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DOG ON THE BEACH

視覚的言語感覚

 僕は洋楽のCDを買う時、出来るだけ洋盤を買う事にしている。洋盤の方が安いという経済的な理由はこの際横に置いておくとして、僕が洋盤を好んで買うのは、洋楽のCDのジャケットやライナーノーツに日本語が記載されているのが何となく嫌だからである。この感覚を説明するのは非常に難しいのだが、例えば Led Zeppelin の四枚目のアルバム「 IV 」。CDは持っていないのでレコードの話をするが、このアルバムはジャケットにクレジットは一切記載されていない。これはバンドのメンバーの意向でジャケットに文字を入れたくなかったらしい。ここまで拘っているのに文字を入れてしまうのは無粋である。ましてや制作する際には意識する事すらない多国語の文字を入れるなんて事は冒涜に近い。(同じ理由で、現在煙草のパッケージに記載されている「肺がんの原因の云々」の文字が嫌で堪らない)
 解り易いというより極端な例を挙げてしまったが、要するに文字一つとは言えそれは全体を構成するデザイン要素の一つであるので、それを考えなしに変更するというのが気に入らないのである。

 因みにこの感覚は多方面に適応する。先日僕は前々から欲しかった Gaspard et Lisa の絵本を二冊買ったのであるが、随分前から何度も絵本コーナーに佇んで(おっさんが独りそんな場所に居る事を想像するとかなり変だが)品定めをしていた。しかしやはりどうしても日本語のタイトルや本文が嫌なので棚に戻していたのだ。そしてついに僕は思いきって紀伊国屋新宿本店の7階洋書コーナーでフランス語版を手に取った。これである。全く申し分ない。一瞬、全巻買ってしまおうかとも考えたが取り敢えずは止めておいた。何故なら僕はフランス語を全く解さないからである。しかしながら全く読めないのも悔しいのでポケットサイズの仏日辞典を一緒に購入した。絵本に書いてある文章くらいはイケるだろうと多寡を括っているのだが、今のところ何も手を付けていない。何故なら今「独りで学べる韓国語楽々スタート」というテキストを読んでいるからである。文字と発音でいきなり躓いてはいるけどね。

サンダル履きのサザンオールスターズ

 僕が小学生の頃、夜のテレビの歌番組にメンバー全員がランニングシャツにジョギングパンツという出で立ちで登場したサザンオールスターズ。「勝手にシンドバッド」が僕は大好きだった。それから数年後の1980年代初頭の紅白歌合戦で、髪の毛を七色に染め分けた桑田佳祐が「匂艶 THE NIGHT CLUB」を歌っていたのを覚えている。
 そんな風に、普通にテレビやラジオから流れてくるサザンオールスターズを聴き続けていたのだけれど、中学も終わり頃になると(サザンオールスターズに限らず)歌謡曲というものを聴かなくなった。勿論ラジオ等で流れてくるものは耳にはしていたのだけれど、レコードを買ったり好き好んでは聴かなかった。それから更に数年が経ち大学に通う頃には邦楽すら聴かなくなった。恐らく自分の身にまとわりつく過去からの全てのものを否定したかったのだろう。

 それから随分と時間が経ち、上京して働き始めた或る夏の日の事。その日は休日で、遅い時間に起き出した僕は、底をついていた洗剤を買おうと近所のディスカウントの薬局へとサンダルを引き摺った。草木も屋根もうなだれるような強い陽射しの中、店先に並べられたティッシュペーパーの箱やシャンプーやリンスのボトルが晒されていた。濃い影が潜む店内からはFM放送が聞こえてくる。流れているのはサザンオールスターズの「恋はお熱く」。その時の気温と陽射し、店構えの緩さにとても合っていた。その頃の僕が一体どういう心持ちで生きていたのかまるで覚えていないが、たっぷりと一曲聴き終えるまで僕は動かなかった。
 それとは別に、嗚呼こういう時にサザンを聴くと良いんだなと思った事を覚えている。それから暫くした後に、僕は中古屋で「バラッド」「バラッド2」を買った。自分が聴いて心地良く感じた音楽を、如何なる理由であろうと否定しない事にしようと思ったのだ。

 因みに僕は個人的な記憶と音楽が結びつくという事が殆どないのだけれど、長い年月を経て聴くともなく聴いていた夏の歌は、漠然とした感傷と繋がっている気がしている。

渚のシンドバッド / 橋口亮輔

 先に書いておくと、登場人物の一人が浜崎あゆみである事に、エンディングロールを見るまで気がつかなかった。
 まあそれは良いとして、己の内なる欲望や欲求に対して羞恥心や罪悪感のようなものを持っている人間にとっては、思春期はまさに地獄の季節である。募り高まる性的な欲求と傷つきやすい自尊心とが最早膠着状態となり、対象を目の前にしてしまえば、世界と自分との距離感を全く掴めずに混乱したまま全てを告げてしまう。それは勿論自分自身と対象となる人間しか目に映っていないからであるが、そういう無様な若い人間の姿も、少し離れた場所から眺めれば結構美しく思えるものである。
 この映画ではそういう事が正確な上に密度をもって描かれている。しかもそれが次々と映し出されるものだから、観ているこちらとしては思わず一時停止ボタンを押してしまうのである。もう見ていられないのだ。かといってそれで観るのを止めてしまう事はなく、腹をくくり息を止めてまた再生ボタンを押す。

 誰かに受け容れられ安心出来る事を、不器用極まりないアプローチで追い求める登場人物達は皆必要以上に傷つき、そのまま生き続けていく事を恐れている。その恐れの中、傷つかず傷つけずに安心して生きて行くにはどうすれば良いのか。混沌とした迷いの中、彼らは懸命に日常を過ごして行く。
 この流れで言えば、次作が「ハッシュ!」となるのは凄く解る。橋口亮輔は一貫して、人の生き方を追い求めているのだと思う。僕はこういう作家が好きだ。音楽にしろ文学にしろ何にしろ、人の一生を描いたものはとても愛おしい。それがカテゴライズとして何と呼ばれるかなんて事は本当にどうでも良い。

 ★

 印象的だった場面を幾つか。
  • 浜崎あゆみ扮する、過去に強姦された経験を持つ女子高生が、精神科医との面談時にこう話す。「私、やられてる時にも人の身体って暖かいんだなあと思った。だから、私は人の温かさというものを信じない。」
  • 撮影の舞台となった長崎の美しい風景。蜜柑畑を抜けた先の陽の光に溢れた浜辺。
  • 山口耕史扮する男子高校生が、自分が河に沈めた自転車を引き上げ、それに乗って走る場面。自転車を駆る少年は美しい。

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絵画と気候

 歳をとってきたせいなのか、近頃興味を持つ絵画と言えば日本画ばかりである。昔、学生の頃には日本画には全く興味がなかった。僕が通っていた大学には存在しなかったが、日本画科に通う連中が居る事が不思議でならなかった。日本画を観て心地良いと思った事が一度もなかったからである。それがどうした事か、最近は日本画ばかりが気になっている。
 他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。

 学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。

 そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。

ぐるりのこと。/ 橋口亮輔

 私見だけれど、鬱病というのは上手くいかない自分の生活や人生に対して著しい自責の念を持ち、それが行き詰まった時点で静かに発症するのではないだろうか。何かしら不都合が起きれば、何でもかんでも他人のせいにしてしまう人は鬱病にならない気がする。しかしそんな事をし続けていれば何れは周囲の鼻つまみ者になって、あらゆる人達から敬遠されてしまうだろうから、そこで行き詰まれば病気になるのかも知れない。そうなっても尚自分の置かれた状況を認める事が出来ない場合、事ある毎に理屈の通らぬ理由で他人を傷つけようとするのではないか。
 話が逸れた。自責の念、と書いたが少しニュアンスが違うような気がしてきた。どちらかと言えば「恥」という言葉の持つニュアンスに近い。「誰からも許して貰えない」と思っているが、実は自分を許さないのは他人ではなく自分自身であり、しかもそれは現在の事柄だけではなく過去の出来事からも苛まれる。他人からの評価を自己を越えた最終評価として捉えてはいけない。例え誰からも許して貰えなくとも、自分自身がそれを許す事が出来なければ生きていけない。どんな事が起きようともそれは仕方がないのである。

 さて、先にも書いたようにこれは私見であるので、万人に当てはまる事だとは考えていない。そういう領域まで辿り着けない人だっている。しかもこれは最深部での話であるので、次の上層では他者に拠る許容を渇望するようになる。そういった場合、傍に居る信頼する人から許される事は、鬱屈した状態から浮上する助けとなるだろう。少なくともその人の前では自分が存在する事を許されるのだから。他者は自分を救う事は出来ないけれど、自分自身を救うきっかけにはなる。そこに淡い希望を持つ事が出来れば生きていけると思う。

 感想と呼ぶには程遠いが、だいたいそういう内容の映画だったと思う。今現在落ちている人にとっては刺激が強いと思うので、余り薦めはしないけどね。

 ★

 この映画を観ている最中、主に終盤辺りには劇場内の方々から鼻を啜る音が聞こえてきた。皆、日々大変な思いをしながら生きているんだなあ。その人達にとってこの映画が何かしらの手助けになれば良いなあ。と勝手な事を思っていたが、実際にその人達がどう思っているかは解らない。ただ、少なくとも僕はこの映画が在って良かったと思う。

 余談だが、今夜セックスするしないで揉めるリリー・フランキーと木村多江の長回しの場面がとても楽しい。

真夜中の映画館

 先の火曜日、僕は仕事の帰りに「僕の彼女はサイボーグ」を観てきた。場所は新宿バルト9。映画館に足を運ぶ事の少ない僕は、新しく出来たこの映画館の存在を今回初めて知ったのであるが、この映画館は良い。なんたってミッドナイト上映と称して遅くて27時頃までやっている。さすが不夜城新宿である。夜中まで遊ぶ客達か、それとも店を開いてる飲食業従事者達を当て込んだのだろうか。それにしても27時終演というのが絶妙な時間設定である。朝の3時に放り出されても行く所が無い。
 今回僕が行ったのは22時終演の時間枠であったのだけれど、夜も深く、この季節特有の湿気を帯びた繁華街に放り出されるのはなかなか良い。何処かで一杯引っかけるか、腹が空いていれば蕎麦でも手繰って、家に戻ればシャワーを浴びてそのまま寝て仕舞えば良い。これまで仕事の帰りに映画を観て帰るなんて習慣のなかった僕には楽しい経験であった。暗い場所で映画を観た後に、目の眩むような陽の光に晒される事を不快に思っていた僕にはうってつけの映画館である。
 であれば、休日の遅い時間から始まる映画を観たら良いじゃないかと思うかも知れないが、これがまた微妙な問題で、夕刻になって外へ出かけるというのがどうにも好きではないのである。子供の頃からの習慣が抜けきれないのだ。

津軽三味線とフラメンコギター

 昔何かの折に「津軽三味線とフラメンコギターって似てるなー」と思った事を今日久しぶりに思い出した。度々そうは思っていたのだが、ただそう思うだけでその理由を探ったりせずにこれまで来た。しかし今日はちょいと探りを入れてみた。
 ネットで検索してみると、同じ様に感じる人は割と居るようで幾つかヒットした。例えば、津軽三味線を聴いたとあるフラメンコ好きの女性はこう書いている。
西洋音楽の平均率ではとれない 音の波 鼓舞し 節回し  フラメンコと似ている。津軽三味線に魅せられて ジャパメンコ!/ Happybirthday!より愛を込めて
 そして別なギター弾きであろう男性はこう書いている。
 「津軽じょんがら節」「津軽よされ節」「津軽あいや節」と伝統的な3つを見たんですが、中央に三味線、向かって右にお囃子(歌か)、向かって左に打楽器がありました。これ、メンコとほとんど一緒ですね。カンテや、カホンがギターのサイドにいる感じと。
視覚的にも似てるけど、三味線もギターも「歌」の伴奏から(メンコはバイレの伴奏も)始まったという歴史的発生という点においても似ているのです。
 共通点を挙げればキリがないくらい出てきます。弦楽器であることは言わずもがな、メンコの「形式」に津軽三味線の「節」が対応すると考えられるし、独特のリズムを持つという点も。
 音という意味で聴覚的にも、ファルーカなんかは演歌に近い雰囲気もあるし・・・Panorama / Wash Away
 上に書いてあるように音数の多さや叩き付けるような弦の弾き方だけでなく、歌い手の節回しも似ているのだ。蛇足を加えると、津軽に限らず日本民謡はカンテ(フラメンコに於ける歌の部分)は似ているし、コーランの詠唱にも似ていると僕は思う。これも同じように感じる人はいるようだ。

 ★

 さて、これらは何故似ているのだろうか。偶発的に似たようなものが離れた地域で発生する可能性を否定出来るものではないが、それでは話が面白くないので、飽くまで繋がっていると考えたい。歌い方に関しては、どう考えても一番歴史が古そうなコーランから伝播したと考えるのが妥当だと思う。弦楽器の伝播については諸説あるようでよく判らないのだけれど、Wikipedia での津軽三味線の記述の中にはこうある。
 弦楽器そのものの発祥は中東とされる。その後構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部において「三絃」が成立。この「三絃」が沖縄を経て畿内に持ち込まれ(異説あり)、江戸時代中期に日本独特の三味線となった。以降、三味線は日本各地の土着芸能と融合して様々に発達し、当時日本最北端であった津軽地方において津軽三味線となる。Wikipedia
 これもやはり出所は中東なのか。という事は弦楽器と共に歌い方も、中東から西の欧州へそして東のアジアへと伝播されたと考えるべきか。しかしそれにしては、コーラン・フラメンコ・日本民謡以外の、伝播する際の途中の地域にそういう歌い方が存在するという事実を僕は知らない。まあ僕が知らないだけという事かも知れないが、少なくとも僕は聴いた事がない。

 色々と記事を漁っていると別な考え方も出てくる。この記事では津軽三味線とフラメンコギターが似ているとしつつも、その理由に似通った社会的な状況の下に育ったものであるともしている。
 フラメンコを生んだのは、ヒターノ(ジプシー)だ。差別され、虐げられてきた歴史がフラメンコには秘められている。われわれ東北人も長いあいだ差別され、虐げられてきた。なにしろ、ほんの20年くらい前までは、「日本のチベット」などと呼ばれていたのだ。
 そんな東北で、さらに差別を受けていた人々が津軽三味線を生んだ。そういう共通点がある。
(中略)
 津軽三味線の歴史は、大條和雄氏の長年の研究によって、ほぼ明らかになっている。それによると、津軽三味線は明治期に誕生している。津軽三味線が登場する以前、日本には雅楽を除いて「器楽曲」はほとんどなかった。津軽三味線は日本音楽史において革命的なものと言っていい。同様にフラメンコ・ギターの歴史も、われわれが思っているほど古くはなく、おそらく津軽三味線と同じくらいの歴史らしい。ただし、津軽三味線にもフラメンコ・ギターにも、それぞれその源となる音楽がもちろんあった。フランメンコ・ギターと津軽三味線〜アントニオ・ガデス舞踏団への旅2
 虐げられた人間の作る音楽が、場所を変えても同じ様式を持つようになるとは思えないが、音の強さや激しさは共通するかも知れない。僕がネットで調べたくらいで証明されるような簡単な話ではないとは思うが、何だか非常に興味を持ってしまう。スペイン研究者の古屋雄一郎はこう書いている。
 フラメンコを習う人が日本には本当に多い。(中略)ユーラシア大陸の中央を発したジプシーが、西はアンダルシーアへ、東はツガルへ向かった、荒唐無稽な伝説ではあるけれど、信じたい気持ちがするし、なにより歓びを感じる。津軽とフラメンコ / フルヤな部屋
 本当に無茶な話だけれど、そうであってくれたらどれだけ楽しい気分になれる事か。遠い過去の事だとはいえ、自分が属するものと全く別な何かが繋がるというのは嬉しいものである。
Mirror to We Are Boogie
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