DOG ON THE BEACH
山手線沿線を歩く(原宿〜渋谷)


左上: 明治神宮南参道入口。高い木々に囲まれたこの木製の鳥居が素晴らしく好きである。余り彼方此方の神社を訪ねた事はないのだが、僕の実家の近所にある結構大きな神社の鳥居は石で造られている。社務所や社殿は古いのに鳥居だけ新しく妙に近代的なので何だか変な気がする。
右上: 渋谷駅方面への線路脇の道。右手には国立代々木競技場。なだらかに下るこの坂道をもう何度歩いただろうか。今では渋谷に行く事は殆どないのでこの道も通らなくなってしまったが、20代の頃には毎週末とは言わないまでも頻々に歩いていた。人通りが少なく歩きやすかったというのもあったのだろう。
左下:そのまま下っていき渋谷の繁華街に近くなってくると、このようにバイクやスクーター、自転車がたくさん駐めてある。
右下: 宮下公園。街の真ん中に在る公園には児童の姿はない。大人の身体を持った子供達ばかりが目に映る。とは言え冬の最中(この写真を撮ったのは2月初旬)にはそういう連中すら居ない。うら寂しい限りだが、家族連れが集まってくるような大きな公園でもなければ、東京の公園は、街に人間が多いだけに何処も寂しい。

左上: 高い位置を走る山手線と同じレベルに在る宮下公園を降りた道路から撮った写真。
右上: 明治通り沿いの建物と山手線の間に挟まる駐輪スペース。渋谷は本当にバイクが多い。恐らく路肩やその他、彼方此方に駐め易いからなのだろう。
左下: それを更に進むと、小さな飲み屋が軒を連ねている場所に続く。こういう空間はずっと無くならないでいて欲しいのだが、呑む人間も商う人間も段々と歳を取って、やがては其処に宿った全ての記憶と共に消え去ってしまうのだろうな。やたらと明るく清潔なカフェやレストランばかりが増えても、人は居場所を無くして困るだけだと思うのだけれど。
右下: 渋谷駅。たまに来る度に何処かしらが変化している。思い出はいろいろあっても、映画を観に来る以外では本当に用がないので、新しい記憶が上書きされる事もない。中途半端な過去に流された街である。
絵画と気候
- 2008-06-30 月曜日
- Category - Art
- Tag - japanese / environment / painting
歳をとってきたせいなのか、近頃興味を持つ絵画と言えば日本画ばかりである。昔、学生の頃には日本画には全く興味がなかった。僕が通っていた大学には存在しなかったが、日本画科に通う連中が居る事が不思議でならなかった。日本画を観て心地良いと思った事が一度もなかったからである。それがどうした事か、最近は日本画ばかりが気になっている。
他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。
学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。
そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。
他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。
学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。
そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。
山の手線沿線を歩く(代々木〜原宿)


東京都心部は地形が起伏に富んでいる為か、高架線路のガード下や脇道には面白い造形が多い。狭い空間を使って無理矢理建設したように見えるその傍には、人々の生活の営みが垣間見えたりするが、そこが良いのである。
左下:絶妙なレタリングで書かれた「山の手ハウス」の文字が良い。この写真では判らないが、コーポと呼ぶにふさわしい外観を持つこのアパートの玄関口なのだろう。でもそうは見えない。このプレートと入口左側の水道がなければ誰も此処が玄関だとは気付くまい。
右下:一戸建ての住宅が並ぶとある門の前。この写真では判り難いが「糞の始末をして下さい」と割と流麗な字体で書いてある。惜しい。こんなものを門前にぶら下げるという思い切った事をしておきながら、そんな大人の対応はないだろう。せめて「CCDカメラ内蔵型監視犬が見ています」とか「見たぞ!オマエが犯人だ!」とか書けばいいのに。まあ、ご近所さんに嫌われるかも知れないけど。


左:僕は昔からこの秀和レジデンスのマンションが好きである。勿論住んだ事はないし、中に入ったことすらないので外観が、という意味で。東京を歩いていればいろんな地域で見かける。鱗のようにモルタルを塗り固めた壁。スチールワイヤーの欄干。部分的に用いられる青いスレート屋根。どことなく時代錯誤な感じが良い。
右:原宿駅側部乗降場、お召し列車の発着ホームへの入口である。

原宿駅。休日のこの小さな駅の混雑ぶりには辟易するので、出来るだけ利用したくない。乗降客の7割くらいを子供が占めている(私感)事が更にその気分を助長する。外国人も多いが、それは余り気にならない。
- Last modified : 2009-03-16 22:25
津軽三味線とフラメンコギター
- 2008-05-31 土曜日
- Category - Art
- Tag - music / japanese / sociology / environment
昔何かの折に「津軽三味線とフラメンコギターって似てるなー」と思った事を今日久しぶりに思い出した。度々そうは思っていたのだが、ただそう思うだけでその理由を探ったりせずにこれまで来た。しかし今日はちょいと探りを入れてみた。
ネットで検索してみると、同じ様に感じる人は割と居るようで幾つかヒットした。例えば、津軽三味線を聴いたとあるフラメンコ好きの女性はこう書いている。
★
さて、これらは何故似ているのだろうか。偶発的に似たようなものが離れた地域で発生する可能性を否定出来るものではないが、それでは話が面白くないので、飽くまで繋がっていると考えたい。歌い方に関しては、どう考えても一番歴史が古そうなコーランから伝播したと考えるのが妥当だと思う。弦楽器の伝播については諸説あるようでよく判らないのだけれど、Wikipedia での津軽三味線の記述の中にはこうある。
色々と記事を漁っていると別な考え方も出てくる。この記事では津軽三味線とフラメンコギターが似ているとしつつも、その理由に似通った社会的な状況の下に育ったものであるともしている。
Mirror to We Are Boogie
ネットで検索してみると、同じ様に感じる人は割と居るようで幾つかヒットした。例えば、津軽三味線を聴いたとあるフラメンコ好きの女性はこう書いている。
西洋音楽の平均率ではとれない 音の波 鼓舞し 節回し フラメンコと似ている。津軽三味線に魅せられて ジャパメンコ!/ Happybirthday!より愛を込めてそして別なギター弾きであろう男性はこう書いている。
「津軽じょんがら節」「津軽よされ節」「津軽あいや節」と伝統的な3つを見たんですが、中央に三味線、向かって右にお囃子(歌か)、向かって左に打楽器がありました。これ、メンコとほとんど一緒ですね。カンテや、カホンがギターのサイドにいる感じと。上に書いてあるように音数の多さや叩き付けるような弦の弾き方だけでなく、歌い手の節回しも似ているのだ。蛇足を加えると、津軽に限らず日本民謡はカンテ(フラメンコに於ける歌の部分)は似ているし、コーランの詠唱にも似ていると僕は思う。これも同じように感じる人はいるようだ。
視覚的にも似てるけど、三味線もギターも「歌」の伴奏から(メンコはバイレの伴奏も)始まったという歴史的発生という点においても似ているのです。
共通点を挙げればキリがないくらい出てきます。弦楽器であることは言わずもがな、メンコの「形式」に津軽三味線の「節」が対応すると考えられるし、独特のリズムを持つという点も。
音という意味で聴覚的にも、ファルーカなんかは演歌に近い雰囲気もあるし・・・Panorama / Wash Away
★
さて、これらは何故似ているのだろうか。偶発的に似たようなものが離れた地域で発生する可能性を否定出来るものではないが、それでは話が面白くないので、飽くまで繋がっていると考えたい。歌い方に関しては、どう考えても一番歴史が古そうなコーランから伝播したと考えるのが妥当だと思う。弦楽器の伝播については諸説あるようでよく判らないのだけれど、Wikipedia での津軽三味線の記述の中にはこうある。
弦楽器そのものの発祥は中東とされる。その後構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部において「三絃」が成立。この「三絃」が沖縄を経て畿内に持ち込まれ(異説あり)、江戸時代中期に日本独特の三味線となった。以降、三味線は日本各地の土着芸能と融合して様々に発達し、当時日本最北端であった津軽地方において津軽三味線となる。Wikipediaこれもやはり出所は中東なのか。という事は弦楽器と共に歌い方も、中東から西の欧州へそして東のアジアへと伝播されたと考えるべきか。しかしそれにしては、コーラン・フラメンコ・日本民謡以外の、伝播する際の途中の地域にそういう歌い方が存在するという事実を僕は知らない。まあ僕が知らないだけという事かも知れないが、少なくとも僕は聴いた事がない。
色々と記事を漁っていると別な考え方も出てくる。この記事では津軽三味線とフラメンコギターが似ているとしつつも、その理由に似通った社会的な状況の下に育ったものであるともしている。
フラメンコを生んだのは、ヒターノ(ジプシー)だ。差別され、虐げられてきた歴史がフラメンコには秘められている。われわれ東北人も長いあいだ差別され、虐げられてきた。なにしろ、ほんの20年くらい前までは、「日本のチベット」などと呼ばれていたのだ。虐げられた人間の作る音楽が、場所を変えても同じ様式を持つようになるとは思えないが、音の強さや激しさは共通するかも知れない。僕がネットで調べたくらいで証明されるような簡単な話ではないとは思うが、何だか非常に興味を持ってしまう。スペイン研究者の古屋雄一郎はこう書いている。
そんな東北で、さらに差別を受けていた人々が津軽三味線を生んだ。そういう共通点がある。
(中略)
津軽三味線の歴史は、大條和雄氏の長年の研究によって、ほぼ明らかになっている。それによると、津軽三味線は明治期に誕生している。津軽三味線が登場する以前、日本には雅楽を除いて「器楽曲」はほとんどなかった。津軽三味線は日本音楽史において革命的なものと言っていい。同様にフラメンコ・ギターの歴史も、われわれが思っているほど古くはなく、おそらく津軽三味線と同じくらいの歴史らしい。ただし、津軽三味線にもフラメンコ・ギターにも、それぞれその源となる音楽がもちろんあった。フランメンコ・ギターと津軽三味線〜アントニオ・ガデス舞踏団への旅2
フラメンコを習う人が日本には本当に多い。(中略)ユーラシア大陸の中央を発したジプシーが、西はアンダルシーアへ、東はツガルへ向かった、荒唐無稽な伝説ではあるけれど、信じたい気持ちがするし、なにより歓びを感じる。津軽とフラメンコ / フルヤな部屋本当に無茶な話だけれど、そうであってくれたらどれだけ楽しい気分になれる事か。遠い過去の事だとはいえ、自分が属するものと全く別な何かが繋がるというのは嬉しいものである。
Mirror to We Are Boogie
夢二 / 鈴木 清順
- 2008-05-06 火曜日
- Category - Art
- Tag - movie / japanese / clothes / installation
そう言えば鈴木清順の映画は一作も観ていないなあというのと、この映画のコマーシャルは昔観た事あったなあというのと、竹久夢二を描いたものなら観てみたいなあというので観てみた。主要人物は実在の人をモデルに、というか名前そのままなのだけれど性格等は実際とはあまり関係なく設定されているし、物語としても実際とは全く関係ない創作である。しかしそれはどうでも良いし、そもそも其処に期待はしていない。僕が DVD のジャケットを観た時に感じた、虚無感に苛まれた人間の色気。恐らくそれがこの映画全編に映し込まれているであろう予感に期待したのである。しかし実際に観れば、予想とは少し違い、人間の色気というよりその場の状況の色気が映されていた。湖や河川や森林の色気、舞台は金沢だがその町屋の造りの色気、手染めの着物の柄の色気、それを纏う女の色気。僕が大好きな世界がそこに映し出されていた。その他、金屏風の前に一輪だけ花が咲いた小鉢を台座に乗せて置いている様とか、赤く怪しく染み広がる揚屋のネオンのような灯りだとか、心打ち震えるような映像で満たされている。
幾ら革命的な美であっても伝統的な美を踏襲すべきである。それを知った上で打破し利用するべきである。この映画を観ながら、そんな事を考えていた。
山手線沿線を歩く(新宿〜代々木)


docomo タワー・雑居ビル・代々木駅: 新宿から代々木に至る距離は、其処へ駅を造る必要があるのかどうか疑わしいくらいに短い。
左上の写真。正式にはNTTドコモ代々木ビル。どうしてこんなビルを建てたのか。全く違う地域や時代の要素を、アレンジを加えつつ模倣するというのは良いと思うのだが、そのまま過ぎるし何にも考えて無さそうだもの。似たようなものだと、田舎町に突如として建てられた城風の家屋。笑いの観点から観るのであれば良いのかも知れないが。
右上及び左下の写真。テナントが殆ど退去してしまい、後は立て替えを待つばかりの雑居ビル。写真では判りづらいけれど、その荒廃ぶりが良かったので何枚も撮った。右上の写真、一階部分にはスナックや飲み屋が入っていたのであろう、朽ちつつある看板が所在なく突き出ている。こういう光景はいろいろな街に存在しているが、そういうのを見つける度にずかずかと入り込んで写真を撮りたくなってしまう。
右下の写真。代々木駅。駅前は縦横に走る路地と、雑然と並ぶ路面店がひしめき合う感じであるが威圧感が余り感じられない。整備されていないがために居心地が良い、という気がする。
山手線沿線を歩く(新大久保〜新宿)


職安通り近くの廃墟: 新大久保駅から線路沿いに歩いて、職安通りに出る直前にこんな廃墟が在った。一階の屋根から二階部分に至まで枯れた植物で覆われている。蔦ではないし、一体何の植物なのか判らないが春から夏に植物が再生した際には(この写真は真冬に撮ったもの)緑に覆われているのだろう。その植物の重みでいずれ屋根が押し潰されてしまうんじゃないかな。
近所に住んでいるのだろう子供達が塀の中を覗き込んでいた。ついでに僕も覗き込んでみた。よく見えない。誰も住んではいないだろうけれど、誰も中に居ないとは限らない。そう考えると結構怖い。

大ガード越しに望む西新宿のビル群: 写真の出来はかなり悪いのだが、僕はこの風景が好きである。たぶん新宿の中では一番好きだ。しかし太陽を背にしている事が多いのでまともな写真が撮れた試しがない。なのでいつもぼうっと眺めている。この風景の何が好きかって、節操の無さ加減が。この風景に限らず新宿は何処も節操の無い印象を受ける。そしてそれがとてもアジア的である。

歌舞伎町・ガード下・やきとり横町・新宿駅: 新宿という街は、人々が何らかの欲求を満たす為に訪れる場所であり、其処で働く人々はそれらの欲求の受け皿を用意し、対象物を提供する。この場所は街という概念から離れ、もはや巨大な装置である。そしてその装置内の各部位は、人々の欲求の変移に目敏く反応し、自らを流動的に造り替える。だからこの街に対する興味は果てしがない。









