DOG ON THE BEACH
Tamaki Ogawa deplored, You are a liar.
数日前から緒川たまきの事で頭が一杯である。それというのも、2005年に J-WAVE で放送されていたリリー・フランキーの TR2 という番組の音源を聴いていたら、その中でトリビアの泉の中の一コーナー「ガセビアの沼」、所謂緒川たまきの「うそつき」コーナーについて話していたので、それで興味を持ったのである。もともと緒川たまきは気になっていたのだがトリビアの泉はたぶん一度くらいしか観た事がなくて、そのコーナーの事は全然知らなかった。それで何となく調べていたら Youtube の動画を見つけて、夢中になってしまった。それ以来脳裏から離れてくれないのである。
さて、その魅力を言葉で説明するのは無理なので以下にその動画を置いておく。
いやあ、可愛いなこの人。そりゃあこれは演技である。しかし誰かが言ったように「人の目の在るところでの人間の行動は全て演技である」という事からすれば、これは素晴らしき現実である。こういった場合の正直さなんてものは、この際書いてしまえば怠慢故の我が侭でしかない。人と人との関係はお互いに演じる事で円滑に作用する。それをしないという事は即ち相手に興味がないのである。で、僕はこういうのが出来ない傲慢な人間なのである。
話が逸れてきたので元に戻す。僕がとても気に入っているのは最初の「ひとしきり笑った後にキッと睨む」パターン。怒った顔がとても美しい。少し様相は違うが、こういった表情の美しさの最たるものは「愛の嵐」の中で、籠城した二人の男女、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングがジャムを取り合って争う場面。結局腕力でジャムを奪い取られたランプリングの憎しみに打ち震える表情が身の毛がよだつ程に美しい。交尾の最中にメスカマキリに喰われるオスカマキリはこんな気分なのだろうか、と訳の解らない感想を持ってしまう。
さて、その魅力を言葉で説明するのは無理なので以下にその動画を置いておく。
いやあ、可愛いなこの人。そりゃあこれは演技である。しかし誰かが言ったように「人の目の在るところでの人間の行動は全て演技である」という事からすれば、これは素晴らしき現実である。こういった場合の正直さなんてものは、この際書いてしまえば怠慢故の我が侭でしかない。人と人との関係はお互いに演じる事で円滑に作用する。それをしないという事は即ち相手に興味がないのである。で、僕はこういうのが出来ない傲慢な人間なのである。
話が逸れてきたので元に戻す。僕がとても気に入っているのは最初の「ひとしきり笑った後にキッと睨む」パターン。怒った顔がとても美しい。少し様相は違うが、こういった表情の美しさの最たるものは「愛の嵐」の中で、籠城した二人の男女、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングがジャムを取り合って争う場面。結局腕力でジャムを奪い取られたランプリングの憎しみに打ち震える表情が身の毛がよだつ程に美しい。交尾の最中にメスカマキリに喰われるオスカマキリはこんな気分なのだろうか、と訳の解らない感想を持ってしまう。
ハイヒール〜続き
そう言えば昔、18世紀頃のフランスやイタリアの貴族に関する本を何冊か読み漁っている時に「ハイヒールは、その靴を履く女性の胸や尻を僅かに突き出させ、強調する為に創られた。」というような記述を目にした記憶がある。生きる為に働く必要も無く、ひたすらに享楽を追い求めた人々ならではの発想だが、それに気づき、考案・開発した人間は凄い。靴が女性器の象徴であるとか、ハイヒールの踵は男根の象徴であるとか、そういう回りくどい比喩ではなく、実に直接的な欲求を満たす為に駆使された知力である。
とは言え、これは本を数冊読んだだけの知識であるので、全体的な歴史的事実がどうなのかは知らない。
これと似たような事で「首飾りや乳首へのピアッシングは、その金属や宝石の輝きによって、男性の目を自分の乳房に惹き寄せる効果を持つ。」と書かれていたと思う。首飾りはともかく、異性のの感心を買う為には己の身体に手を加える事も厭わないらしい。というか、現代では普通に行われている事なのだが、改めてその精神構造を知ると現代人がどんな呪縛の基に日常生活を営んでいるのか知れて、幾分は楽しく、そして空恐ろしくもあるのである。
とは言え、これは本を数冊読んだだけの知識であるので、全体的な歴史的事実がどうなのかは知らない。
これと似たような事で「首飾りや乳首へのピアッシングは、その金属や宝石の輝きによって、男性の目を自分の乳房に惹き寄せる効果を持つ。」と書かれていたと思う。首飾りはともかく、異性のの感心を買う為には己の身体に手を加える事も厭わないらしい。というか、現代では普通に行われている事なのだが、改めてその精神構造を知ると現代人がどんな呪縛の基に日常生活を営んでいるのか知れて、幾分は楽しく、そして空恐ろしくもあるのである。
ハイヒール
季節はとうに過ぎ去ってしまっているが、女性が素足に履くミュールはとても好きだ。個人的な好みを言えば、白い素足に黒や紺などの濃い色のミュールを履いてるのを見るのが大好きである。ところが、である。ミュールを履いた女性の足音はどうにも美しくない。踵をホールドしていないせいで、ヒールは恥も外聞もなく地面を打ち叩きパカンパカンと遠慮の無い音をたてる。これは下品である。見た目はあんなにも麗しいだけに、非常に残念な事だ。
話は少し変わるが、僕が住んでいる部屋の表通りは人の往来が少ない。ましてや夜半を過ぎれば人通りは無いに等しい。そんな中、時折闇に紛れて靴音が聞こえてくる。駅からの帰り道になっているのであろう、靴音のする方角がいつも同じである。そして何故か、聞こえてくるのはハイヒールがアスファルトを打つ音ばかりなのだ。まあ考えてみれば、最近の男性用の靴は柔らかい靴底のものが多いので、恐らく僕がその靴音に気付いていないだけなのだろう。
それはともかく、そのハイヒールのたてる音が美しい事と言ったら! 僅かに抑制された靴音は、音のくぐもりを突き破るかのように闇に響き渡り、残された余韻は幾層にも重なって耳にまとわりつく。誰がどう考えても実用以外の目的で創られたこの装身具。それが日常で用いられているという事実をどう捉えるのか。それを考えると空恐ろしい気分にならなくもない。
余談だが、知識としてだけ知っていた纏足。先日テレビで一瞬だけその足を見る機会があった。それはもう、何というか本当に驚愕に値する。
話は少し変わるが、僕が住んでいる部屋の表通りは人の往来が少ない。ましてや夜半を過ぎれば人通りは無いに等しい。そんな中、時折闇に紛れて靴音が聞こえてくる。駅からの帰り道になっているのであろう、靴音のする方角がいつも同じである。そして何故か、聞こえてくるのはハイヒールがアスファルトを打つ音ばかりなのだ。まあ考えてみれば、最近の男性用の靴は柔らかい靴底のものが多いので、恐らく僕がその靴音に気付いていないだけなのだろう。
それはともかく、そのハイヒールのたてる音が美しい事と言ったら! 僅かに抑制された靴音は、音のくぐもりを突き破るかのように闇に響き渡り、残された余韻は幾層にも重なって耳にまとわりつく。誰がどう考えても実用以外の目的で創られたこの装身具。それが日常で用いられているという事実をどう捉えるのか。それを考えると空恐ろしい気分にならなくもない。
余談だが、知識としてだけ知っていた纏足。先日テレビで一瞬だけその足を見る機会があった。それはもう、何というか本当に驚愕に値する。
眼球舐め
これは十庵氏の要請に応えるエントリである。
だからと言ってこの話題というのも何だけれど。今から7年ほど前に、僕は突然、しかも実施でいきなりこの行為を知る事になる。しかし全然嫌ではなく、不思議な事に何の違和感も感じなかった。真夜中にいつものようにセックスに及んだ際に「ちょっと目開けてて。」と言われ、何だろうと思いながら目を思いっきり見開いて待っていたら、彼女は僕に覆い被さり、何の説明も予告もなく舐めてきたのである。
確かに気持ち良かった。その気持ちよさを例えるなら、蒸しタオルで目を覆う気持ちよさと、粘膜を介して行う性的な気持ちよさが混じったようなものだった。僕はどちらかと言えば物の先端に恐れを抱く方で、目薬さえまともに指せないのだが、この時はあまりそういう事を感じなかった。彼女の舌先が僕の眼球をなぞるのは、身体の他の部分で感じるのと同じように、行為を受ける者の喜びを感じる事が出来た。
その時の事を彼女がどう思っていたのか解らないが、眼球を舐められたのはその時一度だけだった。僕からもその時しかした事はなかったと思う。ノリだとか流れだとかの曖昧な理由で、その行為に及ぶ機会がなかっただけかも知れないが。
★
相手の眼球を舐めるという行為について、僕は人の口からは殆ど聞いた事がない。一人だけ、或る女性と話している時にその話題が出た事があるが、他はない。それは僕が性的な事柄について他人と話す事が余りないからかも知れない。実際のところ、よく解らない。少なくとも一般的ではないような気はしているのだけれど。
あ、そうそう。他人がやっている眼球舐めは見た事がある。最近の話だけれど、アダルトビデオの中で。三上翔子の主演した「拘束椅子レズビアン」というシリーズで、共演は姫咲しゅり。このシリーズ自体が相当ハードなのだが、これは更に姫咲しゅりが途中からずっと泣き喚いているし、眼球舐めの場面も凄絶過ぎて、僕は最早一体何の為にこのビデオを見ているのかすっかり忘れ去ってしまい、ただただ腕を組んで見入っていた。
だからと言ってこの話題というのも何だけれど。今から7年ほど前に、僕は突然、しかも実施でいきなりこの行為を知る事になる。しかし全然嫌ではなく、不思議な事に何の違和感も感じなかった。真夜中にいつものようにセックスに及んだ際に「ちょっと目開けてて。」と言われ、何だろうと思いながら目を思いっきり見開いて待っていたら、彼女は僕に覆い被さり、何の説明も予告もなく舐めてきたのである。
確かに気持ち良かった。その気持ちよさを例えるなら、蒸しタオルで目を覆う気持ちよさと、粘膜を介して行う性的な気持ちよさが混じったようなものだった。僕はどちらかと言えば物の先端に恐れを抱く方で、目薬さえまともに指せないのだが、この時はあまりそういう事を感じなかった。彼女の舌先が僕の眼球をなぞるのは、身体の他の部分で感じるのと同じように、行為を受ける者の喜びを感じる事が出来た。
その時の事を彼女がどう思っていたのか解らないが、眼球を舐められたのはその時一度だけだった。僕からもその時しかした事はなかったと思う。ノリだとか流れだとかの曖昧な理由で、その行為に及ぶ機会がなかっただけかも知れないが。
★
相手の眼球を舐めるという行為について、僕は人の口からは殆ど聞いた事がない。一人だけ、或る女性と話している時にその話題が出た事があるが、他はない。それは僕が性的な事柄について他人と話す事が余りないからかも知れない。実際のところ、よく解らない。少なくとも一般的ではないような気はしているのだけれど。
あ、そうそう。他人がやっている眼球舐めは見た事がある。最近の話だけれど、アダルトビデオの中で。三上翔子の主演した「拘束椅子レズビアン」というシリーズで、共演は姫咲しゅり。このシリーズ自体が相当ハードなのだが、これは更に姫咲しゅりが途中からずっと泣き喚いているし、眼球舐めの場面も凄絶過ぎて、僕は最早一体何の為にこのビデオを見ているのかすっかり忘れ去ってしまい、ただただ腕を組んで見入っていた。
吉原と島原 / 小野 武雄
- 2007-08-08 水曜日
- Category - People
- Tag - philosophy / japanese / sexuality
先日再読してみた。この手の本は一度読んだだけでは極一部を覚えているだけでその他は全然頭に入っておらず、暫くしてか、若しくは数年後に再読すればその度に色々と気付く事があるものである。そりゃそうである。著者が膨大な時間とエネルギーを注いだ本を初見で覚えられるはずもない。第一僕は記憶力が薄い。すぐに色んな事を忘れてしまう質なのだ。そして今回、面白く読んだ部分は多々在ったのだけれど、その中で最近の僕の思考の流れに沿う部分を一部抜粋して話をしようと想う。客と遊女が本当に惚れ合い、離れ難い気持ちになると、とりわけ富豪の息子が夢中になって熱をあげると、遊女は彼を手放したくないと切望して、誓いの言葉を述べるだけでなく、最も権威あるものといわれる熊野神社の午王宝印の起請文にならって、夫婦になる起請文を書いて、神仏に誓う。
落語「三枚起請」(僕自身はその話は知っているのだけれども、まともに落語としては未だ聴いていない)でも知られる誓いだてですな。武将の盟約にもよく使用されたらしく、誓いとしては厳格なものであったようである。(余談:実は三枚起請の下げの意味がよく解っていなかったのだが、此処にその解説がされていた。僕はまだまだ勉強が足りない。)とまあ、そういう事らしいのだが、しかしながらこれが今回の主たる話ではない。流れを作る前文として書いたまでだ。引用元の本には上記に続いてこう在る。
さらにそれだけで不足ならば、遊女は真実の意を示す証拠として、小指を切断して男へ送る。漫画「さくらん」にも出てきた話だ。切断した小指を送りつけられるなんて、日常的な精神状態であれば脅迫という観念さえ越えて恐怖以外には思えない行為であるが、ロミオとジュリエットの類とは全然違った嗜好性に酔って、盛り上がりに盛り上がった当事者にとっては当然な流れなのかも知れない。更にこう在る。
また、客とともに互いに腕に、○○(遊女の名)の命、××(客の名)の命と入墨をして、見せ合う。これを読んで「お。根性彫りてえのはその頃から継承する習慣だったのか!」と思ったりしたのだけれど、よくよく眺めていると少し感じが違う。「名前」と「命」の文字の間に「の」が入るらしいのだ。僕の認識で言うならば「千明命」だとか「静香命」という風に刻まれるはずである。その意味合いとしては「おいらは千明を命を懸けて愛するんだぜ!」または「おいらは静香を命を懸けて愛しているんだぜ!」とか、どちらかと言えば一方的な想いを告白している感じである。
しかし江戸吉原で流行った入れ墨は「の」一文字が入っているだけで、その意味合いは「おいらは夕霧の命と謳われるほどの男なんだぜ!」となってしまう。相思相愛。お互いが最上の情夫(婦)である事を前提とした宣言文である。何だかえらい事になっているのである。これに比べたら「の」が入らない入れ墨なんぞ稚拙な自演に過ぎない。しかし傍から笑って見ていられるのもこちらである。相思相愛の上での入れ墨なんて笑えない。そういうのは他人に見せてはいけないものだ。上記の引用文から察するに、お互いが確認する為だけに行われた風習であるようだ。深く絡み合った情愛は二人以外の世界を排除してしまうのだろう。
蛮行伝 その二
- 2007-07-25 水曜日
- Category - People
- Tag - philosophy / psychology / sexuality
暫く前の話。恋人同士なのか夫婦なのか判らないが、見慣れない顔。上気したような表情で男が女の肩を抱く。肩を抱くとは言っても、例えば年老いた白人の夫婦が愛情と労りを持ってするような雰囲気ではない。飽くまで性的快楽を求めるような手や指の動きである。昨夜のセックスがそんなにも良かったのか。それとも玄関を出る寸前までヤっていたのだろうか。射精後の男がそういつまでもそんな状態でいられるとは思えないので、恐らく時間切れで中途で止めてきたのだろう。
女が許せば、きっとその場でヤり始めるのではないかと考えながら眺めていたら、女は肩に乗せられた男の手を払いのけた。惚けているのは男の方だけらしい。興奮で脳味噌が溶けているのだろう、男はその後もしつこく肩を抱こうとしたり腰に手を回したりしていた。
早朝の満員電車の中では、殆どの人々は内心イラつきながらも吊革に捕まっている。そんな中で欲望に顔を歪ませている人間が人目を憚らずに行為に及んでいれば、そりゃあもう不適切を遙かに超えて不快である。このまま男が諦めずに行為を続けた場合、女がキレるのが先か、それとも他の乗客がキレるのが先か一体どっちだろうな、などと考えている内に電車は僕が降りるべき駅に到着した。
因みに僕は、人目の在る場所で性的な行為をするのが嫌いである。手を握ったり腕を組んだりするのが限界だ。僕の方からはそれ以上は絶対にしないし、もし相手がそういう事をし始めたら怒りすら覚える。それとは逆に、二人きりの空間でなら何をしようが大抵の事は平気なのだが。
女が許せば、きっとその場でヤり始めるのではないかと考えながら眺めていたら、女は肩に乗せられた男の手を払いのけた。惚けているのは男の方だけらしい。興奮で脳味噌が溶けているのだろう、男はその後もしつこく肩を抱こうとしたり腰に手を回したりしていた。
早朝の満員電車の中では、殆どの人々は内心イラつきながらも吊革に捕まっている。そんな中で欲望に顔を歪ませている人間が人目を憚らずに行為に及んでいれば、そりゃあもう不適切を遙かに超えて不快である。このまま男が諦めずに行為を続けた場合、女がキレるのが先か、それとも他の乗客がキレるのが先か一体どっちだろうな、などと考えている内に電車は僕が降りるべき駅に到着した。
因みに僕は、人目の在る場所で性的な行為をするのが嫌いである。手を握ったり腕を組んだりするのが限界だ。僕の方からはそれ以上は絶対にしないし、もし相手がそういう事をし始めたら怒りすら覚える。それとは逆に、二人きりの空間でなら何をしようが大抵の事は平気なのだが。
視るという信念
一昨日の事だ。東京地方は夏日とも思える陽気で、街行く女性達の中には二の腕を露わにした人も幾らか見受けられた。そんな日の夜の事。仕事帰りの僕はいつものように晩酌の為の酒を手に入れようと帰り道沿いに在るカクヤスに立ち寄った。そして自動扉を意気揚々とかいくぐった僕の目に飛び込んできたのは、カットオフジーンズの下に長く伸びた白く艶やかな女性の脚であった。僕は突然の事に声も表情も失いその場所に立ちすくんでしまったのだが、哀れむような、それでいて威圧的な店員の視線に気付き目を覚ました。
そしてその後、その女性はあろう事か陳列棚の低い位置に置いてある酒のラベルを見ようとしてか、お辞儀をするように上体を前へ屈したのである。そうするってーとどうなるかというと、わざわざ書く事でもないが、脚のずっと上の方、つまり尻の際までもが僕の面前に押し出される形になるのである。とすれば普通に考えて「こりゃあ堪らねえ。こいつを見逃す手はねえ。」って場面なのだが、ここで僕の悪い癖が出る。ここまで挑戦的に見せられるとついムカっときてしまい「絶対に視てやらねえ。」みたいな事を思ってしまって、そそくさと他の陳列棚へ逃げてしまうのである。
勿論そうしてしまった場合、視なかった事に対して後悔するのである。その時はその後悔は直ぐさま襲ってきて、別な酒を探すフリをして当の女性の背後に戻ろうと思いはした。したのだけれど、店員(男二人女一人)の視線がその女性に集まっていたのでどうにも戻り難い。男の店員の視線は同じ穴のむじななのでこの際どうでも良い。しかし一人の女の店員の視線が僕を躊躇させるのである。三日に一度はこの店に立ち寄っているので、今後どんな目で見られるか判ったものではない。悪くすれば、もう二度と僕に酒を売ってくれなくなってしまうかも知れない。くわばらくわばら。
結果、その女性の脚を二度視する事は出来なかった。惜しい事をしたものである。あそこまでの美しい脚は滅多にお目にかかれないだろう。どうせなら、対象となる女性に至近距離まで近付き、それはもう舐めるように凝視出来るくらいの男になりたいものである。
そしてその後、その女性はあろう事か陳列棚の低い位置に置いてある酒のラベルを見ようとしてか、お辞儀をするように上体を前へ屈したのである。そうするってーとどうなるかというと、わざわざ書く事でもないが、脚のずっと上の方、つまり尻の際までもが僕の面前に押し出される形になるのである。とすれば普通に考えて「こりゃあ堪らねえ。こいつを見逃す手はねえ。」って場面なのだが、ここで僕の悪い癖が出る。ここまで挑戦的に見せられるとついムカっときてしまい「絶対に視てやらねえ。」みたいな事を思ってしまって、そそくさと他の陳列棚へ逃げてしまうのである。
勿論そうしてしまった場合、視なかった事に対して後悔するのである。その時はその後悔は直ぐさま襲ってきて、別な酒を探すフリをして当の女性の背後に戻ろうと思いはした。したのだけれど、店員(男二人女一人)の視線がその女性に集まっていたのでどうにも戻り難い。男の店員の視線は同じ穴のむじななのでこの際どうでも良い。しかし一人の女の店員の視線が僕を躊躇させるのである。三日に一度はこの店に立ち寄っているので、今後どんな目で見られるか判ったものではない。悪くすれば、もう二度と僕に酒を売ってくれなくなってしまうかも知れない。くわばらくわばら。
結果、その女性の脚を二度視する事は出来なかった。惜しい事をしたものである。あそこまでの美しい脚は滅多にお目にかかれないだろう。どうせなら、対象となる女性に至近距離まで近付き、それはもう舐めるように凝視出来るくらいの男になりたいものである。






