匹のカモが泳いでいた。先頃まで居たシラサギやアオサギと入れ替わるように彼らはやって来る。てんでに泳ぎ回る彼らは楽しそうだ。
 暫く歩いてさっきのとは別な橋を渡り、対岸に沿う道を神社へ向かって西へ歩く。西鉄のガード下を潜り、色づき始めたイチョウの木を見上げ、駐車場から境内へ入る。石段を昇り山門を潜って本殿の前へ進み出る。賽銭を箱に向かって放り、鈴を鳴らさず(わざわざお出で頂くのは気が引けるような気がして)、二礼二拍手一礼。なかなか良い音が出せない。願い事をするのはどうにも照れる。
 その後境内を一回りして、山門の横を通り、鳥居で一礼して境内を出るとそこはまた別な橋(町を貫く県道が走っている)のたもとで、僕は再び橋を渡り、今度は東へ向かって川沿いの道を歩く。そしてすぐさま踏み切りの手前で右に折れ、坂道を下る。路地を抜けると、そこは僕が小学生の頃に住んでいた地域だ。なので見覚えのある古い家と、建て替えられた目新しい家が混在していて不思議な感覚を覚える。昔は時計屋・肉屋・魚屋・花屋・薬屋・醤油工場・ピアノ教室が建ち並んでいた通りに、今では醤油工場しか残っていない。僕は踏切へと向かって歩く。ちょうど来た二両編成の電車が通り過ぎるのを待ちながら、子供の頃から在る人家の手入れされた生け垣や庭木などを眺める。踏切を越えて真っ直ぐ歩いて行くと、家族が次に引っ越した家が在った地域に入る。実際には脇道から脇道へと入って行った先に当時住んでいた場所が在る。家屋自体はもう取り壊されているが、土地はそのままだ。
 脇道へは入らずにそのまま進むと、幼馴染みの家が左手に在る。そしてその家の前から右に折れて路地に入る。かつてその路地沿いには古い市営住宅が建ち並んでいた。建て替えの計画が進んでいて、今では三分の二くらいが取り壊されて空き地になっている。間取りは2DKくらいだろうか。小さな家だが、どの家もよく手入れが為されている。猫の額ほどの庭にも色々な植物が植えられていて、季節毎に楽しませてくれる。僕個人からすれば何故そのままにしておかないのかと思うが、古いままだと管理面で何かと不都合が出るのだろう。
 その道は駅へと向かう。しかしそのまま素直に繋がってはくれない。突き当たって右折してすぐに左に折れると、ようやく小さなロータリーに出るのだが、その手前に菜園が在る。いつ見ても雑草の一本も生えていない、手入れのよく行き届いた菜園だ。その日は主の老夫婦がサツマイモを掘り起こしていた。丸々と太って美味そうな芋であった。いつもは夫か妻のどちらかしか見かけないが、今日は二人揃っていた。菜園の敷地内に作業小屋を建てて、道具置き場にしたり休憩所にしたりしているようだ。農作業着も何だか小綺麗にしている。
 それからロータリーを渡り、駅前のマンションの一階に入った幼稚園の前を横切って脇道に入る。一軒家やアパートが立ち並ぶ区域ではあるが、心療内科の医院も在る。アパートの駐車場から一台の軽バンが出て来る。車の後部に資材や工具を積んで、屋根には脚立を二台乗せて、二十代であろう青年が二人、それぞれ頭にタオルを巻いて乗っている。出て来たアパートで、朝一で作業をしていたのだろう。ツナギの袖を捲り上げた腕でハンドルを捌き、意気揚々と走り去っていった。
 僕は彼らを見送りながら南へ歩き続け、突き当たりの道路を渡り、自宅へと帰り着いた。気温と、光の加減と、道々で目に入る色彩と、人々の穏やかな動きが見事に調和した、とある秋の日の散歩道であった。

平成二十七年正月記

 正月は二日から寝込んでいた。元日の午前に末弟の家族が埼玉へ帰り、やれやれ静かになったと午後を静かに過ごしていたのだが、夜になって急に身体が疲労して耐え難くなったので早めに床に入った。そして翌朝は頭と喉と背中と腰が痛くて起き上がれなかった。熱はあるがさほどでもなく、計ってはいないが恐らく38度少しくらいなものだったろう。大晦日辺りから咳が少し出てはいたのだけれど、突然の災厄であった。

 そこまではたまにある事なのでどうでも良いのだが、三日ほど寝込んだうちの前半は、覚醒した状態と昏睡した状態を行ったり来たりしながら長い時間を過ごした。時間の経過が感じられたのは、目を覚ました時に気付く部屋に差し込む光の量が変化するせいであって、痛みと苦しさに荒く呼吸しているだけの存在と成り果てていた自分には何も考える事すら出来なかった。ただし、目をつむってしまうと瞼の裏に映像のようなものが見えた。それは健常な時でもたまに見える抽象的な色彩パターンではなく、やけにリアルな具象ばかりであり、大きな意味でのパズルのようなものだった。鉄片を切り取った複雑な形のジグソウパズルのようであったり、悪質な人々であったり、文字としての恨み辛みを繰り返す言葉だったりした。それが何かの答え合わせをするかのように二つのものが組み合わせを確かめ、大概は上手くいかずに次のものに入れ替わった。それは4分の1拍子くらいの速度で入れ替わり、それがずっと続くのだ。ああ、とうとう頭がおかしくなったのかと思っていると意識が消える。その繰り返しだった。途中何度か家人から声を掛けられ、生返事をするという事を何度かしている。差し入れて貰った果実を食べたり、ポカリスエットを飲んだりもしていた。

 それから二日目の午後に目を覚ますと身体が随分と軽くなっていたので、どうにか起き上がって台所へ行きマンゴージュースを飲んだ。その時に気付いたのだけれど、口の中からフリスクの破片のような白い物質が驚くほど出てくるし、鼻をかめば血の混じった地獄絵のような粘液が出てくるし、下唇の皮が痛みもなくペロリと全部剥がれた。一体自分はどうしたのか。もしかしたら本気でヤバかったのではないか。考えると恐くなるので自室に戻って再び床へ戻った。身体を横たえて目を閉じると、瞼の裏の映像は見えなくなっていた。僕は深く安堵し、今度は長く眠った。
 しかし睡眠は浅かったようで、今度は夢をいくつも見た。それは映像の断片が脈絡もなく繋ぎ合わせられているようなもので、陰影が強く、色彩が派手な映像だった。しかも物凄く解像度が高くて、思わず(夢の中なのに)眼を凝らしたり前のめりになってしまった。内容は殆ど覚えていないが、人や風景だったような気がする。とても美しい映像だったと思うが、いささか疲れる夢だった。

 現在では完治はせずともだいぶ復調している。思い返せば珍しい体験だったので多少面白く感じるが、二度は御免である。初夢が一富士二鷹三茄子どころか、禍々しい魑魅魍魎のパズル絵だったとは恐ろしい。この体験が厄落としにでもなってくれれば良いと願うのと同時に、後から見た夢のように刺激的で美しい光景に自分の現実が飲み込まれる事を願ってやまない。

Cafe LEE

 数日前に見た夢の話。

 とある街の繁華街の裏通り、例えるなら、通りの空間の狭さと人通りの多さは新宿東口くらいの感じで、雰囲気は三宮辺りの小洒落たものだ。その通りの角を曲がってすぐの場所に喫茶店が在る。外壁は古ぼけたレンガのタイル貼りで、左側に位置する入口へは階段を二つ登る。狭い踊り場のような空間が在り、奥まったところに分厚い木製の扉。これも古ぼけていて、はめ込んだガラス窓から店内が伺える。その入口の扉の左側の壁、ここもレンガタイル貼りであるが、そこに高さ100mmくらいの大きさの真鍮の切り文字で「 Cafe LEE 」と屋号が貼り付けてあり、足元には観葉植物の鉢植えが置いてある。そして入口の右側には、道に面した外壁が600mmほど在り(柱の部分であるのだろう)それから更に右側は床から天井までの、黒い鉄製の格子枠にはめ込まれたガラス窓になっている。
 僕は学生時代にこの店に入り浸っており、社会人となってからも度々訪れていたようだ。そして今回は、閉店パーティー(とは言っても、通常の営業時間で、特別なメニューが追加される程度)が催される知らせを受けた僕は久しぶりに顔を出しに来たという訳だ。入口の外には小さなスタンドタイプの灰皿が置いてあって、そこで二人の年若い顔見知りが煙草をすいながら談笑していた。僕は二人に声を掛け、二言三言の言葉を交わして中に入った。

 入口の扉を開けると正面に木板の狭い壁が在り、其処には2号キャンバスくらいの小さな、額縁に納まったルオーの宗教画のような絵が飾ってある。その壁の向こう側、奥に向かって右側には5人分のカウンター席が列んでいる。木壁の左側にはスイングドアが在り、その奥が厨房だ。コンロが二つと、その横のステンレス製のキッチンカウンターの上には何本ものサイフォンと白いカップと皿が所狭しと並べてある。通常この店では、珈琲や紅茶と幾つかの銘柄の麦酒とグラスワイン、軽食としてサンドイッチやケーキ、ナッツ類しか出していないので、厨房も簡素だ。
 そして店の右側には、表に面した窓際には二人掛けのテーブル席が三組、奥側の壁に沿って四人掛けのテーブル席が三組在る。テーブルも椅子もそれぞれに、これ以上想像つかないくらいに何の変哲もない形状の、これまた古ぼけたものだ。何十年分もの傷が刻み込んであり、染みもグラデーションのように拡がっている。客席の突き当たり、表の通りから見れば一番左には出窓が在り、ステンドグラスがはめ込んである。
 フロア全体は木製の床で、人が歩けば靴音が響く。表通り側の床から天井までのガラス窓は固定されて開けないが、その上部に排煙窓が在り、春や秋の過ごしやすい季節には空調を止め、そこを開け放っている。天井も高くて、二基のサーキュレーターがゆっくりと回っている。店内に流れる BGM は音を絞ったジャズのみだ。

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 僕が店に入り、ちょうど出くわしたマスターに挨拶をし、他に常連客が来ているのか訪ねると、テーブル席から学生時代の友人が声を掛けてきた。窓際の席に着いて友人とあれこれ話していると、ポツポツとかつての常連客が店に入ってきた。奥の席に座って、マスターと話している僕と同年代の女性客には見覚えがある。カウンター席で喋っている老境に入った二人の男性は、かつても同じようにその席で話し込んでいた二人だ。その他にも、よく知る者、よく知らない者、初めて見る者、多くの客達が入れ替わり立ち替わり店に入ってきては、珈琲や麦酒を呑んだり、特別メニューのピザやキッシュを食べ、マスターや歴代のウエイトレス達と言葉を交わしていた。

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 以上、それだけの夢なのだけれど、情景描写と空間認識ばかりの夢というのが珍しいので、記録しておく。

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