August 2004
Douglas Coupland
僕が愛して止まない作家の一人。ダグラス・クープランドについて少し纏めて書いてみます。でも内容についての具体的なレビューは割愛。Amazon に飛んで、そこを読んで貰った方がきっと役に立ちます。
ジェネレーションX-加速された文化のための物語たち : クープランドの事をどういう経緯で知ったのか全然思い出せませんが、僕は面白そうな作家を見つけると、古い本から順当に読もうとする癖があります。この本が最初の本。1960年代から1980年代末までの文化的な要素をごちゃ混ぜにして、現代の画布にコラージュしたような作品。しかし根幹としては人生ダウンシフトな物語。造語が非常に面白い。それを纏めたサイトがあります。後、略歴も。因みに左上の画像はアメリカ版。僕が持ってるのは緑色の表紙です。Amazon に画像が用意されていないのでアメリカ版使ってます。
シャンプー・プラネット : これもアメリカ版の画像。各国で表紙のデザインは異なるみたい。個人的には日本版が一番好きである。この本はジェネレーションXの主人公の弟が主人公となっている。続編という扱いではないけれど。この本を読んでいると、自分の弟(特に末の弟)が思い出されてならない。世の弟君達は皆こんな感じなのかなあ、と妙な感慨に耽ってしまいます。
ライフ・アフター・ゴッド : クープランドにしては珍しく宗教的な要素を含んだ作品。挿絵が非常に可愛い。これって確か一昨年くらいまでは絶版になっていて、僕は楽天のフリマで探して、ようやく見つけたらタイミング悪く他の誰かに落札されてしまった後で、泣く泣くその後数ヶ月間再び誰かが売りに出すのを虎視眈々と待って待って待ち続けた後に、ようやく手に入れる事が出来た曰く付きの本である。それがいつの間にか再販されているなんて・・・。あ、思い出した。僕がダグラス・クープランドに興味を持ったきっかけ。随分前にネット上の知り合いの女性(昔も今も何処で何をしているのか全く知らない)に、僕の書く文体が似ていると紹介された事があって、それで読んでみようと思って探したのでした。そうかそうか。
マイクロサーフス : マイクロソフトで働き、日夜コーディングに明け暮れるサーフス(農奴)達の物語。でも詰まるところが家族の物語。つまりは失われていた過去への憧憬。それが希望へと昇華する。僕はこの本が一番好きだな。その内に誰かが映画化してくれる事を密かに待っていたりする。んで、今また読んでます。
神は日本を憎んでる : 日本で発売されている中での最新刊。実はまだ読んでいないので殆ど何も書けません。主人公が日本人で、日本好きのクープランドがそれをどう動かすのかが非常に興味深いです。暫くの間、クープランド作品から離れていましたが、最近また興味を持ち始めました、読まねば。というか、クープランドの作品は他にも出版されているのですが、半分くらいしか日本語化されていません。日本での出版元の角川書店と翻訳者の江口研一氏には是非頑張って貰いたい。とか勝手な事をホザいてみる。
ジェネレーションX-加速された文化のための物語たち : クープランドの事をどういう経緯で知ったのか全然思い出せませんが、僕は面白そうな作家を見つけると、古い本から順当に読もうとする癖があります。この本が最初の本。1960年代から1980年代末までの文化的な要素をごちゃ混ぜにして、現代の画布にコラージュしたような作品。しかし根幹としては人生ダウンシフトな物語。造語が非常に面白い。それを纏めたサイトがあります。後、略歴も。因みに左上の画像はアメリカ版。僕が持ってるのは緑色の表紙です。Amazon に画像が用意されていないのでアメリカ版使ってます。
シャンプー・プラネット : これもアメリカ版の画像。各国で表紙のデザインは異なるみたい。個人的には日本版が一番好きである。この本はジェネレーションXの主人公の弟が主人公となっている。続編という扱いではないけれど。この本を読んでいると、自分の弟(特に末の弟)が思い出されてならない。世の弟君達は皆こんな感じなのかなあ、と妙な感慨に耽ってしまいます。
ライフ・アフター・ゴッド : クープランドにしては珍しく宗教的な要素を含んだ作品。挿絵が非常に可愛い。これって確か一昨年くらいまでは絶版になっていて、僕は楽天のフリマで探して、ようやく見つけたらタイミング悪く他の誰かに落札されてしまった後で、泣く泣くその後数ヶ月間再び誰かが売りに出すのを虎視眈々と待って待って待ち続けた後に、ようやく手に入れる事が出来た曰く付きの本である。それがいつの間にか再販されているなんて・・・。あ、思い出した。僕がダグラス・クープランドに興味を持ったきっかけ。随分前にネット上の知り合いの女性(昔も今も何処で何をしているのか全く知らない)に、僕の書く文体が似ていると紹介された事があって、それで読んでみようと思って探したのでした。そうかそうか。
マイクロサーフス : マイクロソフトで働き、日夜コーディングに明け暮れるサーフス(農奴)達の物語。でも詰まるところが家族の物語。つまりは失われていた過去への憧憬。それが希望へと昇華する。僕はこの本が一番好きだな。その内に誰かが映画化してくれる事を密かに待っていたりする。んで、今また読んでます。
神は日本を憎んでる : 日本で発売されている中での最新刊。実はまだ読んでいないので殆ど何も書けません。主人公が日本人で、日本好きのクープランドがそれをどう動かすのかが非常に興味深いです。暫くの間、クープランド作品から離れていましたが、最近また興味を持ち始めました、読まねば。というか、クープランドの作品は他にも出版されているのですが、半分くらいしか日本語化されていません。日本での出版元の角川書店と翻訳者の江口研一氏には是非頑張って貰いたい。とか勝手な事をホザいてみる。
Le petit prince / Antoine de Saint-Exupery's
余丁町の散人氏のエントリで紹介されていたのですが、この本の中の「薔薇 」は一体誰がモデルになっているのかが56年を経てようやく判明したそうです。それは妻の Consuelo だとか。詳しい経緯については氏のエントリを参照してください。個人的な意見を書かせて貰うならば、文中の「薔薇」はかなり一般化して書かれていると思うので、大した問題ではないのではないか、と。ならば何故わざわざエントリに書くのかというと、一つ思い出した事がありまして。それと言うのも、10年くらい前の或る日の事です。ポストに小包が届いていました。差出人は不明です。中を開けると、手製の布地のカバーで製本し直された岩波少年文庫の「星の王子さま」が入っていました。宛名はしっかりと僕の名前と住所になっているので間違いであるハズはないが、全然思い当たるフシがありません。その当時、郵便物のやりとりをしていた人と筆跡を見比べてみましたが、誰の筆跡とも合致しません。誰が送ってくれたモノなのか知りたいとは思いましたが、モノがモノだけに、送り方が送り方だけに問いただす事もなく現在に至ります。不思議な事もあるものです。その本を贈ってくれた誰かは、僕に一体何を伝えたかったのでしょうか。
此処で紹介しているのは岩波少年文庫版ではありません。サン=テグジュペリが生前に唯一ゲラを確認した挿絵(アメリカ版)を使用したオリジナル版です。僕は持ってませんが、ちょっと欲しい気もします。

迷う中野下り電車
また電車内での話ですが、時折見かける吊革ダブルハンド。要は二人分の吊革を独り占めしている人の事です。僕が思うに、これをやる人間は30代以上の人々のような気がします。しかし例外が二つほどあります。女の子を座席に座らせ、自分は立ってデレデレと女の子に話しかけている男。こいつです。彼が吊革を二本掴む必要があるのは、声が巧く聞き取れない時に女の子の方に顔を寄せる為、バランスを取らねばなりません。その為に吊革が二本必要なのです。悪気はないのでしょうが(妬みも含め)邪魔です。もう一つは、吊革を使って懸垂しようとする小学生です。一瞬は微笑ましく思えるのですが、さすがにこれを真横でやられると腹が立ってきます。後ろにそうっと回って脇をくすぐってやればさぞ面白かろう、とか考えてしまいます。
さて、それ以外の取り立てて理由が思いつかないが、何故か吊革を二本占有してしまっている人々ですが、僕はその理由をこう考えます。30歳も過ぎ、酷く疲れていたり酔っていたりすれば、筋力の低下に依り、重心を保つのが困難なのではないでしょうか。そうであるならば解る気もします。しかし、しかしです。中にはそういう性善説を覆してしまうような態度を取る人も居るのです。そういう人達はチラチラを周りに視線を投げかけ、自分が吊革を余分に使用している事を気にしているように見えます。しかしその表情には恥じらいとか申し訳なさのような色は全く見えません。どちらかと言えば自慢げです。どういうつもりなのでしょう。もしかすると、他人より少しでも多くのモノを所有している事が嬉しくて仕方がないのかも知れません。僕はこういう人を見かけると、その手を竹で出来た物差し(家庭科の先生がよく持ってたヤツ)で思い切りスナップを効かせてピシッ!と叩きたい衝動に駆られます。
で、どうしてこんな事を書きたくなったのかというと、帰りの電車の中でそういうオッサンを見かけたからです。彼の目の前の座席には二人の女性が座っていました。彼は酔っているのでしょうか、重心が安定していません。暫くすると彼の身体が揺れ始めました。二人の女性は少し気になったようですが、直ぐに視線をハズし二人の会話に戻りました。オッサンは自分の身体の揺れに耐えようとしているのか、表情が険しいです。しかし悲しいかな、彼のその努力は報われていません。揺れはだんだんと大きくなり、とうとう身体全体がグラインドし始めました。二人の女性目掛けてダイヴしそうな勢いです。女性二人は訝しげに身体を反らせています。オッサンにも二人の女性にも私は何の義理もありませんが、僕はだんだん心苦しくなってきました。車内の雰囲気も明らかに寒々しくなっています。・・・そして、またタイミング良く私の降りる駅へ到着。その後どうなったかは判りません。
さて、それ以外の取り立てて理由が思いつかないが、何故か吊革を二本占有してしまっている人々ですが、僕はその理由をこう考えます。30歳も過ぎ、酷く疲れていたり酔っていたりすれば、筋力の低下に依り、重心を保つのが困難なのではないでしょうか。そうであるならば解る気もします。しかし、しかしです。中にはそういう性善説を覆してしまうような態度を取る人も居るのです。そういう人達はチラチラを周りに視線を投げかけ、自分が吊革を余分に使用している事を気にしているように見えます。しかしその表情には恥じらいとか申し訳なさのような色は全く見えません。どちらかと言えば自慢げです。どういうつもりなのでしょう。もしかすると、他人より少しでも多くのモノを所有している事が嬉しくて仕方がないのかも知れません。僕はこういう人を見かけると、その手を竹で出来た物差し(家庭科の先生がよく持ってたヤツ)で思い切りスナップを効かせてピシッ!と叩きたい衝動に駆られます。
で、どうしてこんな事を書きたくなったのかというと、帰りの電車の中でそういうオッサンを見かけたからです。彼の目の前の座席には二人の女性が座っていました。彼は酔っているのでしょうか、重心が安定していません。暫くすると彼の身体が揺れ始めました。二人の女性は少し気になったようですが、直ぐに視線をハズし二人の会話に戻りました。オッサンは自分の身体の揺れに耐えようとしているのか、表情が険しいです。しかし悲しいかな、彼のその努力は報われていません。揺れはだんだんと大きくなり、とうとう身体全体がグラインドし始めました。二人の女性目掛けてダイヴしそうな勢いです。女性二人は訝しげに身体を反らせています。オッサンにも二人の女性にも私は何の義理もありませんが、僕はだんだん心苦しくなってきました。車内の雰囲気も明らかに寒々しくなっています。・・・そして、またタイミング良く私の降りる駅へ到着。その後どうなったかは判りません。
真夜中の下り電車
相変わらず音楽を聴いたり本を読んだりしていますが、ここのところ、それ以外は仕事をしている記憶しかありません。昨日は23時過ぎの電車で帰宅。僕の隣で吊革に捕まるオッサンは赤ら顔して周りをキョロキョロを見回しています。酒臭いです。本来ならば直ぐにでも場所を移動して、その不快指数150%の状況から逃げ出すのですが、今回は思い留まりました。何故ならば、美しい女性が私の目の前の座席に座っていたからです。
ブルージーンズに白いレザーのスニーカーを履いて、生成のショールを肩から首に至まで巻いていました。そんなラフな格好の割りには左手にやたらとアクセサリーをつけています。しかし今回の話の中心はそんな事ではありません。肝心なのは彼女がつけている香水です。初めて嗅ぐ匂い(もはや香りとは言えない)ですが、その匂いに包まれていると、もう何だか倒れそうになるのです。もうどうなってもいい、などと思ってしまうくらいに落ちそうになるのです。
意識が遠のいていく中、僕はふと隣に立つ150%オッサンの存在が邪魔に思えて来ました。この匂いは俺のものだ。嗅ぐんじゃねえ。見るんじゃねえ。僕は乗客が乗り降りするタイミングを見計らい、鞄を押しつけてその150%オッサンを遠のけました。
さて、どのタイミングでよろけた振りをしようか。そんな心の奥深い声に耳を傾けている内に、あえなく地元の駅に到着。吊革を握る手を緩めました。
ブルージーンズに白いレザーのスニーカーを履いて、生成のショールを肩から首に至まで巻いていました。そんなラフな格好の割りには左手にやたらとアクセサリーをつけています。しかし今回の話の中心はそんな事ではありません。肝心なのは彼女がつけている香水です。初めて嗅ぐ匂い(もはや香りとは言えない)ですが、その匂いに包まれていると、もう何だか倒れそうになるのです。もうどうなってもいい、などと思ってしまうくらいに落ちそうになるのです。
意識が遠のいていく中、僕はふと隣に立つ150%オッサンの存在が邪魔に思えて来ました。この匂いは俺のものだ。嗅ぐんじゃねえ。見るんじゃねえ。僕は乗客が乗り降りするタイミングを見計らい、鞄を押しつけてその150%オッサンを遠のけました。
さて、どのタイミングでよろけた振りをしようか。そんな心の奥深い声に耳を傾けている内に、あえなく地元の駅に到着。吊革を握る手を緩めました。
Water Boys / Fuji Television
今回は TV 版。実は昨日の夕方から今朝の4時まで観てました。観るのは二回目です。元の映画も何度か観てますが、何だか事ある毎に観てますね。昨日もちょいと良くない方向に精神が流れ始めたので、流れ変えないとマズいなーと思いレンタルして来ました。映画版と違って TV 版だと、受け容れ難い表現も多々あるのですが、それでも観てしまうんですよ。感想なんてたった一言しか在りません。「こいつら、羨ましいなあ。」てそれだけです。そう思いたいが為に連続で10時間もモニタを眺めてしまうんです。私の今年の夏休みなど、連日12時間の睡眠と素麺と冷や奴とビールと甲子園とアテネ・オリンピックと散歩で終わりました。まあ、それはそれで王道な気もしますが。
Bad Guy / Kim Ki-Duk
これも娼婦絡みの映画。どうしてそんな映画ばかり観るのか、とか聞いてはいけない。僕だって高校球児の爽やかな涙を見遣りながらコレ書いていて、自分が少し心配になっていたりするのだから。・・・さてこの映画、前述の「歓楽通り」とは少し違う。いやだいぶ違う。主人公はヤクザの男。街で見かけた女子大生に一目惚れをしてしまうが、鼻も引っかけて貰えない。考えた男は女を罠にかけ、自分が面倒を見ている売春宿に身売りさせるのである。そうやって女を身近に置く事に成功する男だが、彼の苦悩はそこから始まる。初めて客を取らされ泣き叫ぶ女を目の当たりにして、居ても立っても居られずに客を叩き出したり、女に暴力を奮おうとする客を袋叩きにしたりするが、女を売春婦にしてしまったのは自分である。何れ女は客を取る事になる。客に買われ、子分にまで買われる女を男は見つめ続ける。たった一言の言葉も発せずに。実はこの主人公、全然喋らない。唯一、一場面だけ喋る。その台詞はこの映画の根底に流れる、男の思いを吐き出すものであるが、それさえギドク監督はもまともには喋らせない。簡単には感動なんかさせては貰えないのである。そんなところが私はいたく気に入りました。それと、ジャケット画像にもあるような売春宿の毒々しい原色の照明が美しく、さすが韓国人は原色の使い方が巧いなあ、とか思いました。これのポスターとか無いかな。劇中でエゴン・シーレの画集が突然登場するので何かと思えば、ギドク監督はパリで絵を描いて暮らしていた事があるそうな。
- SPO Entertainment によるキム・ギドク監督のサイト
- Seochon.net による主人公役のチョ・ジェヒョンのページ
Rue des plaisirs / Patrice Leconte
Amazon.com にも画像が無くて Amazon.fr で探したら見つかりました。しかしそこまでして書きたい事があったのかというとそんな事はないのですが、せっかくなので書いておきましょう。(ジャンプ先は Amazon.co.jp です)・・・戦時下のフランス。娼婦と客との間に一人の男の子が生まれる。彼は娼館の女達に実の息子のように可愛がられ「将来どんな人間になりたい?」との母からの質問に「女の人の世話をしたい。」と答える。後年、そのままその娼館で下働きとして女達の世話をしながら生活する男の前に、ある日、新入りの娼婦が現れる。彼はその娼婦に宣言する。「一生君の世話をする。」と。男はまさに女の為に生きる。いつも寂し気な彼女の運命の恋人を捜し、適当だと思われる男と彼女をくっける為に占い師を買収し、出会わせる。その後、その恋人が招く様々なアクシデントを献身的に払いのけ、彼女を人生に成功させる為にラジオ・オーディションに強引に応募し、合格させる。そしてラストはお決まりの唐突な悲劇で物語は終わる。
僕個人としては、いつも悲劇で終わらせるフランス映画の王道とも言うべき作法が気に入らない。まるで物語を終わらせる為には誰かを死なせなければならないかのようだ。全てとは勿論言わないが、観る映画がこればかりだと、段々観る気が失せてくる。物語=人生と考えるのならば、確かにそうなのだが。多くのフランス映画が何故そうなってしまうのか、その訳を知りたい。調べたりはしないけど。調べようがないし。誰から知らないかな。
余談ですが、私がルコント監督の作品を観るのはフェティッシュな映像を観たいからである。決して悲劇が好きな訳ではない。

生きている / 佐内 正史
- 2004-08-11 水曜日
- Category - Art
- Tag - photograph
日常の中ではさして気にする事もなく見逃してしまいそうな光景を焼き付けてある。こういう文章は割と彼方此方で目にするのだが、本当にどうでも良さそうなモノを撮っている。ように僕には思える。何の引っかかりもないし。でも何故か気になって観てしまうし、終いには写真集まで買ってしまう。何がどう気になるのか自分でも解らないままに。例えば、森山大道や荒木経惟や中平卓馬の方が僕に取っては解りやすい。対象物の何が気に入って撮っているのかが解るような気がするからだ。しかし佐内正史の撮る写真はそういう事が何も思いつかないのである。思うに、彼は対象物など撮っていないような気がする。対象物と思しきモノの直前に在る何か、空気のようなモノを撮っているような気がする。しかしそれが僕に心地よさ(のようなもの)を感じさせるのは何故なのか、それは全然さっぱり解らないのである。少しばかり考えてみると、彼の撮る写真には闇・影(隠喩としての)が無い。全方向からの光に満たされている。今現在目に見えている実体以外には何もない。そう言っているような気がする。汚れも、綻びも何もない清潔な実像。虚飾も欲望も存在しない陽の当たる場所。僕にはそれは空恐ろしく感じる。
以前、何処ぞの巨大掲示板で書いた気がするが、彼の撮る写真に写り込んでいるのは、黄泉の国から再び戻った時に最初に見る光景がそれであるような、そんな印象を受けるのである。
Dinner Rush / Bob Giraldi
面白かった。NY トライベッカの人気イタリアンレストランでの一夜での出来事を緊張感溢れる映像でまとめてある。レストランのオーナー、シェフ、副シェフ、ウェイター・ウェイトレス、客、ギャラリーのオーナー、料理の批評家、ギャング、その他。それぞれの事情や思惑が同時に、しかも多方向から織り込まれていく。そして最後にはグレイッシュなハッッピーエンドとでも言いたくなるような終幕。夜が明け、退屈な日常をやり過ごし、そしてまた夜になる頃には再び宴が開かれる。そんなエネルギッシュな映画です。ついでに書くと、厨房で作られる料理がとても旨そうです。リストランテで思いっきりイタリアンを食べたくなりました。あ、でも独りだと厳しいかな。サイゼリアとかにしとくかな。
Staring at the Sea / The Cure
高校の頃、知人が僕に向かってこう言ったのです。「キュアー聴きなよ。絶対似合うって!」人に音楽を薦めるのに似合うとか似合わないとかの言葉が出てくるのが良く解りません。そして何故か予め用意されていた(このアルバムがダビングされた)カセットテープを渡され、僕は家でそれを聴いたのでした。以前にも書いたかも知れませんが、僕はその中の " Boys don't cry " が凄く気に入った為、それから他のアルバムレコードを次々に借りてダビングし、ひたすらに聴きまくっていたのでした。間もなく、根本が空疎な人間がよくやるように、僕は The Cure の中心人物 Robert Smith の格好を真似るようになりました。さて、ここで一つ疑問が。僕が彼を真似て細いブラック・ジーンズを穿いたり、白いリーボックのハイカット・スニーカーを履いたり、白いTシャツの上に黒のジャケットを羽織ったり、ダイエースプレー使って長い髪の毛を逆立てたり、瞼にシャドーを入れたり、口紅を引いたりしたのは、果たして自分から積極的にやっていたのだろうか。このアルバムを改めて聴き直している内に様々な記憶が蘇ってきました。
そもそもこのアルバムが人から借りて聴いたのが最初だという事もさっき思い出した事で、それまですっかり忘れていました。蘇った幾つかの記憶の映像の中にこういうのが在ります。前述の知人が「・・・持って来たよ。」と言いながら学生鞄を開け、中から口紅とアイシャドーを取りだし、僕の唇に赤い色を引き始めました。背景は・・・教室です。二人とも制服を着ています。何でしょうかコレは。妙に倒錯的でエロい光景です。これは僕の記憶なんかではなく妄想なのでしょうか。しかしよくよく考えてみるとこの線が一番妥当なのです。田舎の公立高校に通う男子高校生が口紅なんか普通持っていません。我が家は男兄弟です。母は5年に1回くらいしか口紅を付けません。父が持っていたのなら、それは怖いです。なので間違いないでしょう。
ここまでの流れで大凡判ると思いますが、その知人は女性です。同級生でした。友達ではなく知人と書いたのは、実は一瞬付き合いそうになりはしたが、結局はそうならなかった微妙な位置に立つ人だったもので。彼女を思い出す事も殆どなく、顔を朧気に覚えている程度でしたが、先ほどついにフルネームまで思い出してしまいました。彼女と福岡駅のホームを歩いていた事も思い出しましたが、その前後が思い出せません。一体何をしていたのでしょうか。思い出せなくてちと悔しい。あ、でも Ecoh & The Bunnymen のライヴには一緒に行った気がする。高校を卒業した後に、彼女とは街で偶然に出会った事がありますが、その時の話は少し悲しくなるのでやめておこう。
色は匂えど散りぬるを
僕の保育園からの知人(とは言っても10年くらい顔見てないけど)に S というのが居て、そこは姉・弟・弟の三人兄弟なのですが、三人が揃いも揃って美形なのです。知人は長男で、次男は私の弟と同級生。んで、長女は僕より二つ上で、もう信じられないくらいに美しい人でした。私達友人連中は「Sの姉ちゃん」と呼んで親しんでおりました。中には自分の姉でもないのに「姉ちゃん」と呼んで憚らないヤツもいました。僕を含めて。自分の弟達に対してはどうだったのか知りませんが、僕達には何時も笑顔で話しかけてくれて、大変優しい人でもあったのです。高校3年の頃、彼女は市内の画材屋で働いていまして、その当時デッサンを習いに街の中心へと、毎日放課後に通っていたのですが、まあ、その画材屋にも度々通っておりました。そんな時にも「あら♪いらっしゃい。」と暖かく迎えてくれ、たまに安くして貰った記憶があります。
今思えば、僕達に接する時以外の、いわば実際の彼女を知らないので幻想に他ならないのでしょうが、当時は手放しで憧れていた訳です。その内に僕達が成長するに連れて彼女が話題に上る事もなくなり、今何処でどうしているのかさっぱり判らない。そんな彼女の事を久しぶりに思い出しました。
今思えば、僕達に接する時以外の、いわば実際の彼女を知らないので幻想に他ならないのでしょうが、当時は手放しで憧れていた訳です。その内に僕達が成長するに連れて彼女が話題に上る事もなくなり、今何処でどうしているのかさっぱり判らない。そんな彼女の事を久しぶりに思い出しました。
風前末尾
既に習慣化している屋上での喫煙。日に2度3度。午後8時頃、煙草を片手に通りを見下ろしていると、近所で働く20代の若者達が家路へ着くのが見える。同じ職場なのかどうかは判らないが、3人ずつくらいグループ単位で歩いている。暫く眺めていると、だいたい半分くらいの人が携帯電話を手にしていて、隣を歩く同僚に目もくれずに画面を見つめている。液晶の画面が意外に明るい。屋上から見ていると、小さく不自然に明るい灯りが川に流されていくようだ。蛍みてえだな。蛍にしろ携帯の液晶にしろ、其処には何かしらの意志が存在する。ような気がする。








