DOG ON THE BEACH
中央線沿線を歩く(飯田橋〜市ヶ谷)


線路脇の道。線路の向こう側は神楽河岸。何故こんな派手な着色をされているのかよく解らない。

緩やかな坂道を登って、東京歯科大東京短大の横辺り。遊歩道が整備されており、学生らしき人と擦れ違う。左側の写真が遊歩道で、右側の写真は少し階段を登った上に在る微妙な細長い公園。遊歩道を見下ろせる。そして奥に在る倉庫のような施設の水道を使って、僕と同年代の路上生活者がタオルで身体を洗っていた。

左側:飲み屋が何軒か軒を連ねる。右側:外堀を渡る早稲田通りの上から線路を見下ろす。

同じく早稲田通りの江戸城外堀跡(牛込見附)。

線路越に外堀を眺める。

相変わらず遊歩道は続く。

法政大学の横。


法政大学横の外堀を渡る道の上から。道路脇の曼珠沙華。

市ヶ谷駅手前の外堀を渡る靖国通りの上から、駅のホームを望む。

振り返り、四谷駅方向のホームを望む。
- Last modified : 2009-11-15 20:16
中央線沿線を歩く(水道橋〜飯田橋)


後楽橋の上から外堀の東西の眺める。

JP貨物の敷地に阻まれ真っ直ぐに進めなくなったので、高架路線を潜り線路の右側へ。

この場所の少し手前には店舗が幾らかガードの下に軒を並べており、それを過ぎると閑散として、右側にオフィスビルが建ち並ぶのみ。

小石川橋の上から首都高速5号線を望む。

その直ぐ傍に建てられたマンション。何故そんな場所に建てるのか理解んい苦しむが、路肩に立つ樹木が良い。

線路に沿った広い道。石を積み上げて造られた高架路線の壁。

取り残されたようにも見える、どことなく時代を感じさせる建物。呑み屋が何軒か入っている。

左側。船河原橋の上で振り返り、東側の眺め。
中央線沿線を歩く(御茶ノ水〜水道橋)


左側、神田駅方面を見る。右側、水道橋駅方面を見る。緑と水辺の際を走る鉄道は美しいなあ。

線路の左側に学校が多く集まる一帯。人通りは少ないが、学生らしき数人擦れ違う。学校は休みだろうに何をしているのだろうか。妙に整備が行き届いているわりには、ところどころ雰囲気のある場所がある。多少なりとも歴史があるのだろうな。

線路を見下ろすと車両の屋根が見える。都心の沿線はこの光景が見れるのが良い。都心でなければ陸橋の上にでも登らなければ見る事は出来ないだろうし。

皀角坂(さいかちざか)と読む。江戸時代よりもずっと以前にサイカチが群生していた事から名付けられたのだそう。今では、線路を走る電車を観るのに絶好のロケーション。

線路と歩道の高さが次第に逆転していく。電車ではなく、人間が土地を上り下りしているのだ。因みに右の写真の見切れた左奥の路上には、突如動けなくなったのだろうか、アスファルトの上に横たわった老女が警察官や救急隊員に囲まれていた。
空たかく遠くはためく羽根の音
雲間にうかぶ黒い旗
十月燃ゆ
神無き空の 淋しさよ
雲は流れて、陽は落ちる
空が黄昏れる少し前、明るさを残したまま、沈みゆく太陽が雲を黄金色に染め始める頃合いを何と呼ぶのか判らないが、だいたいここからが夕方だと思っている。そして空は赤みを帯び、後には灰色が混じり始め、地上は黒い影に覆われていく。こういう光と闇が交代していく光景をまともに眺めていられたのは、中学生の時までだろうか。一周が300メートルのトラックの横、どうにか確保していた直線でダッシュを繰り返しながら、そういう空を見上げていた。ブラスバンド部が鳴らす下手くそな音階がいつも聴こえていた。
そういう光景は大変美しいのだけれど、それとは別に何か焦りのようなものを感じていた事を覚えている。日が暮れて夜になってしまったらどうしたら良いのかわからない、というような途方に暮れた感覚。考えるまでもなく、家に帰って家族と晩ご飯食べて風呂に入ってテレビ眺めて寝てしまえば良いのだし、実際に家に帰ると安心する。そうすると、焦りの原因は光量によるものとしか考えられないが、よく判らない。
大人になって勤めるようになるとその感覚は殆ど無くなった。昼間に働く大人にとって夕方とは、仕事から解放された後の楽しい時間の始まりであるので、焦りなど感じるはずもない。あるとすれば、待ち合わせの時間に遅れそうだとか、終わらない仕事の期限だとかそのくらいである。途方に暮れるのとは全然違う。
ただし、休日に部屋に籠もっていたりした夕方に、同じ様な感覚に陥る時がある。何となく夕暮れが怖いのである。それならば音楽を鳴らすなり本を開くなりテレビを点けるなりすれば良いのだが、意識しなければそうはしないようで、気がつけばボケっと夕暮れの空を眺めていたりする。独り暮らしはこの時間がキツい。
これはそういう時間をやり過ごす為の mix である。余り救済的なものにはならなかったけど。
そういう光景は大変美しいのだけれど、それとは別に何か焦りのようなものを感じていた事を覚えている。日が暮れて夜になってしまったらどうしたら良いのかわからない、というような途方に暮れた感覚。考えるまでもなく、家に帰って家族と晩ご飯食べて風呂に入ってテレビ眺めて寝てしまえば良いのだし、実際に家に帰ると安心する。そうすると、焦りの原因は光量によるものとしか考えられないが、よく判らない。
大人になって勤めるようになるとその感覚は殆ど無くなった。昼間に働く大人にとって夕方とは、仕事から解放された後の楽しい時間の始まりであるので、焦りなど感じるはずもない。あるとすれば、待ち合わせの時間に遅れそうだとか、終わらない仕事の期限だとかそのくらいである。途方に暮れるのとは全然違う。
ただし、休日に部屋に籠もっていたりした夕方に、同じ様な感覚に陥る時がある。何となく夕暮れが怖いのである。それならば音楽を鳴らすなり本を開くなりテレビを点けるなりすれば良いのだが、意識しなければそうはしないようで、気がつけばボケっと夕暮れの空を眺めていたりする。独り暮らしはこの時間がキツい。
これはそういう時間をやり過ごす為の mix である。余り救済的なものにはならなかったけど。
やつらの足音のバラード
ふと思い出したはじめ人間ギャートルズのエンディング主題歌。
こちらはオリジナル。作詞:園山俊二、作曲:かまやつひろし、唄:ちのはじめ。で、こちらは小泉今日子によるカバー。埋め込み無効の設定なのでリンク先に飛んで下さい。確かスガシカオもカバーしてた気がするなあ。それからこちらが歌詞。
この歌のように、ゆっくりとした変化を眺めながら、ぼけーっとして、それでもしっかりと生きていきたいなあ。
こちらはオリジナル。作詞:園山俊二、作曲:かまやつひろし、唄:ちのはじめ。で、こちらは小泉今日子によるカバー。埋め込み無効の設定なのでリンク先に飛んで下さい。確かスガシカオもカバーしてた気がするなあ。それからこちらが歌詞。
この歌のように、ゆっくりとした変化を眺めながら、ぼけーっとして、それでもしっかりと生きていきたいなあ。









