DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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 ところが、盧溝橋の抗日戦争記念館は、戦争は一八七四年にはじまったとしている。この年、日本は、一八七一年に沖縄本島やその他の琉球列島の漁民五〇人が台湾に避難した際に虐殺された報復として、台湾に上陸した。朝鮮半島や台湾との距離が、日本の九州からの距離とほとんど変わらない南西諸島の琉球王国を、日本は公式に自国領であると宣言したところだった。この琉球併合は、日本の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権主張の根拠にもなっている。この問題も、解決されていない。付近の海底油田とガス田に加えて、排他的経済水域を日中のどちらに優位に決定するかという問題がかかわって、いまの尖閣諸島は重要な存在となっている。だが、この争いの根はもっと深い。琉球王国は、中国に朝貢しており、何世紀にもわたって日本と中国の両方の文化を受けていた。現在の沖縄はアジア最大の米軍基地を擁しているが、中国と日本の歴史的摩擦の最前線に位置している。日本は、琉球併合と台湾上陸を皮切りに、東アジアの中心を自負する中国の地位を脅かす行為を開始した、と中国は解釈しているわけだ。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 pp.253-254

 一九〇四年から〇五年の日露戦争で、日本軍は旅順のロシア軍を撃破、遼東半島南端の租借権を得て、南満州鉄道をロシアから譲渡された。さらに、鉄道保護のために守備兵を置く権利を得て、その後、清国の承認を得た。この駐留部隊が、関東軍の前身になった。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 p.243

 国際政治学や国際関係論においては、一六四八年のウエストファリア条約後における三〇〇年間の欧州のように、主権国家間の勢力均衡的なパワーゲーム(ゼロサム・ゲーム)、すなわち、紛争的性質が国際関係の本質であると捉え、近年における経済や情報・文化のグローバル化の進展によっても、主権国家の卓越性や基本的な国家機能は変わらないとする前提で数理モデルなどで分析する立場と、グローバル化の進展やEUやIMFのような国際機関、さらにはグリーンピースなどのNGO(非政府組織)、インターネット等の台頭が主権国家の性格を変えたり、国家間関係の性格をより協調的にする、いわばノン・ゼロサムゲーム的に変化しているという前提で分析する立場とがある。
 前者がこれまで特に米国においては伝統的にどちらかというと主流をなしてきた「リアリズム」の立場であり、軍事戦略家とも相性がよい。ブッシュ政権のライス特別補佐官やウォルフォウィッツ国防副長官などもそれに当たるとされている。
 後者はリベラリズム(政治思想におけるリベラルとは必ずしも同じではない)、またはその発展型であるグローバル・ガバナンス派と呼ばれる考え方であり、経済学者・エコノミストや石油・エネルギー専門家の考え方と比較的相性がよい。クリントン政権下で国防次官補を務めたハーバード大学教授のジョセフ・ナイなどがこれに当たる。

石井彰/藤和彦著『世界を動かす石油戦略』ちくま新書 2003年 p.26

Photography of HONG KONG DEMOCRACY

これらの画像はインターネット上から集めた。なので僕にはこれらの画像を使用する権利は無い。しかし、これらのものを後年に伝える為に残す事は必要だと考えるので、これらをストックする事にした。

香港市民に真正なる普通選挙の権利を。

I gathered from the Internet these images. So there is no right to use these images to me. However, because I think that it needs to leave in order to tell in later years these things, I decided to stock these images.

Give the right of universal suffrage in Hong Kong a genuine citizen.

我從網上收集的這些圖片,所以就沒有使用這些照片給我的權利,但是,因為我認為它需要為了告訴在以後的歲月裡這些東西離開,我決定去購買這些圖像。

給予普選香港權的真正公民。

因みに、自分が知ってる文法や単語でどうにか文章を調整出来るのは英語だけで、繁体中国語は英語からの機械翻訳である。なので所々間違ってる可能性は高い。

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軍服

 一昨日の夜「坂の上の雲」を観ながらつらつらと考えていた。軍服というものは機能が最優先であるはずなのに、昔のそれはどうしてああも美しく作られているのだろう。装飾も華美だ。昨夜初めてそう思った訳ではなく、以前からそれは感じていた。
 そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。

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