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December 2007

寒空の色

 新宿南口、フラッグスビルの前、壁を背にしたスモーキングエリアで、もうかれこれ一時間を過ごしていた。その場所が気に入ってそうしている訳ではないし、曇天の下、冷たさを含んだ風に晒されている事がそんなに楽しい事であるはずもない。実を言えば、もう一年近くも連絡を絶っている女にメールを送ろうかと迷っているのだった。
 今日はその女の誕生日であり、去年までは数年の間、毎年祝いの言葉を贈り続けていたのだけれど、疎遠になった今、今更そんな事をして良いのかどうか判らないでいるのだ。いや、良い悪いの問題ではない。今更そんな事をしてどうなるというのだ、と考えてしまうのだ。去年までの数年間、度々彼女と過ごしていたが結局その関係は何も生まなかった。彼女がどう思っていたのかは判らないが、何も生み出さない長い時間は僕の気持ちを疲弊させた。そしてある時、いつものように彼女からの連絡が滞っている中、僕は彼女に話しかける努力を止めた。
 もともと共通の友人や知人もいなかったので、当人同士がやりとりしなければお互いの存在の影すら認める事は出来ない。そんな希薄な関係だったが故に僕の世界から彼女はあっさりと消え去ってしまった。

 その後の僕の生活の中に、というか僕の脳裏に彼女の姿が浮かんでこなかったのかというと全くそんな事はなく、度々思い出すのだけれどその度に僕は気付かないふりをして、目の前の諸事に現を抜かす事で忘れ去っていた。しかしそうやっていても何れは、冬になれば否が応でも彼女を思い出さずにはいられないし、その事に囚われて過ごす事になる事も判っていた。何しろ忘れたくても忘れられない日に彼女は生まれ、僕は世事の祝祭と共に彼女を思い出す事になるからだ。

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 僕は携帯電話を握りしめ、さっきから一年前に彼女から送られたメールを読み返している。何の変哲もない、何の感情も沸きようもない当たり障りのない言葉が並んでいた。僕達はこんな言葉を交わす事で数年を費やしていたのだろうか。
 今思い出した。それらの言葉は僕が好んで使っていたのだった。いつしか言葉に何かしらの気持ちを乗せる事に恐れを抱き始め、頭を振り絞っては言葉を選び、素っ気なさを装っていたのだ。僕は彼女に、まるで老人同士の時候の挨拶のような退屈を押しつけていたのかも知れない。思えば、そんな関係が続くはずもない。僕は僕自信の首を切り落とす為に言葉を費やしていたのだ。

 彼女に贈る言葉が何ひとつ思い浮かばない。彼女の近況など全く知らないから、婉曲的にその辺りの話題を振る訳にもいかない。そもそも僕はどうしたいのだろうか。いくら頭を捻ってもよく解らない。ただ、彼女に話しかけたい衝動だけはある。話したい事がある訳ではない。でも話しかけたい衝動が抑えられない。恐らく、僕はたぶん、彼女に関わっていたいのだ。ほんの一瞬でもいいから彼女の人生に関わらせて欲しいのだ。何も生み出さないかも知れないが、このまま一生死ぬまで彼女に関われない事が我慢出来ないのだ。

「誕生日、おめでとうございます。」

 なりふり構わぬ勢いで書いたはずなのに、やっぱりこんな事しか書けなかった。言葉など信用出来るものか。いつの時でもまとわりついて離れない僕の意識がどうしても邪魔をする。言葉の持つ不確かさは時には便利であるけれども、肝心な時には役に立たない。しかし相手に差し出せるものが言葉しかない場合、半ば絶望的な気分で言葉を削る。結果、何も伝わらない。
 諦念。ギリギリまで考え詰めてようやく到達する感情。今以上に状況が悪くなろうとどうなろうと、それはそれでどうにか受け容れられる。そうして僕はようやく、送信ボタンを押す事が出来た。

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 それから30分くらい後、着信を確認するが何も無し。落胆と安堵が入り交じる。このまま返信が無ければ僕はこの心苦しさから解放されるのに。
 一年前まで、何度となくそう思っていた事を思い出す。そうか、僕はあの時、彼女にとって僕が「不要」である事を言い渡される事が怖くて、先回りして自分を貶め、諦める事で安心していたのだ。その場その場で、最悪の状況を予めシミュレートして自分が傷つく事を最小限に留めようとする癖は、長い間の僕の習慣である。それが良いか悪いかなどは知らない。とにかく、自分自身を守る事で手詰まりだった僕には、それが精一杯の行動だったのだ。

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「覚えていてくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。」

 メールを送ってから約2時間後、タワーレコーズでCDを物色している時に着信に気付いた。一体何を言っているのだろうか、どうやったら忘れられるのか、知っているのなら教えて欲しいくらいだ。僕は半ば憤慨し、半ば安堵し、そして嬉しかった。この先が同じ事の繰り返しになるとしても、その結果として何も生み出さなくても、喜びや幸せというものから遠くかけ離れようとも、僕自身が望んだ事として、安らかに眺める事が出来るような気がする。
 僕は何も買わずに店を出て、ぼんやりとエスカレーターで下まで降りた。ビルと甲州街道の間に在る広場では、たくさんのサンタやトナカイが道行く人々に赤と緑のリボンが結ばれた真っ白なポケットティッシュを配っていた。愛している人にも、愛されていない人にも。彼らの立つ凍えた地面の上空には、比較しなければ認識出来ないほどに薄められた青を落とした、陰鬱な曇り空が広がっていた。

 関わらせてくれて、どうもありがとう。

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このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
  • Last modified : 2008-10-15 22:32

炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察

 休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。
  • 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
  • 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
  • その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
  • 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
  • どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
  • そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
  • ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。
 とまあ、こんな事を考えていたのだが、かなり個人的な経験に基づくものになってしまったので、僕以外の誰の役にも立たないだろうという気はする。世の中には炬燵と共に冬を過ごさない人はたくさん居るのだろうし、最早炬燵に愛着を感じる人の方が少ないかも知れない。炬燵を用いると掃除が大変だし、それを怠ると不衛生であるし、考えてみればちっとも合理的ではない。しかし、あの暖かさはいつまでも冬の記憶として忘れられないのである。

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