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September 2008

好ましき髪型

 僕自身の髪型の話ではない。女性の髪型の話である。予てから僕は「好みの女性タイプは?」という類の質問にはいつも上手く答えられない。こういう質問というのは主立った容貌や性格的傾向を訊いているのだろうけど、人間を構成する要素は多種多様であるしその組み合わせとなればこれはもう無数である。勿論僕にも好みの傾向というものは在るので、その幾要素かを辿る事は出来るのだが、そうしている内に段々と訳が判らなくなるものである。最高値の組み合わせを決定するなんて事は、これはもう一生を掛けての課題であるから、おいそれとは答えられないのは当然だと僕は思っているのだが、恐らく質問者はそこまでは求めていない。それは解っているのだけれどテキトーに答える事が出来ないのだな、僕は。

 さてそんな中、これだけは発表しても差し支えないのではないだろうかと思えるのが女性の髪型である。最近ようやく自分の好みが判ってきた。これにしたって元々は「似合ってれば何でも良いな」くらいの認識しかなかったのだけれど、と或る髪型の女性を見かけると必ず目に留まり、それ以外の要素を確認しようとうろちょろとしてしまう自分に気がついたので、これはもう決定しても良いのではないかと思い記念に此処に記すのである。
 んで、その髪型とは真ん中分けのボブである。リンク先に拠れば「ワンレングス ボブ」というらしい。その魅力を試しに書いてみれば「細く滑らかな髪質の特徴を十分に生かしつつ軽快で華奢な雰囲気を保ち、それでいて色の匂いを秘めている」とか解りにくい文章になってしまう。こういうのは観て触って嗅がないと解らない。

 因みに有名な人物で例えるなら、髪の毛を切った後の麻生久美子とか、ショートにする前の Megumi とか。特に Megumi のこの髪型にした時の横顔はとても美しい。
  • Last modified : 2008-10-20 21:44

借り物の祝祭

 浅草サンバカーニバルの起源を辿れば、Wikipedia やその他の殆どのページには同じ記述が在る。
 浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。
 1981年なんてついこの間の事だ。何故浅草にサンバカーニバルなのかという疑問は考えても意味がないだろう。この国はキリスト教の祝祭を平然と自国の祭り・イベントとしてやってのけるし、果てはキリストやモーゼやブッダの墓が在るとかないとかそんな事まで、街や地域の経済を興す為に作ったりするような国なのである。調べてみれば高円寺阿波おどりも同じ様な理由で始められたようだし、とにかく借り物のスタイルであれ何であれ、呼び物となりそうなものであればそれを催して金を落とさせる。全国何処でも大なり小なりやっている経済活動である。それは、全てとは言わないが元々この国の各地方に伝来する宗教的な祭りさえも含まれてしまう。浅草とサンバカーニバルを関連づける事柄があるとすれば、浅草が観光地で日常的に祭りを催しているようなもので観光客の扱いにも慣れているだろうし、昔から三社祭のような大祭を継続させるだけの素地がある土地なのだから、受け容れやすかったのだろうという事は考えられる。いずれにしても節操の無さを感じる事は否めないのであるが。

 さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。

 この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。

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