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June 2007

根性彫り

 昨日の夜はひどく疲れていたので、さっさと寝てしまおうと23時頃にはタオルケットを被っていたのだけれど、何故かしらふいに根性彫りの事を思い出してしまい、それからあれやこれやと思い出していたら眠れなくなってしまった。

 田舎の中学生だった僕の周りには、所謂「ヤンな人達」が結構居て(というか元々保育園からの同級生なのだけれど)、彼等の間で「根性彫り」が流行っていたのだ。僕自身はその頃から非常に中途半端な精神性を持った子供で、真面目に勉強する事もなければ「ヤンな人」にもなれなかった。しかしその周辺には居たので自然感化される事になった訳である。つまり、僕も根性彫りをやった事があるような気がする。恐らく。というのも記憶が曖昧だからである。昨夜の回想の中では僕の左手首に刻まれた文字のような疵まで思い出せたので、恐らく間違いはないと思うのだけれど、僕は自分の記憶に夢が混ざっているフシがあるような人間なので確信が持てないのだ。

 さて、根性彫りとは一般的に「好きな人の名前を自分の身体に刻む。」という、言ってみれば「どれだけ相手に惚れ込んでいるか?」という事を目に見える形で証明する行為であるようなのだが、僕の周辺で行われていたのはそれとはかなり違い「好きな人の名前を自分の身体に彫って、それを誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら、その恋は成就する。」という、何というか・・・やってる事は大差ないのに、その意味合いが一般的な根性彫りに比べると一途で一本槍な感じがあっさりと崩れ去り、幼稚な部分だけが残ってしまったという非情に恥ずかしい行為であった。さすが中学生、おしなべて馬鹿である。
 そして根性彫りというのは、どちらかと言えば女の子がやる行為(海外では好きな女の名前を入れ墨にする男は結構居るようではあるが)であるようで、僕の周辺で流行っていた行為も、その意味合いからしてどう考えても女の子用に考案された遊びに思える。では何故僕がそんな事をしたのか。その時の事情を全く覚えていないので想像するしかないのだけれど、たぶん「乗せられた」のだろう。僕は昔っから誰かを好きになると、その行動全てにそれが現れるらしくて、長くは経たない内に周囲の人全てが知るところとなる。そんなあからさまな行動をとる僕はよく女の子達にからかわれていたのである。

 そんな風にして僕は好きな女の子の名前を自分の左手首に彫る事になったのだが、その後の処理がこれまた甘酸っぱい。上に書いたように「誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら」という条件が在るので、何かしらで彫った名前を隠蔽する事になる。どうやって隠すか。それは絆創膏がその役目を果たしていた。しかも目立たない事を前提にデザインされた肌色の物ではなく、そこはさすがに女子中学生、キャラクター物の絆創膏なのである。他の人の事は覚えていないが、僕が貼っていたのはスヌーピーがプリントされた水色の絆創膏であった。勿論自分でそんな物を買う訳もなく、友達の女の子に予め貰って貼っていたのである。
 スヌーピーの絆創膏って・・・。もう言葉もない。恐らく女の子から何かしら貰う、という事が嬉しくて仕方がなかったのだろう。今思えば中学2年くらいまでは、毎日そんな事ばかり思って過ごしていた気がする。

 ★

 さて、此処までは前フリである。昨夜思い出していた中でどうしても気になった事があって、それがこの話のメインなのだが、それは何かというと、僕が左手首に彫った名前の持ち主が一体誰なのか全く思い出せない事である。実はそれが思い出せないが為に眠れなくなったのだ。その当時、中学生の頃の前半くらい、該当する女の子は二人居るがそのどちらなのかが判らない。
 根性彫りと言うのならば、一生残る疵を自らに与えるのだろうけれど、根性も思想も何もなかった僕は、安全ピンを使ってナノ単位で薄く自分の皮膚を削っていたので、間もなく彫った名前は消えてしまった。そんな事を考えていると、もしかしたら僕の根性彫りは夢の中での出来事ではなかったのだろうかと思ってしまう。あり得るだけに確信が持てない。

 本気で根性彫りをする人を何となく羨ましく思う。昨夜は、酒の酔いに任せて久しぶりに彫ってみようかとも考えたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。今僕は、それを馬鹿馬鹿しく思わない精神性を眩しく感じるのだ。何故だろうか。たぶん、退屈なのだ。

蚊取り線香

 我が家では未だに夏が来ると蚊取り線香を焚く。勿論あの鬱陶しい藪っ蚊吸血鬼の飛来を妨げる為なのであるが、その本来の機能以外にも、僕の場合はあの蚊取り線香の香りを嗅ぐと何だか気分が落ち着くので、今日は雨が降っているし気温が低いから必要ないかなあと思っていても焚く。香りを楽しむ為の物ではないので、人に快をもたらす匂いではないとは思うのだけれど、何だか良いのである。だから恐らく、夏の間の僕は蚊取り線香臭いと思う。

 因みに僕は、実家で使用していたという事もあって、昔っから大日本除虫菊株式会社の「金鳥」ブランドを使っている。これがアース製薬の物だと、何処かしらしっくりこないし、マット状の電気式の物なんて「こんな甘い匂いで蚊が撃退出来るのだろうか。」とその機能さえも疑ってしまうくらいである。
 どうも僕は味とか匂いというものに対しては非情に保守的で、原体験で受け容れたもの以外はなかなか受容出来ないようである。あいや、よくよく考えたら僕は色んな局面に対して保守的な気がする。未知の可能性を夢見るよりも、慣れ親しんだものを慈しむ方が性に合っているようだ。

 少し話はずれるが、蚊取り線香に限らず、窓を開け放たれた部屋に香の匂いが漂っているという状況が、僕は好きであるようだ。

人生なんて所詮死ぬまでの暇潰し

 随分前に、こんな台詞を友人だか知人だか誰だかにほざいた記憶がある。どう考えても誰かの受け売りなのだが、それが誰の言葉だったのかが思い出せない。しかしそんな事は日常に流され一瞬のうちに忘れ去ってしまい、ごく稀に思い出してはやはり思い出せないのでまた忘れてしまう。そういう風にして年月は経って行くのだけれど、ここの所、彼方此方で読み漁っている中にこの台詞が度々登場するので久しぶりに思い出した。

 まずは実相寺昭雄。吉原特集の「東京人」で氏の追悼記事が載っていて、その中にはこうあった。
 「生きてるなんてことは、所詮死ぬまでのヒマつぶし」が、実相寺さんの生活信条であった。
 当時の僕が実相寺昭雄に興味を抱いていたとは思えないのだけどなあ、と思っていると、また別な記述に突き当たった。Wikipedia で「みうらじゅん」について読んでいたいたらこんな記述があった。
 グレート余生:「人生とは死ぬまでの暇つぶし」はみうらじゅんの言葉である。人は生れ落ちた時、余生が始まると説いており、その余生を有意義にするのがマイブームである。
 数々の造語を世に広めた人ではあるが、1937年生まれの実相寺昭雄が生活信条にしていた言葉を、1958年生まれのみうらじゅんが造るかなあ、と僕はかなり疑っている。ついでに書くとリリー・フランキーの書いた短編の中にも出てくるのだが、これはみうらじゅん繋がりで出てきた言葉ではないだろうか。
 タイトルの言葉で検索すれば幾らかは出てくる。わりかし使われる言葉であるようだ。これだけ出てくるのならば、ずっと昔から伝わっている言葉ではあるような気がする。その元となるような記述を見つける事は出来なかったが、誰しもとは言わないけれど、結構人の口をついて出る言葉なのではないだろうか。

 ★

 それはさておき、上記の実相寺昭雄の追悼記事の中で、寺田農の書いた記事にこうあった。
 そしてそのことが、若い頃から好んで口にしていた「生きてるなんて事は、所詮死ぬまでのヒマつぶし」につながっていくのだろうし〜中略〜ましてやそれを口にする時には、自虐めいた嘯きでもなかったしかといって虚無的な思索にみちたものでもなく、ジッソー独特の、あのイッヒッヒという笑いのなかでの言葉だった。
 確かに僕がその言葉を口にした時も多分に自虐めいていたし、検索でヒットした記事にしても大体はそんなニュアンスを含んでいるものばかりだた。そんなものはやはり人生に対する愚痴でしかない。その言葉を己の生活信条とした実相寺昭雄の軽やかさには到底及ばない。例えるならば、真っ白な画用紙に、十二分に水を含んだ絵筆から色彩を落としていくように、そして落とした色が画用紙に滲んで色彩を広げていくのを楽しむように生きる事。それを目指す事こそ、この言葉の本意なのではないだろうか。

岩松 了

 「帰ってきた時効警察〜第八話」は、三日月120%という感じで大変気に入っているのだけれど、早いもので残すは今週末の最終回を残すのみ。一抹の寂しさを感じる。

 そんな時に、兼ねてより予定されていた岩松了が監督を務める、仮題「たみおのしあわせ」が「そして夏がきた」というタイトルに変更され、6月1日からクランクインしたという知らせを見つけた。主演はオダギリジョーと麻生久美子。二人の結婚へと至る騒動を描いたものであるらしい。最終回がどうなるのかは判らないのだけれど、時効警察での二人を見ていて、結婚というイベントに巻き込んでみたくなったのだろうか。

 Wikipedia の頁にも在るように、岩松了は俳優より以前に劇作家・演出家であるのだが、いかんせん僕は戯曲は読まないし演劇には疎い。彼がどのような舞台を作り上げている人なのか全然知らない。知っているのは、色々な映画やテレビドラマに端役として出ているのを見かけるのと、幾つかの作品に脚本家として参加している事くらいだ。
 岩松了脚本で観た事があるのは、荒木経惟とその妻陽子を描いた「東京日和」と、「私立探偵濱マイク〜第七話」と、「時効警察〜第三話」くらいだが、どの話も夫婦の話だ。しかもどの夫婦も漠然とした疑念を抱えながら暮らしている。そんな話ばかりを書いていた岩松了が結婚へと至る話を撮ると聞いて僕は「へえ。」と思った。その「へえ。」とは下世話な興味でしかないのだが、何だか楽しみである。何より「そして夏がきた」というタイトルが気に入った。静岡県島田市の風景と共に、僕は勝手にラストシーンを思い浮かべてしまう。そこにはとても幸せな光景が広がっているのだ。撮り終えるのが今年一杯だという事だから、公開されるのは来年になるのだろうが、そういう物語を観たいと思っている自分を、実のところ持て余している。僕が未だに未婚だからかも知れないのだけれど。

 6月も既に5日は過ぎ、その内に雨が多くなってくるのだろう。昔ほどは梅雨が嫌いではなくなってきた。雨が降っている方が気持ちが落ち着く。しかしながらそうした季節もやがては過ぎ去り、気がつけば、強烈な光に溢れた夏が手を広げて待っている。

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