May 2008
五月の運転士
毎年五月の或る日、利用する路線の運転士が物凄く下手くそな事に気付く。適切な減速地点を把握出来ていないのか急制動を頻繁に繰り返す。それを三度もやられたら吊革を握る手を放し、乗客を掻き分けて運転席に怒鳴り込みたい気分になる。そしてふと思い出すのである。そう言えば去年も一昨年もそのずっと前からこうであった事を。
想像するに、五月というのは新米の運転士が初めて電車の操作を任される時期なのではないだろうか。そう考えると、あのような粗暴な運転が行われる事に合点がいく。恐らくベテランの運転士が補助で横に座って目を配っているだろうから事故が起きる事はまずないのであろう。しかしながら、僕は車両事故の事を考えるとリスクが大きいような気がして先頭車両に乗る事が滅多にないからよく知らないのだけれど、急ブレーキなんかかけちゃったら先頭車両のそれも運転席の背後辺りに乗っている乗客から物凄い形相で睨まれたりするんだろうな。中には怒鳴ったり窓を殴ったりする人も居るかも知れない。その重圧たるや、想像しただけで胃の辺りが気持ち悪くなる。
さてそんな不安定な中、乗客同士の肩がぶつかったとか足を踏みつけられたとか無言の内にも賑やかな状況に陥るのであるが、どうせなら好ましい対象に肩をぶつけられたり足を踏まれたりした方が気分良く過ごせるというものである。僕の場合なら、乗った車両をさっと見渡して一番可愛いと思う女性の傍に出来るだけ近付こうと目論みる。ついつい足を踏んでしまった事をきっかけに五月の風のような恋など芽生えないかしら、とか夢想するからである。しかしこの場合、飽くまで自然さが重要である。あからさまにその対象に近付こうとすれば、傍から見ても当人にしてもそれはただの気色の悪いおっさんである。
この時期、僕は毎日そんな事ばかり考えながら電車に揺られている訳だが、えてして僕の足を踏むのはおっさんばかりである。そんな時は恋の甘みとは真逆の苦々しい気分で「おい痛えじゃねーかよ!俺の足踏んでんじゃねえよ!てめえ何様のつもりなんだよ!人の足踏んでむくれてんじゃねえよ!つうか今すぐてめえの足切り落とせよ!」くらいの心持ちで、自分の年齢などまるで棚に上げて憤っているのである。
この季節、全国の電車内では様々なドラマが生まれているに違いない。
想像するに、五月というのは新米の運転士が初めて電車の操作を任される時期なのではないだろうか。そう考えると、あのような粗暴な運転が行われる事に合点がいく。恐らくベテランの運転士が補助で横に座って目を配っているだろうから事故が起きる事はまずないのであろう。しかしながら、僕は車両事故の事を考えるとリスクが大きいような気がして先頭車両に乗る事が滅多にないからよく知らないのだけれど、急ブレーキなんかかけちゃったら先頭車両のそれも運転席の背後辺りに乗っている乗客から物凄い形相で睨まれたりするんだろうな。中には怒鳴ったり窓を殴ったりする人も居るかも知れない。その重圧たるや、想像しただけで胃の辺りが気持ち悪くなる。
さてそんな不安定な中、乗客同士の肩がぶつかったとか足を踏みつけられたとか無言の内にも賑やかな状況に陥るのであるが、どうせなら好ましい対象に肩をぶつけられたり足を踏まれたりした方が気分良く過ごせるというものである。僕の場合なら、乗った車両をさっと見渡して一番可愛いと思う女性の傍に出来るだけ近付こうと目論みる。ついつい足を踏んでしまった事をきっかけに五月の風のような恋など芽生えないかしら、とか夢想するからである。しかしこの場合、飽くまで自然さが重要である。あからさまにその対象に近付こうとすれば、傍から見ても当人にしてもそれはただの気色の悪いおっさんである。
この時期、僕は毎日そんな事ばかり考えながら電車に揺られている訳だが、えてして僕の足を踏むのはおっさんばかりである。そんな時は恋の甘みとは真逆の苦々しい気分で「おい痛えじゃねーかよ!俺の足踏んでんじゃねえよ!てめえ何様のつもりなんだよ!人の足踏んでむくれてんじゃねえよ!つうか今すぐてめえの足切り落とせよ!」くらいの心持ちで、自分の年齢などまるで棚に上げて憤っているのである。
この季節、全国の電車内では様々なドラマが生まれているに違いない。
死んだ食物
- 2008-05-03 土曜日
- Category - Days
- Tag - food / environment / health
ここ半年くらいの僕の平日の食生活。朝起きて直ぐには何も食べられないので、仕事場の近くのコンビニでおにぎりを二個買って食べている。昼は幾つかの事情に因り、またしてもコンビニで何か買って食べるのが週の半分くらい。半分固形化した油が僕は駄目なので、出来るだけ油を使ってなさそうな物を選んでいるが、あまり食欲はないので少量に留める。そして夜は帰りも遅いし何もしたくないのでスーパーで安売りされている総菜を肴に酒を呑んでいる。
こう書くと酷い食生活を送っているように読めるが、独身者の慣習としては割合一般的な気もする。一応栄養のバランスを考えてはいるし。僕は毎日違う物を食べたいという欲求は余りないので、毎日同じものを食べる事も苦痛ではない。そういった感じでこんな食生活も何の不都合もなく送れてしまうのだけれど、時々ふと考える事がある。何だか死んだ食物ばかり食べているような気がする、と。何というか、僕が毎日食べている食物には勢いというか豊潤さが全く無いのである。味がどうのこうの言う前の話である。単に調理してから時間が経っているという理由ではなく、何かがすっかり抜け落ちている状態の物しか口にしていないように思える。
僕の体調の程度に因るものではないかとも考えてみるのだが、そんなのは毎日変わるし、継続して感じるという事は食物側に何かしらの問題があるのではないかと考え始めた訳である。簡単に言うなら、腹が減ったから食べているのに、身体が喜んでいない気がするのだ。そうすると食べ続ける気は直ぐさま失せるし、その後はただ流し込むだけである。
一体何が原因なのだろうか。食べる事を楽しめないというのは非常に由由しき問題であると思う。加工品ばかり食べているから防腐剤のせいかとも思うし、吸ってる空気や水の問題であるようにも思える。
例えば、5年か6年くらい前に箱根に旅行した時の事。泊まった旅館の夕食に出された山菜尽くしの数々の料理。味付けもシンプルというか地味であったのだが、僕は御飯を四膳もお代わりしながらそれらの料理を食べ続けた。普段の僕の食の細さを知っていた同行した人も、それに僕自身も驚くほどの食欲で出された物以上の料理を平らげた。美味しかったというのも勿論だが、それ以上に兎に角嬉しかったのだ。身体がとても喜んでいた。
僕が普段食べている食物には、箱根で食べた物のようなエネルギーのようなものが全くない。
ここ数日僕が考えている事は、其処で生産若しくは採れた食材を、其処で調理し、其処で食べさせる食物を食べたいという事。売る為ではなく、生きる為に用意された物を食べたい。
こう書くと酷い食生活を送っているように読めるが、独身者の慣習としては割合一般的な気もする。一応栄養のバランスを考えてはいるし。僕は毎日違う物を食べたいという欲求は余りないので、毎日同じものを食べる事も苦痛ではない。そういった感じでこんな食生活も何の不都合もなく送れてしまうのだけれど、時々ふと考える事がある。何だか死んだ食物ばかり食べているような気がする、と。何というか、僕が毎日食べている食物には勢いというか豊潤さが全く無いのである。味がどうのこうの言う前の話である。単に調理してから時間が経っているという理由ではなく、何かがすっかり抜け落ちている状態の物しか口にしていないように思える。
僕の体調の程度に因るものではないかとも考えてみるのだが、そんなのは毎日変わるし、継続して感じるという事は食物側に何かしらの問題があるのではないかと考え始めた訳である。簡単に言うなら、腹が減ったから食べているのに、身体が喜んでいない気がするのだ。そうすると食べ続ける気は直ぐさま失せるし、その後はただ流し込むだけである。
一体何が原因なのだろうか。食べる事を楽しめないというのは非常に由由しき問題であると思う。加工品ばかり食べているから防腐剤のせいかとも思うし、吸ってる空気や水の問題であるようにも思える。
例えば、5年か6年くらい前に箱根に旅行した時の事。泊まった旅館の夕食に出された山菜尽くしの数々の料理。味付けもシンプルというか地味であったのだが、僕は御飯を四膳もお代わりしながらそれらの料理を食べ続けた。普段の僕の食の細さを知っていた同行した人も、それに僕自身も驚くほどの食欲で出された物以上の料理を平らげた。美味しかったというのも勿論だが、それ以上に兎に角嬉しかったのだ。身体がとても喜んでいた。
僕が普段食べている食物には、箱根で食べた物のようなエネルギーのようなものが全くない。
ここ数日僕が考えている事は、其処で生産若しくは採れた食材を、其処で調理し、其処で食べさせる食物を食べたいという事。売る為ではなく、生きる為に用意された物を食べたい。










