DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: economics (page 2 of 4)

 中東地域全体が抱える矛盾についても触れてみたい。
 九月一一日の同時多発テロ以降、イスラム原理主義やテロ組織の存在が再びクローズアップされてきたが、結論的には、将来中東世界が自らカオス状態に陥る可能性が高いと言わざるを得ない。その理由は大きく三つに大別される。
 まず第一に、アラブ・イスラム世界、特にアラビア湾岸の産油国はどこも人口爆発に悩まされており、今後若年層を中心とした失業率の高まり等を通じて社会の不満が鬱積するのが確実であることである。
 第二に、ほとんどの国の政治体制が、王政や権威主義的な体制、あるいは独裁体制であり、民主主義体制が十分に確立されておらず、社会の不満の鬱積を緩和する政治装置として適切でないこと、また、これらの体制が民主主義的な体制に変わる場合には、大きな紛争・混乱が不可避であると考えられることである。
 さらに、最後にこれら諸国の経済基盤のほとんどすべてが、石油または天然ガスの輸出に依存しているが、価格変動が大きい国際石油市場等の影響を受ける脆弱なものであることである。
 以上三つの要因は相互に関連している。一つの要因が悪化すれば、連鎖的に他の二つも悪化する構造になっている。また、大産油国の王族など富豪と非産油国の一般大衆との所得格差は極限的な状況となっており、格差解消の道筋はまったく見えない。
 このように、世界の石油輸出の中心であり、日本をはじめアジア諸国がその石油輸入のほとんどを依存している中東湾岸地域は、元来長期的には非常に不安定な地域である。
 経済躍進が著しく、これによって政治の民主化や社会の安定感が増しているアジアの状況とは大きく異なり、むしろサハラ砂漠以南のアフリカと同様で、地域の安定に向けたシナリオがほとんど書けないのである。

石井彰/藤和彦著『世界を動かす石油戦略』ちくま新書 2003年 pp.118-120

 事務所建設、ゴルフ場開発、リゾート開発などのためには土地を必要とします。これらのための貸出(つまり不動産融資)は、土地需要を高めることにより、地価の上昇を招きます。実際に、東京都の商業地の地価は一九八〇年代初めから上昇しはじめ、その地価上昇が周辺部に波及しました。東京圏では、一九八七年から八八年にかけて地価が一年で二倍にもなるといった地域が出現したほどです。東京圏の地価高騰は、やがて大阪圏に飛び火し、そこでも地価が急騰します。
 地価が上昇すれば、それだけおカネを借りるときの土地の担保価値が高まります。銀行やノンバンクなどは、土地を担保にとって、安心して貸出を増やそうとします。それが再び地価を引き上げ、それにともなって、さらに土地担保価値が上がり、価値の上がった土地を担保にして、いっそう貸出が増え、それがさらに地価を引き上げる、という連鎖が働き、地価は天井知らずで急騰し続けました。こうして、土地バブルが起きたのです。
 以上のようにして、一九八〇年代半ばから九〇年代初めにかけて、企業は土地をどんどん購入し続けました。この土地購入のための資金は、ほとんどが銀行やノンバンクからの借入金によってまかなわれました。
 この企業の旺盛な土地購入に対して、土地を売ったのは家計でした。土地を売った家計の多くは、売却代金をせっせと定期預金や定額貯金で運用するとともに、株価高騰の波に乗ろうとして、株式投資も拡大しました。
 以上から、一九八〇年代半ば以降から九〇年頃までの土地バブル期に、土地を売って巨額の富を得たのは家計で、企業は高値で土地を買って、土地バブルの崩壊によって巨額のキャピタル・ロス(値下がり損)をこうむることになります。
 土地バブル期には、株式バブルも発生し、株価が急騰しました。バブル期に株式を購入した最大の部門は金融機関でした。一九八六年以降、金融機関の株式購入額はそれまでよりも一ケタ上がって、一三兆円から二〇兆円に達しました。同じ期間に、非金融法人企業の株式購入も、それまでよりも一ケタ大きくなっています。しかし、株式バブルも一九九〇年代に入って崩壊し、株価は暴騰します。
 以上から、株式バブルの崩壊によってもっとも痛手を受けたのは金融機関、次いでそれ以外の企業です。家計部門はこれらの部門にくらべると、あまり痛手をこうむらなかったと考えられます。

岩田規久男著『日本経済にいま何が起きているのか』東洋経済新聞社 2005年 pp.56-58

 銀行も株式を大量に保有していますから、株価が下がると、預金の払い戻しに応じることができなくなる可能性があります。二〇〇四年現在、普通預金は一人一行一〇〇〇万円とその利子までしか保証されていません。二〇〇五年四月からは普通預金と定期預金との区別はなくなり、預金は一人一行当たり一〇〇〇万円とその利子までしか保証されなくなりました。
 大量の不良債権を抱えた銀行が保有株式の下落によって債務超過(銀行が保有している資産よりも預金などの負債の額が大きくなること)に陥れば、預金のうち一〇〇〇万円を越える分については、払い戻しされなくなるリスクがあります。さらに、二〇〇四年三月まで普通預金が全額保護されているといっても、それを保護するためのおカネは税金です。預金者の多くは同時に納税者ですから、預金者は税金を納めて自分の預金を守っているにすぎないのです。

岩田規久男著『日本経済にいま何が起きているのか』東洋経済新聞社 2005年 pp.29-30

 日本でも一九二〇年代は、デフレはおだやかなものにとどまっていましたが、一九三〇(昭和五)年と三一年は消費者物価の下落率は一〇%台にも達しました。この強烈なデフレにともなって、一九三〇年と三一年の実質GNPの成長率は大きく低下しました。のちに歴史家は、一九三〇年から三一年にかけての不況を昭和恐慌と呼ぶようになります。
 このときのデフレでもっとも大きな打撃を受けたのは農村でした。コメなどの農産物価格がほぼ半分になり、繭などは半分以下になってしまったからです。

 (中略)

 農産物の価格が半分から半分以下になってしまったのでは、いくら何でも農民は暮らしていけません。そこで、農村では生活できない人々が大量に都市へと流出しました。しかしデフレ下では、勤め先をみつけることは望みえず、失業者が増え、賃金は低下し、都市の人々の生活もまた困難に陥りました。
 企業は大幅な人員整理と賃金の引き下げを実施しました。温情主義的で円満な労使関係を誇っていた鐘紡ですら、賃金の四割カットが発表されると、大ストライキが発生しました。
 農業収入が減る一方、紡績や生糸産業も不況のため、娘たちは工場へ出稼ぎに行くこともできなくなり、農民は頼母子講や高利貸しから借金するしかありませんでした。少なからずの農家が借金返済のために娘を身売りさせなければならないという、苦境に追い込まれました。
 このような農村の窮乏を、青年将校たちは農村出身の新兵を教育するうちに知ることになります。一九三一年の三月事件にはじまる青年将校のクーデター参加、その後の一連の政治家暗殺事件発生は、こうした青年将校たちの農村・農民への同情と正義感に基づくものが多かったのです。
 デフレ不況を引き起こした当時の首相・浜田雄幸は、右翼青年によって東京駅で狙撃され、その傷がもとで死亡しました。浜口内閣の蔵相・井上準之助も、一九三二年二月に、そのときにはすでに蔵相を退いていましたが、選挙応援演説の最中に、血盟団によって暗殺されてしまいます。

岩田規久男著『日本経済にいま何が起きているのか』東洋経済新聞社 2005年 pp.20-22

 第1章で、高速道路の混雑を解消する手段として、高速道路料金の引き上げが有効であること、そして引き上げた料金で高速道路を拡幅したり、新しい高速道路をつくることが有効であることを述べた。実は、高速道路で渋滞が起きる現象も市場の失敗の例である。つまり、高速道路の料金が低過ぎるために、高速道路のサービス供給能力に対して利用量が過大になるのである。道路の渋滞によって利用者はお互いに速度の低下という不利益を与え合う。この不利益は外部不経済に伴う費用に他ならない。ところが、高速道路の利用者は自らが利用することによって他の自動車の速度が遅くなるということ、つまり、他の車の利用者に及ぼす外部不経済を考慮して行動しない。そのために、道路の渋滞が起きるのである。この問題を解決するには、一台の自動車が走る時に他の自動車の速度が落ちるという外部不経済を考慮した上で、高速道路の料金を決めることである。

岩田規久男著『経済学を学ぶ』ちくま新書 1994年 pp.158-159

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