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DOG ON THE BEACH
死んだ食物
- 2008-05-03 Saturday
- Category - Days
- Tag - food / environment / health
ここ半年くらいの僕の平日の食生活。朝起きて直ぐには何も食べられないので、仕事場の近くのコンビニでおにぎりを二個買って食べている。昼は幾つかの事情に因り、またしてもコンビニで何か買って食べるのが週の半分くらい。半分固形化した油が僕は駄目なので、出来るだけ油を使ってなさそうな物を選んでいるが、あまり食欲はないので少量に留める。そして夜は帰りも遅いし何もしたくないのでスーパーで安売りされている総菜を肴に酒を呑んでいる。
こう書くと酷い食生活を送っているように読めるが、独身者の慣習としては割合一般的な気もする。一応栄養のバランスを考えてはいるし。僕は毎日違う物を食べたいという欲求は余りないので、毎日同じものを食べる事も苦痛ではない。そういった感じでこんな食生活も何の不都合もなく送れてしまうのだけれど、時々ふと考える事がある。何だか死んだ食物ばかり食べているような気がする、と。何というか、僕が毎日食べている食物には勢いというか豊潤さが全く無いのである。味がどうのこうの言う前の話である。単に調理してから時間が経っているという理由ではなく、何かがすっかり抜け落ちている状態の物しか口にしていないように思える。
僕の体調の程度に因るものではないかとも考えてみるのだが、そんなのは毎日変わるし、継続して感じるという事は食物側に何かしらの問題があるのではないかと考え始めた訳である。簡単に言うなら、腹が減ったから食べているのに、身体が喜んでいない気がするのだ。そうすると食べ続ける気は直ぐさま失せるし、その後はただ流し込むだけである。
一体何が原因なのだろうか。食べる事を楽しめないというのは非常に由由しき問題であると思う。加工品ばかり食べているから防腐剤のせいかとも思うし、吸ってる空気や水の問題であるようにも思える。
例えば、5年か6年くらい前に箱根に旅行した時の事。泊まった旅館の夕食に出された山菜尽くしの数々の料理。味付けもシンプルというか地味であったのだが、僕は御飯を四膳もお代わりしながらそれらの料理を食べ続けた。普段の僕の食の細さを知っていた同行した人も、それに僕自身も驚くほどの食欲で出された物以上の料理を平らげた。美味しかったというのも勿論だが、それ以上に兎に角嬉しかったのだ。身体がとても喜んでいた。
僕が普段食べている食物には、箱根で食べた物のようなエネルギーのようなものが全くない。
ここ数日僕が考えている事は、其処で生産若しくは採れた食材を、其処で調理し、其処で食べさせる食物を食べたいという事。売る為ではなく、生きる為に用意された物を食べたい。
こう書くと酷い食生活を送っているように読めるが、独身者の慣習としては割合一般的な気もする。一応栄養のバランスを考えてはいるし。僕は毎日違う物を食べたいという欲求は余りないので、毎日同じものを食べる事も苦痛ではない。そういった感じでこんな食生活も何の不都合もなく送れてしまうのだけれど、時々ふと考える事がある。何だか死んだ食物ばかり食べているような気がする、と。何というか、僕が毎日食べている食物には勢いというか豊潤さが全く無いのである。味がどうのこうの言う前の話である。単に調理してから時間が経っているという理由ではなく、何かがすっかり抜け落ちている状態の物しか口にしていないように思える。
僕の体調の程度に因るものではないかとも考えてみるのだが、そんなのは毎日変わるし、継続して感じるという事は食物側に何かしらの問題があるのではないかと考え始めた訳である。簡単に言うなら、腹が減ったから食べているのに、身体が喜んでいない気がするのだ。そうすると食べ続ける気は直ぐさま失せるし、その後はただ流し込むだけである。
一体何が原因なのだろうか。食べる事を楽しめないというのは非常に由由しき問題であると思う。加工品ばかり食べているから防腐剤のせいかとも思うし、吸ってる空気や水の問題であるようにも思える。
例えば、5年か6年くらい前に箱根に旅行した時の事。泊まった旅館の夕食に出された山菜尽くしの数々の料理。味付けもシンプルというか地味であったのだが、僕は御飯を四膳もお代わりしながらそれらの料理を食べ続けた。普段の僕の食の細さを知っていた同行した人も、それに僕自身も驚くほどの食欲で出された物以上の料理を平らげた。美味しかったというのも勿論だが、それ以上に兎に角嬉しかったのだ。身体がとても喜んでいた。
僕が普段食べている食物には、箱根で食べた物のようなエネルギーのようなものが全くない。
ここ数日僕が考えている事は、其処で生産若しくは採れた食材を、其処で調理し、其処で食べさせる食物を食べたいという事。売る為ではなく、生きる為に用意された物を食べたい。
灯油の匂い
- 2008-01-30 水曜日
- Category - Days
- Tag - diary / environment
escobor さんが石油ストーブについて書いていたので思い出した事を少し。
僕はどうにも寒いのが嫌で、気温が20度を下回れば寒いと感じるし、10度を下回れば屋外に出る気になれないし、一桁前半の気温ともなれば「俺を殺す気か!」くらいの気持ちで天を睨み付けるような温帯気候に適した人間である。僕にとっての適温は27〜28度である。
そんな僕であるが故に、数年前まで石油ヒーターを使っていた。エアコンの温風でも間に合わない寒さの場合はやはりストーブだろうと近所のイトーヨーカドーに行ったのだが、生憎とストーブを売っておらず仕方なくヒータを買ったのである。幸い近所の灯油を売っている所が在り、土曜日にそこまで赤いポリタンクを持って行き、帰りには満タンのポリタンクを休み休み部屋まで運んでいた。
そして或る年の冬、前述の店の主人が突然「土曜日は灯油を売らない」とよく解らない事を宣言し、僕は石油ヒータを使えなくなる。ガソリンスタンドで買えば良いのだが、何しろ其処までが遠い。僕の腕力では無理である。僕は泣く泣くエアコン生活を強いられる事になる。僕は家庭用エアコンによる空調が好きではない。自分が工業製品の一部にでも成ったような気分になるし、空調の音が煩い。それに冷房は未だ良いけれども、暖房が嫌だ。冬場の暖められた空気が風で流れるというのが不快だ。
そして僕はある時通販でデロンギのオイルヒーターを(FMラジオのショッピングコーナーを聴いていて、その場のノリで)買った。これなら空気は動かないし、海外の映画などでよく登場するから憧れていた部分もある。しかしながら、小型のタイプを買ったせいなのかこれが余り暖かくないのだ。暖まるまで時間がかかるし本当に寒い時には余り役には立たない。なのでオイルヒータは秋や春に使う事が多かった。しかし今年は暖冬のせいか、最近までオイルヒーターのみで過ごせていたのだ。この暖かさは良い。優しく暖められた空気は大変心地良い。
それが此処暫くの寒さに耐えきれず、嫌々ながらもエアコンの電源を入れる。確かに暖かいが、やはり好きではない。灯油の匂いが懐かしい。臭いと言えばそうだが、既にあの匂いは記憶の襞に深く刻み込まれていて余り不快には思えないのだ。灯油の匂い、暖かな室温、シュンシュンと鳴るヤカン、結露する窓ガラス。それらは冬の記憶として僕の意識の奥底に存在している。
僕はどうにも寒いのが嫌で、気温が20度を下回れば寒いと感じるし、10度を下回れば屋外に出る気になれないし、一桁前半の気温ともなれば「俺を殺す気か!」くらいの気持ちで天を睨み付けるような温帯気候に適した人間である。僕にとっての適温は27〜28度である。
そんな僕であるが故に、数年前まで石油ヒーターを使っていた。エアコンの温風でも間に合わない寒さの場合はやはりストーブだろうと近所のイトーヨーカドーに行ったのだが、生憎とストーブを売っておらず仕方なくヒータを買ったのである。幸い近所の灯油を売っている所が在り、土曜日にそこまで赤いポリタンクを持って行き、帰りには満タンのポリタンクを休み休み部屋まで運んでいた。
そして或る年の冬、前述の店の主人が突然「土曜日は灯油を売らない」とよく解らない事を宣言し、僕は石油ヒータを使えなくなる。ガソリンスタンドで買えば良いのだが、何しろ其処までが遠い。僕の腕力では無理である。僕は泣く泣くエアコン生活を強いられる事になる。僕は家庭用エアコンによる空調が好きではない。自分が工業製品の一部にでも成ったような気分になるし、空調の音が煩い。それに冷房は未だ良いけれども、暖房が嫌だ。冬場の暖められた空気が風で流れるというのが不快だ。
そして僕はある時通販でデロンギのオイルヒーターを(FMラジオのショッピングコーナーを聴いていて、その場のノリで)買った。これなら空気は動かないし、海外の映画などでよく登場するから憧れていた部分もある。しかしながら、小型のタイプを買ったせいなのかこれが余り暖かくないのだ。暖まるまで時間がかかるし本当に寒い時には余り役には立たない。なのでオイルヒータは秋や春に使う事が多かった。しかし今年は暖冬のせいか、最近までオイルヒーターのみで過ごせていたのだ。この暖かさは良い。優しく暖められた空気は大変心地良い。
それが此処暫くの寒さに耐えきれず、嫌々ながらもエアコンの電源を入れる。確かに暖かいが、やはり好きではない。灯油の匂いが懐かしい。臭いと言えばそうだが、既にあの匂いは記憶の襞に深く刻み込まれていて余り不快には思えないのだ。灯油の匂い、暖かな室温、シュンシュンと鳴るヤカン、結露する窓ガラス。それらは冬の記憶として僕の意識の奥底に存在している。
一汁三菜
- 2008-01-17 木曜日
- Category - Days
- Tag - food / environment
日本に於ける食事の基本と謳われるこの形式。厳密にこれを守っている家庭人など殆どいないのではないかと思うが、思い返してみれば、僕の実家での食事は基本としては大体に於いて守られていたように記憶する。飽くまで基本だけどね。しかも昔の話で。
揃いも揃って身勝手で好い加減な性格の持ち主である我が家族は、年月を経る毎に基本が崩れていく。放っておけば勝手に自分が食べたいものを勝手に作り始める男共に対して、母だけが最終的な基本形を守り続けていた。毎日の生活に於ける中心はどう考えても母であったし、またそうあるべきである。しかしながら唯一人、人の話の腰を折るのもまたこの人である。誰かが喋っていても余り聞いていない。自分が喋りたければ周囲の意志や状況はお構いなしである。・・・いやまあ、そんな話は関係ないか。
僕の食生活の起点となっているのは晩酌時である。夜ともなればずっと呑み続けているので、必然的にまともな食事をする事がない。肴にちょっと毛が生えたくらいのものである。それでも一応は栄養のバランスはうっすらと考えてはいて、野菜とタンパク質を交互に摂ったりしている。炭水化物を摂る事は少ない。夜中に余程腹が減った場合か、休日の夜くらいなものだ。そして足りない炭水化物は朝や昼に摂る。朝は何か食べないと目が覚めないので、何かしら食べる。平日はコンビニでおにぎりを少なくとも一個は食べている。そして昼も炭水化物が中心の食事を摂る。
朝や昼は時間をかけて食事をする暇はないので、取り敢えずエネルギー源を掻き込み、夜は酒を呑みながら炭水化物を摂る気には余りなれないのでそれ以外の栄養素を摂る。一日を平均すれば実に理に適った栄養摂取であるように思うのだが、どうなんだろうか。
そんな生活を続けている僕も、最近は一汁三菜の食事というものが、やはり日本人の食生活に於ける理想型であるのではないかと思い始めている。昔から口の中が乾く感覚が嫌いなので、食事時に汁物は欠かせないし、タンパク質中心の食事は気が滅入る。そして歳をとったせいか日本食以外の食べ物には違和感を感じるようになってきた。三食とは言わないまでも二食でも一汁三菜の食事を摂っていればもっと健康なのだろうなあ、と考えるよりも先に身体で感じている。とは言え単身者にその食生活は異次元の話のようにも思える。しかしながら食生活の追求というか充実は、似非とは言え文化人の基本であるよなあと思う冬の夜。
余談だが、神楽坂に日本酒と一汁三菜しか出さない呑み屋があるらしく、二度ほど足を運んだのだが何れも店が閉まっていた。今ではその店の名前をも忘れてしまったのだが、やはり行ってみたいなあ。
追記 2008.01.22: その神楽坂の店の名前は伊勢藤であった。それと、一汁三菜はお通しだけの話で、その他にも色々と用意してあるとの事。リンク先に更にリンクされたサイトに店構えの写真が在る。この季節、粉雪が似合いそうな素晴らしき風情。
揃いも揃って身勝手で好い加減な性格の持ち主である我が家族は、年月を経る毎に基本が崩れていく。放っておけば勝手に自分が食べたいものを勝手に作り始める男共に対して、母だけが最終的な基本形を守り続けていた。毎日の生活に於ける中心はどう考えても母であったし、またそうあるべきである。しかしながら唯一人、人の話の腰を折るのもまたこの人である。誰かが喋っていても余り聞いていない。自分が喋りたければ周囲の意志や状況はお構いなしである。・・・いやまあ、そんな話は関係ないか。
僕の食生活の起点となっているのは晩酌時である。夜ともなればずっと呑み続けているので、必然的にまともな食事をする事がない。肴にちょっと毛が生えたくらいのものである。それでも一応は栄養のバランスはうっすらと考えてはいて、野菜とタンパク質を交互に摂ったりしている。炭水化物を摂る事は少ない。夜中に余程腹が減った場合か、休日の夜くらいなものだ。そして足りない炭水化物は朝や昼に摂る。朝は何か食べないと目が覚めないので、何かしら食べる。平日はコンビニでおにぎりを少なくとも一個は食べている。そして昼も炭水化物が中心の食事を摂る。
朝や昼は時間をかけて食事をする暇はないので、取り敢えずエネルギー源を掻き込み、夜は酒を呑みながら炭水化物を摂る気には余りなれないのでそれ以外の栄養素を摂る。一日を平均すれば実に理に適った栄養摂取であるように思うのだが、どうなんだろうか。
そんな生活を続けている僕も、最近は一汁三菜の食事というものが、やはり日本人の食生活に於ける理想型であるのではないかと思い始めている。昔から口の中が乾く感覚が嫌いなので、食事時に汁物は欠かせないし、タンパク質中心の食事は気が滅入る。そして歳をとったせいか日本食以外の食べ物には違和感を感じるようになってきた。三食とは言わないまでも二食でも一汁三菜の食事を摂っていればもっと健康なのだろうなあ、と考えるよりも先に身体で感じている。とは言え単身者にその食生活は異次元の話のようにも思える。しかしながら食生活の追求というか充実は、似非とは言え文化人の基本であるよなあと思う冬の夜。
余談だが、神楽坂に日本酒と一汁三菜しか出さない呑み屋があるらしく、二度ほど足を運んだのだが何れも店が閉まっていた。今ではその店の名前をも忘れてしまったのだが、やはり行ってみたいなあ。
追記 2008.01.22: その神楽坂の店の名前は伊勢藤であった。それと、一汁三菜はお通しだけの話で、その他にも色々と用意してあるとの事。リンク先に更にリンクされたサイトに店構えの写真が在る。この季節、粉雪が似合いそうな素晴らしき風情。
雑炊の作り方について
昨夜から胃腸の調子が優れず、久しぶりに水菜と釜揚げ白子の雑炊を作る。しかし長い間作っていなかったので何となく手順が朧気である。そこで以前に友人から教えて貰った時のテキストを探して読み直して作った。結果、なかなか旨い雑炊が出来た。少々煮すぎた感もあるが。
せっかくなので再び載せておこう。以下原文より。
「 」は大事なとこ。 ☆は多分そうだと思われるとこ。
入れる順番ではなく、調理手順を書いときます。
この記事は2004年5月19日にアップしたものに加筆し、再掲載したものである。文面を整理しようかとも考えたのだが、そうすると調理の際のリズムが損なわれるような気がしたのでやめておいた。
追記 2008.01.08: 本人からの助言に拠り一部修正。
せっかくなので再び載せておこう。以下原文より。
「 」は大事なとこ。 ☆は多分そうだと思われるとこ。
- まず、「土鍋で作る」こと。普通の手鍋じゃ駄目です。熱の通りが違うので鍋じゃ全然美味しくないはず。
- 出汁と米の割合は「2:1、もしくは3:2」(米を炊くときと同じくらい)
入れる順番ではなく、調理手順を書いときます。
- まず、水菜を洗って切る。
- 出汁と白子を土鍋に入れ、強火にかける。
- 沸かしてる間に炊いておいた「米をざるに入れ、流水で洗ってほぐす(手早く)」
- 出汁が沸騰しかけたら(周りがシュワシュワしだしたらですかね)、洗っておいた米と水菜を入れる。
- ☆ しゃきしゃきの水菜が好きなら米の上にのせるのが良いと思う。
- そのまま(もちろん強火のまま)蓋をする。
- 「何もしない」
- その間何もしない。
- してはいけない。
- 沸騰したら「すぐ」火を止める。
- 胡麻やらネギやら海苔やら入れる。
- 卵を入れる場合は最後に「細く回すように」入れて、「入れた瞬間すぐ火を止める」
- 卵をバラしたいなら菜箸で「2・3回」混ぜる。
- 黄身が65度、白身が70度で固まる(つまり余熱で十分。火にかけてたら煮すぎでまずい)
- 3分煮ると言ってたが、多分3分じゃ長い。
- さらさらな雑炊は「御飯の量と煮る時間」で決まる。
- あと、かつおのみもいいけど、かつおとこんぶだともっと味が出る(バランスは好み)
- で、胡麻は挽いたら香るので、挽いたものを食べる直前に入れるだけで時間は短縮されるかと。
この記事は2004年5月19日にアップしたものに加筆し、再掲載したものである。文面を整理しようかとも考えたのだが、そうすると調理の際のリズムが損なわれるような気がしたのでやめておいた。
追記 2008.01.08: 本人からの助言に拠り一部修正。
寒空の色
新宿南口、フラッグスビルの前、壁を背にしたスモーキングエリアで、もうかれこれ一時間を過ごしていた。その場所が気に入ってそうしている訳ではないし、曇天の下、冷たさを含んだ風に晒されている事がそんなに楽しい事であるはずもない。実を言えば、もう一年近くも連絡を絶っている女にメールを送ろうかと迷っているのだった。
今日はその女の誕生日であり、去年までは数年の間、毎年祝いの言葉を贈り続けていたのだけれど、疎遠になった今、今更そんな事をして良いのかどうか判らないでいるのだ。いや、良い悪いの問題ではない。今更そんな事をしてどうなるというのだ、と考えてしまうのだ。去年までの数年間、度々彼女と過ごしていたが結局その関係は何も生まなかった。彼女がどう思っていたのかは判らないが、何も生み出さない長い時間は僕の気持ちを疲弊させた。そしてある時、いつものように彼女からの連絡が滞っている中、僕は彼女に話しかける努力を止めた。
もともと共通の友人や知人もいなかったので、当人同士がやりとりしなければお互いの存在の影すら認める事は出来ない。そんな希薄な関係だったが故に僕の世界から彼女はあっさりと消え去ってしまった。
その後の僕の生活の中に、というか僕の脳裏に彼女の姿が浮かんでこなかったのかというと全くそんな事はなく、度々思い出すのだけれどその度に僕は気付かないふりをして、目の前の諸事に現を抜かす事で忘れ去っていた。しかしそうやっていても何れは、冬になれば否が応でも彼女を思い出さずにはいられないし、その事に囚われて過ごす事になる事も判っていた。何しろ忘れたくても忘れられない日に彼女は生まれ、僕は世事の祝祭と共に彼女を思い出す事になるからだ。
- - -
僕は携帯電話を握りしめ、さっきから一年前に彼女から送られたメールを読み返している。何の変哲もない、何の感情も沸きようもない当たり障りのない言葉が並んでいた。僕達はこんな言葉を交わす事で数年を費やしていたのだろうか。
今思い出した。それらの言葉は僕が好んで使っていたのだった。いつしか言葉に何かしらの気持ちを乗せる事に恐れを抱き始め、頭を振り絞っては言葉を選び、素っ気なさを装っていたのだ。僕は彼女に、まるで老人同士の時候の挨拶のような退屈を押しつけていたのかも知れない。思えば、そんな関係が続くはずもない。僕は僕自信の首を切り落とす為に言葉を費やしていたのだ。
彼女に贈る言葉が何ひとつ思い浮かばない。彼女の近況など全く知らないから、婉曲的にその辺りの話題を振る訳にもいかない。そもそも僕はどうしたいのだろうか。いくら頭を捻ってもよく解らない。ただ、彼女に話しかけたい衝動だけはある。話したい事がある訳ではない。でも話しかけたい衝動が抑えられない。恐らく、僕はたぶん、彼女に関わっていたいのだ。ほんの一瞬でもいいから彼女の人生に関わらせて欲しいのだ。何も生み出さないかも知れないが、このまま一生死ぬまで彼女に関われない事が我慢出来ないのだ。
「誕生日、おめでとうございます。」
なりふり構わぬ勢いで書いたはずなのに、やっぱりこんな事しか書けなかった。言葉など信用出来るものか。いつの時でもまとわりついて離れない僕の意識がどうしても邪魔をする。言葉の持つ不確かさは時には便利であるけれども、肝心な時には役に立たない。しかし相手に差し出せるものが言葉しかない場合、半ば絶望的な気分で言葉を削る。結果、何も伝わらない。
諦念。ギリギリまで考え詰めてようやく到達する感情。今以上に状況が悪くなろうとどうなろうと、それはそれでどうにか受け容れられる。そうして僕はようやく、送信ボタンを押す事が出来た。
- - -
それから30分くらい後、着信を確認するが何も無し。落胆と安堵が入り交じる。このまま返信が無ければ僕はこの心苦しさから解放されるのに。
一年前まで、何度となくそう思っていた事を思い出す。そうか、僕はあの時、彼女にとって僕が「不要」である事を言い渡される事が怖くて、先回りして自分を貶め、諦める事で安心していたのだ。その場その場で、最悪の状況を予めシミュレートして自分が傷つく事を最小限に留めようとする癖は、長い間の僕の習慣である。それが良いか悪いかなどは知らない。とにかく、自分自身を守る事で手詰まりだった僕には、それが精一杯の行動だったのだ。
- - -
「覚えていてくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。」
メールを送ってから約2時間後、タワーレコーズでCDを物色している時に着信に気付いた。一体何を言っているのだろうか、どうやったら忘れられるのか、知っているのなら教えて欲しいくらいだ。僕は半ば憤慨し、半ば安堵し、そして嬉しかった。この先が同じ事の繰り返しになるとしても、その結果として何も生み出さなくても、喜びや幸せというものから遠くかけ離れようとも、僕自身が望んだ事として、安らかに眺める事が出来るような気がする。
僕は何も買わずに店を出て、ぼんやりとエスカレーターで下まで降りた。ビルと甲州街道の間に在る広場では、たくさんのサンタやトナカイが道行く人々に赤と緑のリボンが結ばれた真っ白なポケットティッシュを配っていた。愛している人にも、愛されていない人にも。彼らの立つ凍えた地面の上空には、比較しなければ認識出来ないほどに薄められた青を落とした、陰鬱な曇り空が広がっていた。
関わらせてくれて、どうもありがとう。
- - -
このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
今日はその女の誕生日であり、去年までは数年の間、毎年祝いの言葉を贈り続けていたのだけれど、疎遠になった今、今更そんな事をして良いのかどうか判らないでいるのだ。いや、良い悪いの問題ではない。今更そんな事をしてどうなるというのだ、と考えてしまうのだ。去年までの数年間、度々彼女と過ごしていたが結局その関係は何も生まなかった。彼女がどう思っていたのかは判らないが、何も生み出さない長い時間は僕の気持ちを疲弊させた。そしてある時、いつものように彼女からの連絡が滞っている中、僕は彼女に話しかける努力を止めた。
もともと共通の友人や知人もいなかったので、当人同士がやりとりしなければお互いの存在の影すら認める事は出来ない。そんな希薄な関係だったが故に僕の世界から彼女はあっさりと消え去ってしまった。
その後の僕の生活の中に、というか僕の脳裏に彼女の姿が浮かんでこなかったのかというと全くそんな事はなく、度々思い出すのだけれどその度に僕は気付かないふりをして、目の前の諸事に現を抜かす事で忘れ去っていた。しかしそうやっていても何れは、冬になれば否が応でも彼女を思い出さずにはいられないし、その事に囚われて過ごす事になる事も判っていた。何しろ忘れたくても忘れられない日に彼女は生まれ、僕は世事の祝祭と共に彼女を思い出す事になるからだ。
- - -
僕は携帯電話を握りしめ、さっきから一年前に彼女から送られたメールを読み返している。何の変哲もない、何の感情も沸きようもない当たり障りのない言葉が並んでいた。僕達はこんな言葉を交わす事で数年を費やしていたのだろうか。
今思い出した。それらの言葉は僕が好んで使っていたのだった。いつしか言葉に何かしらの気持ちを乗せる事に恐れを抱き始め、頭を振り絞っては言葉を選び、素っ気なさを装っていたのだ。僕は彼女に、まるで老人同士の時候の挨拶のような退屈を押しつけていたのかも知れない。思えば、そんな関係が続くはずもない。僕は僕自信の首を切り落とす為に言葉を費やしていたのだ。
彼女に贈る言葉が何ひとつ思い浮かばない。彼女の近況など全く知らないから、婉曲的にその辺りの話題を振る訳にもいかない。そもそも僕はどうしたいのだろうか。いくら頭を捻ってもよく解らない。ただ、彼女に話しかけたい衝動だけはある。話したい事がある訳ではない。でも話しかけたい衝動が抑えられない。恐らく、僕はたぶん、彼女に関わっていたいのだ。ほんの一瞬でもいいから彼女の人生に関わらせて欲しいのだ。何も生み出さないかも知れないが、このまま一生死ぬまで彼女に関われない事が我慢出来ないのだ。
「誕生日、おめでとうございます。」
なりふり構わぬ勢いで書いたはずなのに、やっぱりこんな事しか書けなかった。言葉など信用出来るものか。いつの時でもまとわりついて離れない僕の意識がどうしても邪魔をする。言葉の持つ不確かさは時には便利であるけれども、肝心な時には役に立たない。しかし相手に差し出せるものが言葉しかない場合、半ば絶望的な気分で言葉を削る。結果、何も伝わらない。
諦念。ギリギリまで考え詰めてようやく到達する感情。今以上に状況が悪くなろうとどうなろうと、それはそれでどうにか受け容れられる。そうして僕はようやく、送信ボタンを押す事が出来た。
- - -
それから30分くらい後、着信を確認するが何も無し。落胆と安堵が入り交じる。このまま返信が無ければ僕はこの心苦しさから解放されるのに。
一年前まで、何度となくそう思っていた事を思い出す。そうか、僕はあの時、彼女にとって僕が「不要」である事を言い渡される事が怖くて、先回りして自分を貶め、諦める事で安心していたのだ。その場その場で、最悪の状況を予めシミュレートして自分が傷つく事を最小限に留めようとする癖は、長い間の僕の習慣である。それが良いか悪いかなどは知らない。とにかく、自分自身を守る事で手詰まりだった僕には、それが精一杯の行動だったのだ。
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「覚えていてくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。」
メールを送ってから約2時間後、タワーレコーズでCDを物色している時に着信に気付いた。一体何を言っているのだろうか、どうやったら忘れられるのか、知っているのなら教えて欲しいくらいだ。僕は半ば憤慨し、半ば安堵し、そして嬉しかった。この先が同じ事の繰り返しになるとしても、その結果として何も生み出さなくても、喜びや幸せというものから遠くかけ離れようとも、僕自身が望んだ事として、安らかに眺める事が出来るような気がする。
僕は何も買わずに店を出て、ぼんやりとエスカレーターで下まで降りた。ビルと甲州街道の間に在る広場では、たくさんのサンタやトナカイが道行く人々に赤と緑のリボンが結ばれた真っ白なポケットティッシュを配っていた。愛している人にも、愛されていない人にも。彼らの立つ凍えた地面の上空には、比較しなければ認識出来ないほどに薄められた青を落とした、陰鬱な曇り空が広がっていた。
関わらせてくれて、どうもありがとう。
- - -
このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
- Last modified : 2008-10-15 22:32
炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察
休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。
- 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
- 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
- その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
- 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
- どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
- そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
- ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。
小菊
- 2007-11-23 金曜日
- Category - Days
- Tag - plant / japanese / environment
暫く前に、ラジオに出ていた假屋崎省吾が「最近の菊はいろんな種類があって綺麗なんですよお。」と話していたので、先週末に近所の花屋でサービス品として売られていた淡い黄色の小菊を一束買った。正確な名前は知らない。それを部屋にあったフラスコに挿している。何故そんな物が在るのかというと・・・よく思い出せないが我が家には花瓶の他にも色々と瓶が在るのだ。コカコーラの瓶(200ml)とか、北欧製の液体石鹸の瓶とか。それでどの瓶に挿そうかと考えあぐねて、ふと「粗末な感じのする奴が良いのではないか。」と思いフラスコに挿した訳なのだが、割とそれが気に入ってテーブルの上、パワーブックの隣に飾ってある。
そして今日、一日部屋に居たのでその菊を眺める時間が長かったのだが、飾ってから一週間経つというのに、買った時と変わりない淡く穏やかな黄色い花はこの季節に良く似合うような気がした。しかし何かこう、薄い印象が周りに在る物全てに浸透している感じで、静けさを創り出しているいるようにも思えるのであった。美しい。確かにそうだが、何処となく薄幸そうな印象を持ってしまうのは、やはりフラスコなんかに挿しているからなのだろうか。
儚げな色彩を持ち、しなやかさと意外な強靱さを併せ持つ和花を最近になって気に入り始めた。
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