June 2009
愛と誠
早乙女愛である。太賀誠である。石清水宏である。しかしながら読んだ事はない。絵柄は知っているが内容は知らない。週刊少年マガジンにて連載が始まったのは1973年。小学校に上がって間もない僕が、劇画調で内容のキツそうなこの漫画を読んでいるはずもない。後年になって彼方此方でたまに取り上げられているのを見聞きして、何となく雰囲気だけは掴んでいるような感じだ。
んで、つい先日何故かしらこの漫画のタイトルが頭に浮かび、興味がなくもないから興が乗れば読んでみようかな、などと考えながらポチポチと検索していたところ、どうも面白いらしい。しかも左記のサイトを開く際のダイアログにも出てくるが、この漫画のタイトルの由来になっている言葉がなかなか凄いので非常に気になってきた。
んで、つい先日何故かしらこの漫画のタイトルが頭に浮かび、興味がなくもないから興が乗れば読んでみようかな、などと考えながらポチポチと検索していたところ、どうも面白いらしい。しかも左記のサイトを開く際のダイアログにも出てくるが、この漫画のタイトルの由来になっている言葉がなかなか凄いので非常に気になってきた。
愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである――わが子よ、この事を覚えておきなさい。ネルー元インド首相の娘への手紙そういう事で読む事にしたのだけれど、未だ買ってない。しかも読むより先にタイトルをパクって mix を作ってしまった。
- Last Modified : 2009-07-04
SR サイタマノラッパー / 入江悠
いとうせいこうと大根仁が激賞していたので、渋谷のユーロスペースで " SR サイタマノラッパー " をリバイバル上映を観てきた。
若い頃(最近この言葉をフツーに使えるようになった)というのは、あらゆるシーンに於いて悔しい思いをするものである。とにかく、やる事なす事全てにケチが付く。粋がって格好つけてみても失笑されるだけだし、グレてみても本気の人達を見ていたらとても怖くなってやる事が中途半端だし、フツーにやれと言われてやってみればどうにも浮いてしまう。一体どうすれば巧くいくのかさっぱり判らないし、だいいち何処が悪いのかさえ判らない。言うならば、個人史に於ける馬鹿の時代である。思い返してみても、毎日毎日延々と燻っていた記憶しかない。そして、そういう人間を傍から見れば非常に痛々しく感じる。基本、そういう映画であった。
この映画の特筆すべき素晴らしい点は、上記の二人が既に書いてしまっているので、それをなぞる形になってしまうが、取り敢えず書いてみる。
みひろ扮する元AV女優の同級生が東京に戻るべく、駅へと続く階段を登る場面。みひろが重いスーツケースを引っ張り上げながら階段を登り、数人の男子高校生が階段上から降りてきて擦れ違う。ただそれだけのシーンでほんの一瞬なのだけれど、それはもう舞踏劇を観ているような素晴らしい光景であった。
そしてラストの、いとうせいこう氏が言うところの口説きの部分。俯いて、ボソボソと吐き出される言葉が、ひとたびリズムを刻んで繰り出された瞬間、突如として攻撃性を帯びて暴れ出す。状況からすれば滑稽にも見えるそのスタイルは余りにも切実である。その切実さは、巧くいかない己の人生を思い患い燻っていた魂を再燃させているかのようであった。
若い頃(最近この言葉をフツーに使えるようになった)というのは、あらゆるシーンに於いて悔しい思いをするものである。とにかく、やる事なす事全てにケチが付く。粋がって格好つけてみても失笑されるだけだし、グレてみても本気の人達を見ていたらとても怖くなってやる事が中途半端だし、フツーにやれと言われてやってみればどうにも浮いてしまう。一体どうすれば巧くいくのかさっぱり判らないし、だいいち何処が悪いのかさえ判らない。言うならば、個人史に於ける馬鹿の時代である。思い返してみても、毎日毎日延々と燻っていた記憶しかない。そして、そういう人間を傍から見れば非常に痛々しく感じる。基本、そういう映画であった。
この映画の特筆すべき素晴らしい点は、上記の二人が既に書いてしまっているので、それをなぞる形になってしまうが、取り敢えず書いてみる。
みひろ扮する元AV女優の同級生が東京に戻るべく、駅へと続く階段を登る場面。みひろが重いスーツケースを引っ張り上げながら階段を登り、数人の男子高校生が階段上から降りてきて擦れ違う。ただそれだけのシーンでほんの一瞬なのだけれど、それはもう舞踏劇を観ているような素晴らしい光景であった。
そしてラストの、いとうせいこう氏が言うところの口説きの部分。俯いて、ボソボソと吐き出される言葉が、ひとたびリズムを刻んで繰り出された瞬間、突如として攻撃性を帯びて暴れ出す。状況からすれば滑稽にも見えるそのスタイルは余りにも切実である。その切実さは、巧くいかない己の人生を思い患い燻っていた魂を再燃させているかのようであった。
Free ENKA
先週末に放映された「湯けむりスナイパー」の中で、谷桃子扮する芸者小雪がカラオケにて " ここにいるよ " を歌い、それを遠藤憲一扮する主人公が聴いて「これは、21世紀の演歌だ」と嘆き涙を流すという場面があったのだけれど、それを観て僕は何か腑に落ちるものがあった。2年前にラジオから繰り返し流れてくる上記の曲を聴きながら、こんなにも湿っぽい内容の歌詞を僕よりもずっと若い人達が楽曲としてまとめて発表し、そしてそれが世間で売れているという事実が少し不思議に思えたのだ。それは恐らく僕の若い人達に対する偏見からくるもので、若い人達はおしなべて皆ドライな感覚で生きていると思っていたようなのである。しかし実際はそうでもないらしい。
21世紀の演歌。もしかすると演歌的なものは昔からずっと、綿綿と受け継がれているのではないだろうか。音楽のジャンルとしてではなく、演ずる側聴く側双方の感覚的なジャンルとして。そう考えていると色々と思い当たる。この曲は何だか演歌っぽいなあ、という感じで。明確な基準はなく、飽くまで漠然とした感覚で。そういう曲を集めて繋いでみた。新しい曲ばかりだと解りづらいので古い曲も織り交ぜて。
Wikipedia - 演歌を読んでみると冒頭に「演歌(えんか)とは、日本の大衆音楽のジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。」と書かれてある。まあそういう分類なんだろうなあ。しかし「情念」とは強い言葉を使ったものだ。その言葉を当てはめると定義が結構明確になる気がする。その他には音階や歌唱法によって特徴付けられているようである。今回色々と聴いていて思ったのだけれど、こんなにも素晴らしい歌唱力・表現力を持つ歌い手達の受け皿が無くなるのは勿体ない。最近は少し盛り返しているようだけれど、演歌というジャンルが衰退して久しい。大瀧詠一・松本隆が楽曲を提供し森進一が歌った「冬のリヴィエラ」とか、福山雅治が楽曲を提供し前川清が歌った「ひまわり」とか、杉真理が曲を書いて石川さゆりが歌った「ウィスキーが、お好きでしょ」とか、そんな感じに混交していけば良いのになあ。先日、くるりが企画して毎年催される京都音楽博覧会に石川さゆりが出演する事が発表されたが、一体どういう事になるのやら判らないけれど、何だか楽しい気分にさせてくれる話である。
で、音楽とは関係ない話なのだけれど、石川さゆりって昔っから結構好きである。実家に帰省した際に両親が「演歌の花道」なんかを観ていると、出演の是非を確認せずにはいられない。
★
そう言えば、上の「湯けむりスナイパー」のカラオケでのエピソードは原作にもあるのかと思って調べたらそうではないようで、原作では椎名林檎の曲みたいだ。どの曲かまで判らないが台詞は「これは、女の殺し屋の歌だ!」で。脚本・演出の大根仁のブログに原作のエピソードが書いてあった。
21世紀の演歌。もしかすると演歌的なものは昔からずっと、綿綿と受け継がれているのではないだろうか。音楽のジャンルとしてではなく、演ずる側聴く側双方の感覚的なジャンルとして。そう考えていると色々と思い当たる。この曲は何だか演歌っぽいなあ、という感じで。明確な基準はなく、飽くまで漠然とした感覚で。そういう曲を集めて繋いでみた。新しい曲ばかりだと解りづらいので古い曲も織り交ぜて。
Wikipedia - 演歌を読んでみると冒頭に「演歌(えんか)とは、日本の大衆音楽のジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。」と書かれてある。まあそういう分類なんだろうなあ。しかし「情念」とは強い言葉を使ったものだ。その言葉を当てはめると定義が結構明確になる気がする。その他には音階や歌唱法によって特徴付けられているようである。今回色々と聴いていて思ったのだけれど、こんなにも素晴らしい歌唱力・表現力を持つ歌い手達の受け皿が無くなるのは勿体ない。最近は少し盛り返しているようだけれど、演歌というジャンルが衰退して久しい。大瀧詠一・松本隆が楽曲を提供し森進一が歌った「冬のリヴィエラ」とか、福山雅治が楽曲を提供し前川清が歌った「ひまわり」とか、杉真理が曲を書いて石川さゆりが歌った「ウィスキーが、お好きでしょ」とか、そんな感じに混交していけば良いのになあ。先日、くるりが企画して毎年催される京都音楽博覧会に石川さゆりが出演する事が発表されたが、一体どういう事になるのやら判らないけれど、何だか楽しい気分にさせてくれる話である。
で、音楽とは関係ない話なのだけれど、石川さゆりって昔っから結構好きである。実家に帰省した際に両親が「演歌の花道」なんかを観ていると、出演の是非を確認せずにはいられない。
★
そう言えば、上の「湯けむりスナイパー」のカラオケでのエピソードは原作にもあるのかと思って調べたらそうではないようで、原作では椎名林檎の曲みたいだ。どの曲かまで判らないが台詞は「これは、女の殺し屋の歌だ!」で。脚本・演出の大根仁のブログに原作のエピソードが書いてあった。
- Last Modified : 2009-07-04






