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May 2007

視るという信念

 一昨日の事だ。東京地方は夏日とも思える陽気で、街行く女性達の中には二の腕を露わにした人も幾らか見受けられた。そんな日の夜の事。仕事帰りの僕はいつものように晩酌の為の酒を手に入れようと帰り道沿いに在るカクヤスに立ち寄った。そして自動扉を意気揚々とかいくぐった僕の目に飛び込んできたのは、カットオフジーンズの下に長く伸びた白く艶やかな女性の脚であった。僕は突然の事に声も表情も失いその場所に立ちすくんでしまったのだが、哀れむような、それでいて威圧的な店員の視線に気付き目を覚ました。
 そしてその後、その女性はあろう事か陳列棚の低い位置に置いてある酒のラベルを見ようとしてか、お辞儀をするように上体を前へ屈したのである。そうするってーとどうなるかというと、わざわざ書く事でもないが、脚のずっと上の方、つまり尻の際までもが僕の面前に押し出される形になるのである。とすれば普通に考えて「こりゃあ堪らねえ。こいつを見逃す手はねえ。」って場面なのだが、ここで僕の悪い癖が出る。ここまで挑戦的に見せられるとついムカっときてしまい「絶対に視てやらねえ。」みたいな事を思ってしまって、そそくさと他の陳列棚へ逃げてしまうのである。

 勿論そうしてしまった場合、視なかった事に対して後悔するのである。その時はその後悔は直ぐさま襲ってきて、別な酒を探すフリをして当の女性の背後に戻ろうと思いはした。したのだけれど、店員(男二人女一人)の視線がその女性に集まっていたのでどうにも戻り難い。男の店員の視線は同じ穴のむじななのでこの際どうでも良い。しかし一人の女の店員の視線が僕を躊躇させるのである。三日に一度はこの店に立ち寄っているので、今後どんな目で見られるか判ったものではない。悪くすれば、もう二度と僕に酒を売ってくれなくなってしまうかも知れない。くわばらくわばら。
 結果、その女性の脚を二度視する事は出来なかった。惜しい事をしたものである。あそこまでの美しい脚は滅多にお目にかかれないだろう。どうせなら、対象となる女性に至近距離まで近付き、それはもう舐めるように凝視出来るくらいの男になりたいものである。

腐点

 本日の東京は最高気温28.8℃を越え、真夏日とまではいかなくとも既に夏である。今この瞬間にも、エアコンの温度表示を観てみれば25℃である。Fishmans の「 Wether Report 」という曲中で「5月なのに25℃を越える日もあるさ」などと歌っているが、今日はそれ以上だ。

 こんな日の終わりに部屋に戻ってみれば、いつもとは少々違う事に気付く。朝見た時にはあんなにも元気そうにしていた向日葵の切り花は、花瓶の水を半分以上も減らしてうな垂れているし、台所からは妙な匂いが漂ってくる。腐敗の兆候である。
 この自然界には沸点や融点もあるのだから、腐点というのも在りそうな気がするのだが、どうなのだろう。一昨年だったであろうか、日中の最高気温が39℃を越えた日、町中を歩いているとこれまでに嗅いだ事のない腐敗臭が漂っていた。いや、何かが腐敗した匂いなのかどうかも判らない。兎に角得体の知れない匂いを僕の鼻腔を擽ったのである。その時に僕は思った。この世に存在する有機物には、それぞれ腐敗し始める腐点のようなものが在るのではないかと。

 話は変わって、これは比喩でしかないのだが、人間にも腐点は在りそうだ。人それぞれが持つ己の欲求。似たような欲求でも人に拠って臨界点が違う。ここで言う臨界点とは、その値を超えると周囲の人間の存在が無に帰す事、社会性を無くす事である。時折、その臨界点が極端に低い人と出会う。傍目には面白いと思えなくもないが、実際に関わっていると迷惑なだけである。ただ、その人が全ての領域に於いてそうであるのではなく、部分的に(僕の主観では)腐っているだけなので、それ以後も相変わらず付き合っていく羽目になる。でもまあ、その領域が広ければ広い程疎ましく感じるのは事実なので、場合に拠っては離れざるをえないと判断する事も出てくるのである。

 とまあ、偉そうに書いてみたが、そういう事に基準を作るのは難しいねえ。

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