DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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彼女はサイボーグ / クァク・ジェヨン

 言ってみれば童貞脳で創り上げられたドラえもんベースの恋愛物語。クァク・ジェヨンが監督で綾瀬はるか主演というだけの理由で何となく観に行ったのだが、観終えた後どうにも気になって仕方がないので次ぎの日にも観た。で結局3回観たのだけれどそれでも飽きたらずにとうとうDVDまで買ってしまった。ゲロを吐くシーンなんてどうやったって好きにはなれないし、観ていて恥ずかしくなるシーンが幾つもあったりするのに何故繰り返して観たくなるのか。
 この映画の中の綾瀬はるかが超絶可愛いという事ははっきりと言える。しかしそれだけでは説明できないので繰り返し観ながら色々と考えてみたのだが、よく解らない。僕はは自分が嫌いなものに関しては色々と考察してその理由を突き止めるのだが、好きなものに関しては「好き」という時点でそれ以上は余り考えなくなるようだ。なかなか考察するまでに及ばない。

 迫るくる危険から主人を守り、主人の不都合を退け手助けする事を最優先事項として行動するように造られたロボット。それを単なるプログラムであるとして感情を切り離す事が出来るというのなら、人と人との間に存在すると言われる愛情とは一体何だろうね。

渚のシンドバッド / 橋口亮輔

 先に書いておくと、登場人物の一人が浜崎あゆみである事に、エンディングロールを見るまで気がつかなかった。
 まあそれは良いとして、己の内なる欲望や欲求に対して羞恥心や罪悪感のようなものを持っている人間にとっては、思春期はまさに地獄の季節である。募り高まる性的な欲求と傷つきやすい自尊心とが最早膠着状態となり、対象を目の前にしてしまえば、世界と自分との距離感を全く掴めずに混乱したまま全てを告げてしまう。それは勿論自分自身と対象となる人間しか目に映っていないからであるが、そういう無様な若い人間の姿も、少し離れた場所から眺めれば結構美しく思えるものである。
 この映画ではそういう事が正確な上に密度をもって描かれている。しかもそれが次々と映し出されるものだから、観ているこちらとしては思わず一時停止ボタンを押してしまうのである。もう見ていられないのだ。かといってそれで観るのを止めてしまう事はなく、腹をくくり息を止めてまた再生ボタンを押す。

 誰かに受け容れられ安心出来る事を、不器用極まりないアプローチで追い求める登場人物達は皆必要以上に傷つき、そのまま生き続けていく事を恐れている。その恐れの中、傷つかず傷つけずに安心して生きて行くにはどうすれば良いのか。混沌とした迷いの中、彼らは懸命に日常を過ごして行く。
 この流れで言えば、次作が「ハッシュ!」となるのは凄く解る。橋口亮輔は一貫して、人の生き方を追い求めているのだと思う。僕はこういう作家が好きだ。音楽にしろ文学にしろ何にしろ、人の一生を描いたものはとても愛おしい。それがカテゴライズとして何と呼ばれるかなんて事は本当にどうでも良い。

 ★

 印象的だった場面を幾つか。

  • 浜崎あゆみ扮する、過去に強姦された経験を持つ女子高生が、精神科医との面談時にこう話す。「私、やられてる時にも人の身体って暖かいんだなあと思った。だから、私は人の温かさというものを信じない。」
  • 撮影の舞台となった長崎の美しい風景。蜜柑畑を抜けた先の陽の光に溢れた浜辺。
  • 山口耕史扮する男子高校生が、自分が河に沈めた自転車を引き上げ、それに乗って走る場面。自転車を駆る少年は美しい。

ぐるりのこと。/ 橋口亮輔

art_20080622 私見だけれど、鬱病というのは上手くいかない自分の生活や人生に対して著しい自責の念を持ち、それが行き詰まった時点で静かに発症するのではないだろうか。何かしら不都合が起きれば、何でもかんでも他人のせいにしてしまう人は鬱病にならない気がする。しかしそんな事をし続けていれば何れは周囲の鼻つまみ者になって、あらゆる人達から敬遠されてしまうだろうから、そこで行き詰まれば病気になるのかも知れない。そうなっても尚自分の置かれた状況を認める事が出来ない場合、事ある毎に理屈の通らぬ理由で他人を傷つけようとするのではないか。
 話が逸れた。自責の念、と書いたが少しニュアンスが違うような気がしてきた。どちらかと言えば「恥」という言葉の持つニュアンスに近い。「誰からも許して貰えない」と思っているが、実は自分を許さないのは他人ではなく自分自身であり、しかもそれは現在の事柄だけではなく過去の出来事からも苛まれる。他人からの評価を自己を越えた最終評価として捉えてはいけない。例え誰からも許して貰えなくとも、自分自身がそれを許す事が出来なければ生きていけない。どんな事が起きようともそれは仕方がないのである。

 さて、先にも書いたようにこれは私見であるので、万人に当てはまる事だとは考えていない。そういう領域まで辿り着けない人だっている。しかもこれは最深部での話であるので、次の上層では他者に拠る許容を渇望するようになる。そういった場合、傍に居る信頼する人から許される事は、鬱屈した状態から浮上する助けとなるだろう。少なくともその人の前では自分が存在する事を許されるのだから。他者は自分を救う事は出来ないけれど、自分自身を救うきっかけにはなる。そこに淡い希望を持つ事が出来れば生きていけると思う。

 感想と呼ぶには程遠いが、だいたいそういう内容の映画だったと思う。今現在落ちている人にとっては刺激が強いと思うので、余り薦めはしないけどね。

 ★

 この映画を観ている最中、主に終盤辺りには劇場内の方々から鼻を啜る音が聞こえてきた。皆、日々大変な思いをしながら生きているんだなあ。その人達にとってこの映画が何かしらの手助けになれば良いなあ。と勝手な事を思っていたが、実際にその人達がどう思っているかは解らない。ただ、少なくとも僕はこの映画が在って良かったと思う。

 余談だが、今夜セックスするしないで揉めるリリー・フランキーと木村多江の長回しの場面がとても楽しい。

真夜中の映画館

 先の火曜日、僕は仕事の帰りに「僕の彼女はサイボーグ」を観てきた。場所は新宿バルト9。映画館に足を運ぶ事の少ない僕は、新しく出来たこの映画館の存在を今回初めて知ったのであるが、この映画館は良い。なんたってミッドナイト上映と称して遅くて27時頃までやっている。さすが不夜城新宿である。夜中まで遊ぶ客達か、それとも店を開いてる飲食業従事者達を当て込んだのだろうか。それにしても27時終演というのが絶妙な時間設定である。朝の3時に放り出されても行く所が無い。
 今回僕が行ったのは22時終演の時間枠であったのだけれど、夜も深く、この季節特有の湿気を帯びた繁華街に放り出されるのはなかなか良い。何処かで一杯引っかけるか、腹が空いていれば蕎麦でも手繰って、家に戻ればシャワーを浴びてそのまま寝て仕舞えば良い。これまで仕事の帰りに映画を観て帰るなんて習慣のなかった僕には楽しい経験であった。暗い場所で映画を観た後に、目の眩むような陽の光に晒される事を不快に思っていた僕にはうってつけの映画館である。
 であれば、休日の遅い時間から始まる映画を観たら良いじゃないかと思うかも知れないが、これがまた微妙な問題で、夕刻になって外へ出かけるというのがどうにも好きではないのである。子供の頃からの習慣が抜けきれないのだ。

男はつらいよ、の効用

 昨日続けて書こうとしたのだが、趣きが違うので別エントリにした。

 世の中を見渡すまでもなく普通に生活していれば、身近に接する人達の中にも、目には見えないが確実に存在している不幸を目の当たりにする事がしばしばである。見たくもないのに、何の相談もなく僕の目の前に開かれたそれらは、これまた確実に何かを蝕む。そんな事にはもう本当にうんざりしているのに、わざわざ、というか好き好んで世の中の不幸をただ並べたようなものを観たくないし読みたくもない。状況が違えば別な感じ方もするのだろうけれど、とにかく今は見たくない。
 このシリーズ、マンネリで面白みに欠けると言えばそうなのだけれど、蝕まれた心を補強する何かを持っていると思う。殆ど様式と呼んでも差し支えない程の、貧乏や不器用さとそれを笑い飛ばすだけの寛容さに溢れた物語は、ちゃんと世界は成立していたのだという幻想を観る者に与えてくれる。物語の最後には誰かが必ず幸せになり、そして誰かはそれを尻目に旅に出る。こんなにも美しいお伽噺。それを観たなら、僕はようやく安心して眠る事が出来る。

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