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DOG ON THE BEACH

好ましき髪型

 僕自身の髪型の話ではない。女性の髪型の話である。予てから僕は「好みの女性タイプは?」という類の質問にはいつも上手く答えられない。こういう質問というのは主立った容貌や性格的傾向を訊いているのだろうけど、人間を構成する要素は多種多様であるしその組み合わせとなればこれはもう無数である。勿論僕にも好みの傾向というものは在るので、その幾要素かを辿る事は出来るのだが、そうしている内に段々と訳が判らなくなるものである。最高値の組み合わせを決定するなんて事は、これはもう一生を掛けての課題であるから、おいそれとは答えられないのは当然だと僕は思っているのだが、恐らく質問者はそこまでは求めていない。それは解っているのだけれどテキトーに答える事が出来ないのだな、僕は。

 さてそんな中、これだけは発表しても差し支えないのではないだろうかと思えるのが女性の髪型である。最近ようやく自分の好みが判ってきた。これにしたって元々は「似合ってれば何でも良いな」くらいの認識しかなかったのだけれど、と或る髪型の女性を見かけると必ず目に留まり、それ以外の要素を確認しようとうろちょろとしてしまう自分に気がついたので、これはもう決定しても良いのではないかと思い記念に此処に記すのである。
 んで、その髪型とは真ん中分けのボブである。リンク先に拠れば「ワンレングス ボブ」というらしい。その魅力を試しに書いてみれば「細く滑らかな髪質の特徴を十分に生かしつつ軽快で華奢な雰囲気を保ち、それでいて色の匂いを秘めている」とか解りにくい文章になってしまう。こういうのは観て触って嗅がないと解らない。

 因みに有名な人物で例えるなら、髪の毛を切った後の麻生久美子とか、ショートにする前の Megumi とか。特に Megumi のこの髪型にした時の横顔はとても美しい。
  • 最終更新日時 : 2008-10-20 21:44:31

借り物の祝祭

 浅草サンバカーニバルの起源を辿れば、Wikipedia やその他の殆どのページには同じ記述が在る。
 浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。
 1981年なんてついこの間の事だ。何故浅草にサンバカーニバルなのかという疑問は考えても意味がないだろう。この国はキリスト教の祝祭を平然と自国の祭り・イベントとしてやってのけるし、果てはキリストやモーゼやブッダの墓が在るとかないとかそんな事まで、街や地域の経済を興す為に作ったりするような国なのである。調べてみれば高円寺阿波おどりも同じ様な理由で始められたようだし、とにかく借り物のスタイルであれ何であれ、呼び物となりそうなものであればそれを催して金を落とさせる。全国何処でも大なり小なりやっている経済活動である。それは、全てとは言わないが元々この国の各地方に伝来する宗教的な祭りさえも含まれてしまう。浅草とサンバカーニバルを関連づける事柄があるとすれば、浅草が観光地で日常的に祭りを催しているようなもので観光客の扱いにも慣れているだろうし、昔から三社祭のような大祭を継続させるだけの素地がある土地なのだから、受け容れやすかったのだろうという事は考えられる。いずれにしても節操の無さを感じる事は否めないのであるが。

 さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。

 この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。

浅草サンバカーニバル 2008

 浅草サンバカーニバルに行ってきた。東京に住み始めて長い時間が立つが、同じ浅草の三社祭は何度も足を運んでいるのにこの祭りは初めてである。というのも「遠い他国の祭りを輸入して日本で開催する意味が解らない」とか「カーニバルの衣裳やサンバが日本に合う訳がない」とか思っていたからで、それでどうにも引っかかるので行く気になれなかったのである。同じような理由で高円寺阿波おどり新宿エイサーまつりにも行った事がない。しかし今年は何となく覗いてみようという気に何故かしらなった。

 午後1時30分から始まるパレードに間に合うように都営浅草線浅草駅で降りたのだが、意外と利用客は少ない。あれ、こんなものなのかなと思いつつ地上への階段を上がると、馬道通りと雷門通りの交差する方向からは既に多数の打楽器の轟くような轟音が聴こえてくる。心躍らせながら僕は雷門前目指して歩いた。途中交差点辺りで目に突き刺さるような色彩を施した衣裳を纏った集団が踊りながら歩いているのが見えた。交差点を曲がり雷門通りのアーケードに入ると其処にはもう人人人の人集りで、その混雑振りは隅田川の花火大会を思い出させる。パレードなんて殆ど見えない。その時点で既に帰りたくなったが我慢して足を進めた。
 行けども行けども何も見えない。よほど左の脇道に入って帰ろうかと思った。しかし通りの真ん中に「Finish」と書かれたボードの立つゴール地点の少し前辺りに、それまで何重にも列なっていた人が薄くなる場所があったので、僕は其処を定位置とする事にした。その場所には幸いな事に年寄りしかおらず、つまり何れ足腰がキツくなって脱落するであろうと踏んだのである。しかも一眼レフに長玉を付けているようなカメ爺も居ないので脱落する時期も早いと読んだ。

 さて、隣に割り込んでくるおっさんの息が酒臭いとか、そもそも息が臭いとか、こういう人が多く集まる催し物に参加した際にいつも思うのは年寄りとカップルはずうずうしくて甚だ迷惑だと再確認したとか、カップルのずうずうしさには国籍や人種は関係ないとか、突然の夕立にもめげずにパレードを見つめているのはやはり単独者だけなんだなとか、そんな事を思いながら結局18時のラストまで其処に立っていた。上に掲げたのは、最後のチームがゴール地点で最後のステップを踏みながら歌っている場面である。そして本来書こうとしていた事よりも先にこんなどうでも良い事を書き始めてしまったばかりに酔いが回ってしまってそのまま終わろうとしている事に今気付いた。次回へと続く。

母と息子のバラッド

 確か7月の半ば頃の話。梅雨が開けるか開けないかの瀬戸際の快晴の日に、僕は打ち合わせに挑むべく地下鉄の駅へと向かっていた。薄暗い地下へと降りる入口の前で、何やら高校生くらいの男の子がもたついている。彼は長身だというだけではなく、太っているという訳でもなく、縦にも横にも大きな巨漢であった。真っ黒な学生ズボンに白い半袖の開襟シャツ、坊主頭の下の表情は大変幼くどちらかと言えば愛らしい。そんな彼が一体そんな場所(通行の邪魔)で何をまごついているのか判らないが、突然横を向いてこう言ったのである。「お母さん、これ持ってて」それを聞いて初めて男の子の隣に佇んでいる女性の存在に気がついた。年の頃は40過ぎ、身長は150cmあるだろうか。僕の母もそうだが、とても小さなお母さんである。「もう・・・」と嘆きながら息子から鞄を受け取る。どうやら息子は定期券を探しているらしい。
 巨漢の息子にちっちゃな母親。不思議だ。父親が巨漢なのだろうか。でもそんな事より、この二人を見ていると何故だか頬を緩むのだ。どれだけ身体が大きかろうが息子は息子で、どれだけ身体が小さかろうが母は母である。その事実は僕をとても楽しい気分にさせる。

Chineseman in Tokyo

 僕が上京したての頃、当時は未だ東京で学生をしていた友人と夜の山手線に乗った時の話。

 乗客の少ない車両に乗り込んだ僕等の耳に男の怒号が聞こえてきた。「おまえ中国人だろう!」「よお、おい!お前は中国人だろうってんだよ!」見れば薄汚れた身なりの老人が口角に泡を溜めながら怒鳴っていた。老人の目の前の座席にはステンカラーコートを身に纏った若い男が背筋を伸ばして座っていた。歳は20代の後半くらいか。見た目で彼が中国人であると判断出来る要素は何処にもない。それでも老人はしつこく繰り返す。泥酔しているのか、同じ言葉をただ大声で繰り返している。車内は凍り付いたように静まりかえっていて、罵倒されている男はじっと堪えていた。
 やがて扉が閉まり、電車は動き出した。それでも止まない老人の追求に、僅かに男の表情が揺らいだかと思うと俄に立ち上がってこう言った。「そうだよ、俺は中国人だよ!だけどそれの何が悪い?俺は一生懸命働いて日本で暮らしてるんだ!中国人だからって何で馬鹿にされなきゃいけないんだよ!」本当に彼は中国人だった。僕はその事に驚いていた。それにしても老人は何故彼が中国人だと判ったのだろうか。男に怒鳴り返され、老人は言葉を失っていた。まさか言い返してくるとは思わなかったのだろう。態度が急に軟化し始める。そして次の駅に到着した時「電車降りて話そう」そう言って男は老人と共に電車を降りて行った。

 車内の残った僕と友人は「あの人カッコええなあ」などと単純な感想を言い合っただけで済ましていたのだけれど、僕はその後度々その時の事を思い出していた。
 一方は、年若く男前で、背も高ければその服装からして金も十分に稼いでいそうな中国人の青年は、見ず知らずの薄汚れた老人から、自分が中国人というだけの理由で罵倒されるのを何故我慢しなければならなかったのか。そしてもう一方は、どういう理由なのかは知らないし知りたくもないが、時代錯誤な差別意識に頼らなければ自分自身を保つ事が出来ない程の状況に何故陥ったのか。こんなにも悲しい場面にはそうそうお目にかかれないし、それ故いつまでも忘れる事が出来ない。

恋は水色

 五月雨の時期になると中学生・高校生は衣替えと称して、一斉に孵化した昆虫のように夏服に着替える。そうするってえとどうなるかというと、女子が着ている白い開襟シャツの背中に、薄い生地を通してブラジャーが浮かび上がるのである。そうなったらもう男子どもは狂喜乱舞してそれを眺め尽くすのであるが、或る者は友達と馬鹿話をするふりをしながら横目で窺い、或る者は前の席に座る女子の背中を凝視する。
 僕の事で話すならば、もう20年以上も前の話だし九州の田舎の事であるので、ブラジャーの色としては白が圧倒的に多かった。今思えばその事実は少々時代錯誤な気もするが、そこはほれ、封建的なクソ田舎なので仕方がない。そんな中、クラスの中で数人の女子はピンクのブラジャーを着けていた。着色された下着は野暮ったさから解放され、柔らかい魅力を持って男子どもの目に突き刺さった。僕の勝手な想像だが、恐らくお母さんからのお仕着せではなく、少しの我が侭を通して買って貰ったのだろう。彼女達は先験的であったのだ。ピンクのブラジャーを着けている方が可愛いし男子にモテると。しかし本日の主題はピンクのブラジャーではない。水色のブラジャーである。

 水色のブラジャーを着けている女子は殆ど居なかった。学年で一人か二人。しかも彼女達が毎日同じ色のブラジャーを着ける事もないので、背中に透けた水色のブラジャーを見かけた時には「当たり!」と心の中で拳を突き上げたものである。こうも書くのだから、僕は水色のブラジャーが大好きであった。勿論だが男子の間で囁かれる「何色のブラジャーが好いとると?」の公的な質問には当然「水色がよか」と答弁していた。それが何故なのかはよく解らない。いやらしさで言えばピンクの方がそうだと思うのだけれど、僕は何故か水色を好んだ。まさか希少性に性的興奮を覚えるとも思えない。たまたま水色のブラジャーを着けている女子が僕の好みだったと考えられなくもないが、今ではそれが誰であったのか思い出せないのでその理由ではないだろう。では一体何故なのか?もしかしたらピンクの先を行くそのセンスが好きだったのかも知れない。でもまあ、これは今考えたこじつけであるので、実際はよく解らない。

 ★

 此処まで書いておいて何だが、僕が通っていた中学の女子の制服は、冬期はセーラー服で夏期はジャンパースカートだったんだよねえ。そのジャンパースカートは確か背中の部分も覆われていた気がする。という事は背中に透けブラが見えるはずがないのである。おかしい。高校は確かに開襟シャツにスカートだけだったからその方が見えるのだけれど、内容の子供っぽさからして中学生の時の感覚であると思うんだけどなあ。変だなあ。

 因みに何故こんな事を書き出したかというと、僕が妙に水色を好むのはもしかしたらその事が原点ではないだろうかと思ったからである。己の嗜好の原点を辿るのは結構楽しい作業である。しかし行き着く先は得てして恥ずかしい事柄である場合が多い。

西暦2008年、昭和で言えば83年。

 Yahoo ! ニュースにも出ていた記事で、シチズンホールディングスが調査した「地球環境を守るため、生活レベルをいつ頃まで戻せますか?」というのがあって、その記事に拠れば人々は全体の平均として1987年(昭和62年)までは戻せると感じているようだ。僕個人としては、懐古趣味も手伝ってか、昭和40年代まではいけるような気がする。それより以前を想定出来ないのは、要するに僕は実体験として知らないからである。
 合理性や利便性は全ての人間の幸福の為に開発されたものではない。それにそれらの効率は物だけではなく人間に対しても求められる。効率の良さを念頭に置いた生活など、最早人間の生活だとは思えないのである。この頃よく考える。生活は手間をかけた方が面白いし楽しい。自分に必要な事はちゃんと自分の手を使って行う。それ以外の事が一体何の為に存在するのだろうか。
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