DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: fiction (page 2 of 2)

小五郎 05

 去年の冬辺りから小五郎の姿を見かける事がなく気になっていたのだけれど、時期を同じくして夫人の姿も見る事がなかったので、行方を尋ねる相手もおらず、結局、寒い季節なのだから外には出たくないのだろうと考える事にしていた。ところが、年を越し春が訪れて暖かくなってきた頃に、物凄く久しぶりに小五郎と夫人が通路で戯れているところに出会す。この日の夫人は寝間着にガウンを羽織っただけの姿で、そして完全にノーメイクであった。学生の頃ならいざ知らず、家族でもないし恋人でもない女性の化粧を落とした素顔を見知っているというのは、実に微妙な気持ちになるものだ。その顔に深く刻まれた皺の示す時間の経緯を何一つ知らないのだから、何となく怖い気もしてくる。しかし夫人そんな状況にまったく頓着しない様子で、こちらからは何も尋ねていないのに勝手に喋り始めた。

 どうやら小五郎はリンパ系の癌を患っていたらしい。リンパ系、と言われてもよく解らないが、夫人にしてもよく解っていないようなので病状に関する詳しい事は言わなかった。そう言えば去年の冬に姿を見かけなくなる少し前辺りから、僕が声をかけても小五郎は大儀そうに尻尾を動かすだけだったり、果てには何一つ反応しない事が続いていた。小五郎が僕に対して腹の立つ態度を示すのは茶飯事であったので、僕はさして気に止めていなかったのだが、実はあの時既に病に因り反応すら返す事が出来なくなっていたのかも知れない。小五郎は季節毎に体重の変動が激しく、その時はかなり痩せていたように思う。
 夫人は小五郎が日増しに元気を無くしていく事を不審に思い獣医に診せたところ、癌との診断が下され、取り敢えず投薬に因る治療を続けながらも、これはもう駄目だろうと自分の部屋に小五郎を連れ帰って、最期を看取ろうという腹づもりであったらしい。小五郎もかなり弱っていたので大人しく夫人の部屋で寝て過ごしいたのだが、思いの外それ以上悪くなる事はなく、徐々に体力を回復させ続け、遂に数日前に部屋から外へ出る事が出来たのだという。

 ★

 これが昨冬来の顛末である。小五郎は幾分ふくよかになった腹を敷石に擦りつけたり、ごろごろと転がり腹を見せて夫人に甘えてみせたり、隣家の植栽に顔を突っ込んで僕には見えない何かを探していたりする。春は再生の季節というが、小五郎もまた再生したのだった。

 - – –

このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

小五郎 04

 前回小五郎は女にモテるという話をしたが、では男にはモテないのか。これについては些か判断が難しい。このマンションには僕が知っているだけで5人の男が住んでいる。少ないような気がするだろうが、小さなマンションだし空き部屋も在るようなのでこれが住人の男の全てだろう。男女の比率で言えば若干女が多いくらいだろうか。そんな中、男の住人が小五郎に対して何かしら声をかけたり頭を撫でたりしているところを僕は見た事がない。通行人にしたってそうだ。この事実だけを元とすれば小五郎は男にはモテない、という事になる。しかしながら、僕が他の住人達を顔を合わせる事は非常に少ない故、僕の窺い知らぬところで小五郎は可愛がられているのかも知れない。世の中には猫好きの男なんてたくさん居ると思うのでその可能性は否定出来ない。それにしても、一度も見た事がないのは何故なのだろうか。どうも腑に落ちない。まさか小五郎が雄猫だからという理由ではあるまい。

 そして僕の場合、小五郎を見かければ必ず声はかけるし手近に居れば頭を撫でる。日に拠って逃げられてしまうのは、僕が時々尻尾を引っ張ったりして悪戯をするせいなのだろう。声をかけたり頭を撫でたりする事も含め、どうしてもちょっかいを出さずにはいられないのだ。これはもう僕個人の癖というしかない。猫に限らず、昔実家で飼っていた犬にもそうだったし、気に入った女が居れば必ずそういう事をしてしまうのだ。そしてこういう事を続けていれば、何れは嫌われてしまうというのがオチだ。小五郎にしても、神妙な面持ちで頭を撫でさする事を許しているが何処かしら警戒している雰囲気が在る。

 気がついた事がひとつ。小五郎は僕や他の愛好者達の前では決して鳴かないのだ。大人しく可愛がられてはいるが声を発する事がない。しかし静枝夫人が一緒に居る場合だけは何故かしら如何にも猫らしい声で鳴くのだ。日が沈み、だいたい晩の七時頃になると夫人は小五郎に餌を与える為に部屋から出てくる。その音を聞きつけた時の小五郎の態度ったらないのだ。そこまでやるかと思う程に甘ったるい声で鳴いて夫人を呼び寄せ賞賛する。その間どんなに口汚く夫人から罵られようと鳴き続ける事を止めない。何というか、何処までも己の欲求に従い一番効果的だと思える行動を取る。その正直さには恐れ入るものがあり、愛でられる側の強みと言おうか実に羨ましい限りである。

 - – –

このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

小五郎 03

 世の中には猫が嫌い、そもそも動物が嫌いという人は結構居るようで、このマンションの通りに面した残りの三方の内二方を猫嫌いな民家に囲まれている。小五郎に限った事ではないが、近所の野良猫どもは家々の塀の上や犬走をそれこそ走り回り、己を嫌う人間達に平気のへの字で嫌悪感を抱かせ続けている。その事に業を煮やしたその二軒が区の保健所に苦情を申し付け、或る日突然マンションの敷地内に鉄骨とコンクリートを用いた鼠返しならぬ猫返しを設置したのである。この行いを目の当たりにした静枝夫人は怒り心頭に発し、この猫返しの設置を許可した管理会社の担当者を散々に苛め続けたのであるが、結局は折れたようだ。それもそのはず、このマンションでは動物を飼ってはいけない事になっている。
 それから暫くした後に、小五郎がこの猫返しの上から地面へ飛び降りる際に着地に失敗して脚に怪我を負うという事件が起きるのだけれど、この時の事は根深い恨み節となって僕は夫人から幾度となく聞かされる事となった。

 そんな風に時には憂き目に遭う小五郎であったが、基本的には人気者である。特に女には。寒い季節でもなければ大体は、マンションの入口付近にいつも駐めてあるスクーターのシートの上に鎮座し通りを眺めている事の多い小五郎であるが、元来が美しい猫であるせいか、往来を行き交う女達の何割かは小五郎を見遣りながら通り過ぎていく。そんな時小五郎は面前を通り過ぎる人間の事など気にする様子もなく澄ました顔で通りを眺めている。やがてその内の何人かは小五郎にそっと近づき頭を撫でようとするのだが、ここからが小五郎の本領が発揮される。自分を可愛がりたいという欲求を持つ人間に対してどういう態度を取れば良いか実によく心得ている。頭に手を置かれても決して退いたりせず、ほんの少し首をすくめたまま、人間の思うがままに撫でさせる。そして人間が十分だと思う少し手前くらいに、今度は小五郎の方から頭をその置かれた手に押しつけていくのである。そんな事をされると人間の側としては嬉しくって仕方がないようで、撫でさする手の動きを早め口元に笑みを浮かべてすらいる。ここまでも人間の驕慢さを熟知した猫もそうは居まい。小五郎は決して野良ではなく、人間に飼われる事に拠ってもたらされる恩恵を最大限に活用して生き長らえてきた、言わば遣り手の放蕩猫である。

 - – –

このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

小五郎 02

 この小五郎、事実上は静枝夫人の飼い猫である事は間違いないのだが、当の夫人がその事実を認めたがらない。彼女曰く「迷い込んだ野良猫の世話しているだけ」との事だが住人の誰もがそうは思っていない。そんなものは世間体を気に病んだ上での戯れ言に過ぎない。夫人は事ある毎に、元々猫好きで小五郎以外にも何匹もの野良猫の世話をしているのでその一環である、というような内容の話を少しずつ変化させながら僕に話して聞かせるのだが、夫人が他の猫の世話をしているところなど一度も見た事はない。阿保らしいのでその類の話は全て聞き流す事にしている。その話を僕だけにしているとは到底思えないので、他の住人達も同じ様な思いで夫人を眺めているのだろう。
 更に夫人の悪いところは、立ち話の際に話題が小五郎に移ると途端に悪口を言い始める。勿論小五郎のである。やれ世話が焼けるだの、やれ言うこと聞かないだの、餌代やたまにかかる病院の治療費が嵩むだの、小五郎が居るおかげで旅行にもいけやしないだの、それはもうありとあらゆる理由をつけて罵る。しかしその罵り言葉の端々に小五郎に対する依存を感じさせるのが、これまた面倒臭い。誰よりもその野良猫を必要としているのはあんたじゃないか、と言いたくなるのも当然だが、でもそんな事は言わない。燈刻となり、近くのスーパーで総菜や生鮮食品が安く売り叩かれる頃になると、小五郎の為に鶏のササミを買いに出かける着飾った後ろ姿は何処か物悲しい。事実を突きつける事が全て正しいとは言い切れない、とそんな事を思う一瞬である。

 - – –

このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

小五郎 01

 野良猫もふとした機会に人間に馴染み、餌付けされ、幸か不幸かそうした生活を続けていればここまで堕落するものなのだろうか。僕は室外機の上にひっくり返って寝ている猫の小五郎を打ち眺めてそう思い遣った。

 - – –

 この小五郎、およそ三年くらい前の或る日にこのマンションの敷地内に迷い込み、外部階段の物陰に潜んでいるところを此処の住人である静枝夫人に見初められそのまま保護されたのだそうだ。この静枝夫人という呼び名は僕が勝手にそう自分の中で読んでいるだけの話で実を言えば本名は知らない。向こうから名乗る事もなければ僕から呼びかける事もない。塀無き空間に於いて個人を守らねばならない都会暮らしの中ではそれも取り立てて不思議な事ではないし、たまに顔を合わせる程度であれば何の不都合もないのである。僕が出勤する朝や帰宅時の夜に見かける時には夫人は部屋着そのままで、敷地の内で小五郎に餌をくれていたり亦は小五郎の寝床の掃除をしていたり、そうでなければ玄関前を掃いていたりしている事が多い。しかし休日の昼間、稀に何処かに出かけるか若しくは何処からか帰ってきた様子の時には大概は派手に着飾っている。その派手さというのが何処かしら常人のそれとは違い、どちらかと言えば夜に似合うような格好である事から、僕は彼女が酒と女を提供する類の仕事をしていたのだろうと踏んでいる。愛想は良いが口は悪い。いつぞやは立ち話の中で客の引き方とあしらい方について講釈を頂いた覚えもあるので、恐らく間違いないであろう。既に老婆と呼んでも差し支えないくらいの年齢に達しているが、現在は一人暮らしである。

 猫の話に戻る。小五郎というのは静枝夫人が名付けたものだ。僕は彼女がそう呼ぶからそれに習っているに過ぎない。一度訳を尋ねた事があって、その時の答えは「呼びやすいから」との事であった。小五郎はアメリカン・ショートヘアで銀色に黒の縞模様。このマンションに来た当時は既に仔猫ではなかったが、若々しく美しい雄猫であった。成長した今ではそれに精悍さも兼ね備えている。
 さてこの迷い猫、雑種の野良としてこの世に生まれ落ちたとは到底思えない容貌で、何故このマンションに迷い込んで来たのかが何とも不思議に思えるが故にマンション界隈では様々な憶測が立っていたのだが、つい半年ほど前にその理由が判った。突き止めたのは勿論静枝夫人。実は二つ向こうの通りに面する或る一家の元に生まれた四匹の仔猫の内の一匹であるらしいのだ。かつて静枝夫人はこう言っていた。「この猫は人間に飼われていた形跡がある」と。野良にしては人間に慣れ過ぎているという事らしいが、それもこれで合点がいくというものだ。しかしながら、何故小五郎は生まれ育った家を出る事になったのかは謎のままだ。夫人もその事については尋ねていないらしい。何か気になる事があれば何処までも追求する癖のある夫人にしてはやけにあっさりと引き下がったものだ。僕の与り知らぬところであるが、近所付き合いの中に余計な波風を立てたくなかったのかも知れない。

 そして小五郎と言えば、たまに近所を彷徨く事はあっても、基本的にはマンションの敷地の内に居座り続け、まるで王様のような顔をして暮らしている。

 - – –

このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

Newer posts

© 2024 DOG ON THE BEACH

Theme by Anders NorenUp ↑