Home

DOG ON THE BEACH

寒空の色

 新宿南口、フラッグスビルの前、壁を背にしたスモーキングエリアで、もうかれこれ一時間を過ごしていた。その場所が気に入ってそうしている訳ではないし、曇天の下、冷たさを含んだ風に晒されている事がそんなに楽しい事であるはずもない。実を言えば、もう一年近くも連絡を絶っている女にメールを送ろうかと迷っているのだった。
 今日はその女の誕生日であり、去年までは数年の間、毎年祝いの言葉を贈り続けていたのだけれど、疎遠になった今、今更そんな事をして良いのかどうか判らないでいるのだ。いや、良い悪いの問題ではない。今更そんな事をしてどうなるというのだ、と考えてしまうのだ。去年までの数年間、度々彼女と過ごしていたが結局その関係は何も生まなかった。彼女がどう思っていたのかは判らないが、何も生み出さない長い時間は僕の気持ちを疲弊させた。そしてある時、いつものように彼女からの連絡が滞っている中、僕は彼女に話しかける努力を止めた。
 もともと共通の友人や知人もいなかったので、当人同士がやりとりしなければお互いの存在の影すら認める事は出来ない。そんな希薄な関係だったが故に僕の世界から彼女はあっさりと消え去ってしまった。

 その後の僕の生活の中に、というか僕の脳裏に彼女の姿が浮かんでこなかったのかというと全くそんな事はなく、度々思い出すのだけれどその度に僕は気付かないふりをして、目の前の諸事に現を抜かす事で忘れ去っていた。しかしそうやっていても何れは、冬になれば否が応でも彼女を思い出さずにはいられないし、その事に囚われて過ごす事になる事も判っていた。何しろ忘れたくても忘れられない日に彼女は生まれ、僕は世事の祝祭と共に彼女を思い出す事になるからだ。

 ★

 僕は携帯電話を握りしめ、さっきから一年前に彼女から送られたメールを読み返している。何の変哲もない、何の感情も沸きようもない当たり障りのない言葉が並んでいた。僕達はこんな言葉を交わす事で数年を費やしていたのだろうか。
 今思い出した。それらの言葉は僕が好んで使っていたのだった。いつしか言葉に何かしらの気持ちを乗せる事に恐れを抱き始め、頭を振り絞っては言葉を選び、素っ気なさを装っていたのだ。僕は彼女に、まるで老人同士の時候の挨拶のような退屈を押しつけていたのかも知れない。思えば、そんな関係が続くはずもない。僕は僕自信の首を切り落とす為に言葉を費やしていたのだ。

 彼女に贈る言葉が何ひとつ思い浮かばない。彼女の近況など全く知らないから、婉曲的にその辺りの話題を振る訳にもいかない。そもそも僕はどうしたいのだろうか。いくら頭を捻ってもよく解らない。ただ、彼女に話しかけたい衝動だけはある。話したい事がある訳ではない。でも話しかけたい衝動が抑えられない。恐らく、僕はたぶん、彼女に関わっていたいのだ。ほんの一瞬でもいいから彼女の人生に関わらせて欲しいのだ。何も生み出さないかも知れないが、このまま一生死ぬまで彼女に関われない事が我慢出来ないのだ。

「誕生日、おめでとうございます。」

 なりふり構わぬ勢いで書いたはずなのに、やっぱりこんな事しか書けなかった。言葉など信用出来るものか。いつの時でもまとわりついて離れない僕の意識がどうしても邪魔をする。言葉の持つ不確かさは時には便利であるけれども、肝心な時には役に立たない。しかし相手に差し出せるものが言葉しかない場合、半ば絶望的な気分で言葉を削る。結果、何も伝わらない。
 諦念。ギリギリまで考え詰めてようやく到達する感情。今以上に状況が悪くなろうとどうなろうと、それはそれでどうにか受け容れられる。そうして僕はようやく、送信ボタンを押す事が出来た。

 ★

 それから30分くらい後、着信を確認するが何も無し。落胆と安堵が入り交じる。このまま返信が無ければ僕はこの心苦しさから解放されるのに。
 一年前まで、何度となくそう思っていた事を思い出す。そうか、僕はあの時、彼女にとって僕が「不要」である事を言い渡される事が怖くて、先回りして自分を貶め、諦める事で安心していたのだ。その場その場で、最悪の状況を予めシミュレートして自分が傷つく事を最小限に留めようとする癖は、長い間の僕の習慣である。それが良いか悪いかなどは知らない。とにかく、自分自身を守る事で手詰まりだった僕には、それが精一杯の行動だったのだ。

 ★

「覚えていてくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。」

 メールを送ってから約2時間後、タワーレコーズでCDを物色している時に着信に気付いた。一体何を言っているのだろうか、どうやったら忘れられるのか、知っているのなら教えて欲しいくらいだ。僕は半ば憤慨し、半ば安堵し、そして嬉しかった。この先が同じ事の繰り返しになるとしても、その結果として何も生み出さなくても、喜びや幸せというものから遠くかけ離れようとも、僕自身が望んだ事として、安らかに眺める事が出来るような気がする。
 僕は何も買わずに店を出て、ぼんやりとエスカレーターで下まで降りた。ビルと甲州街道の間に在る広場では、たくさんのサンタやトナカイが道行く人々に赤と緑のリボンが結ばれた真っ白なポケットティッシュを配っていた。愛している人にも、愛されていない人にも。彼らの立つ凍えた地面の上空には、比較しなければ認識出来ないほどに薄められた青を落とした、陰鬱な曇り空が広がっていた。

 関わらせてくれて、どうもありがとう。

 ★

 最後まで読んでくれた方には大変申し上げにくいのだが、この話にはかなりの嘘が混じっています。だって事実をそのまま書いたって面白くも何ともないんだもの。

坂道

 あれは確か早春の日曜日の朝。僕等は電車に乗って遠くに出かけようと、アパートから駅へと続く緩やかな坂道を歩いていた。風はまだまだ冷たくて、僕等は二人ともセーターとコートをしっかりと着込み、毛糸の帽子を目深に被っていた。けれども陽射しはとても明るくて、厳しく薄暗い季節が明けた事を僕等に教えてくれていた。
 僕等は日差しの暖かさに頬を緩め、浮き立つ気持ちを抑えきれずにいた。そしてとうとう、遠くへ行きたいのなら早い時間に電車に乗ってしまわねばならない、という大前提の予定の事などすっかり忘れてしまい、誰かの家の玄関先に花を開こうとしている白い蕾や、後数年経てば朽ち果てる予定が立っていそうな家屋を古い写真機の中に収めたり、家々の隙間から隙間へと走り抜ける猫を追いかけたりして遊んでいた。

 そんな僕等の眼球の裏側を目映く痛めるのは、坂道の真ん中に引かれた真っ白な線。暗いアスファルトの上に、まるで僕等を誘導するかのように引かれたセンターライン。駅へと続く道の上を、真っ直ぐに、時にカーブを描いて、街並みに隠れて見えなくなるまで走り抜けていた。
 真新しい朝と、今日の為に新しく引かれた白線。行き先での心地良さを頭一杯に思い浮かべ、僕等は白線の上に立ち写真を撮った。墨色の影法師は、僅かに肩を寄せて立っていた。
<< Prev || 1 || Next >>

Home

Search this site
Diary
Feeds
Used Regularly
  •        
Attribute
  •  
Individual Taste
  •    
Staff Only

Page Top