DOG ON THE BEACH
軍服
- 2011-12-06 Tuesday
- Category - People
- Tag - politics / sociology / psychology
一昨日の夜「坂の上の雲」を観ながらつらつらと考えていた。軍服というものは機能が最優先であるはずなのに、昔のそれはどうしてああも美しく作られているのだろう。装飾も華美だ。昨夜初めてそう思った訳ではなく、以前からそれは感じていた。
そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。
そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。
ドガと郭絵師
数ヶ月前に録っていた日曜美術館のエドガー・ドガの回を観ていたら、なかなか面白い事を紹介していた。
ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。
そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。
ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。
そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。
温故知新
- 2010-06-30 水曜日
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
最近この言葉に言いようのない魅力を感じる。昔から知っている言葉だが、何故かしらこの頃になって気になり始めた。きっかけは恐らく山下達郎のラジオ番組「サンデーソングブック」で、その中でキャッチフレーズとして「オールディーズ・バット・グッディーズ」「温故知新」という言葉が繰り返し謳われるので、何となしに言葉が頭に残り、後に意味が朧気に頭に入り込んできた。
それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。
歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。
★
と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。というように辞書には出ている。僕はそこまで堅苦しく考えている訳ではないが、例えば本にしろ音楽にしろ、最近では古いものを紐解く方がより楽しく思えてきた。今現在流布している本や音楽に興味がない訳ではない。ただ、それらは正面から波のように僕に迫って来て、あっという間に通り過ぎそして忘れ去られて行く。まごまごしていると何も手にする事なく時間だけがどんどん進んでいくので、手に触れるものを取りあえず咥え込んでいくのだが、元来そういう網でトンボを捕るようなやり方がどうも性に合わないといつも感じている。
それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。
歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。
★
と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
- 最終更新日時 : 2010-06-30 23:20:33
十字路で待ち合わせ
数ヶ月に一度くらいの頻度でしか見かけないが、朝の通勤時の、駅までの道の途中、裏通りの狭い十字路に中学生の女の子が人待ち顔で時折立っている。スカートの丈は膝下まで伸び、学校指定の大きなサブバッグをたすき掛けに担いだ、どちらかと言えば朴訥な印象を受ける女の子だ。その子は僕が歩いて来る方向を向いて立ち、時々姿勢を変えながら、誰かが自分の元へやって来るのを待っているようなのである。その視線は歩いて来る僕のずっと後ろの別な十字路に注がれていて、誰かがそこを曲がって来る瞬間を見逃すまいと瞬きもせずにいる。そして彼女のその期待に満ちた表情の気恥ずかしく眩しい事といったらない。
僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。
と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。
★
十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。
僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。
と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。
★
十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。
幾筋かの轍
東京は新宿西口、淀橋村の後ろ側、とあるビルの二階に在るカフェで遅い昼食を摂ろうと、スパゲティ・アラビアータを注文した。料理が運ばれてくるまでの暇潰しに、デイパックから本を取り出して読み始めた。暫くして一組の男女が僕の目の前のテーブルに案内されてきた。男は40代後半から50代辺り。女の顔を見る事は出来なかったが、服装や声からすると20代半ば辺りだろうか。彼らはどさりと椅子に腰を下ろすなり、さっきまでの口論の再開とばかりにやおら話し始めた。聞こえてきた言葉の中心は「幸福」について。それを喧嘩腰で喋っている。嫌な予感がするので聞きたくなかったのだが、何しろ声が大きいのでどうしても耳に入る。本に集中しようと試みたが果たせなかった。そしてその後、男の方は聞き役に回ったらしく、時折相づちを打つ程度に大人しくなった。
この二人は一体どういう間柄なのだろうか。女はため口で喋っているので上下があるようには見えないし、かと言って恋人同士のような甘さも見当たらない。よく判らない。女の話は家族との関係性についての事柄に移っていく。そしてそこから女は更に興奮し始め、「そんなに育てるのが嫌なら、捨てて欲しかった」という言葉から連想または派生するあらゆる呪詛を吐き始めたのである。吐き出される全ての言葉は攻撃性を帯び、時折高笑いが混じる。今現在一体誰と話しているのか。呪わしき記憶に向けてだろうか。彼女が言葉を発する度、僕が頬張るスパゲティ・アラビアータから味が失われていく。改めてそちらのテーブルを見遣る。男の顔は精気を失い、明日にでも死んでしまうのではないかと思ってしまう程に疲労の影が差していた。しかしそんな男の状態に気付かないのか、女の呪詛は続き、まるで暴風雨が吹き荒れているかのようだ。誰が悪いなんて思わないけど、嫌なものを見た。そう思った。
床が大きく揺れた。思わず店内を見廻す。周囲の客達や店員達も動きを止め、僕と同じように見廻している。「え? 地震?」女が声を上げる。男が耳打ちしたようだ。「私気付かないんだよねー!いつも『あんたが揺れてるからでしょー』て言われる!」僕もそう思う。あなたはいつも揺れているのだろう。料理を食べ終えた僕は、早々に店を出た。
--
それから遡る事二時間。僕は上野公園に居た。長谷川等伯の展覧会を観に行ったのだ。混雑した館内から抜け出し、園内を歩いたところ、20代半ばくらいの息子らしき青年と、50代くらいの母親らしき女性が、妙に身体の大きいブルドッグを三匹連れているのに遭遇した。ペットとして飼っているのかそれともブリーダーをやっているのか判らないが、均質な体つきで毛並みも綺麗だった。ま、それはいいとして、面白かったのが、そのうちの一匹を台車に乗せて運んでいたのだ。別に怪我をしている訳でもなさそうだったのだけれど、何故かそうしていた。そもそも台車は一体何の為なのだろうか。
僕が気に入ったのは、その台車に乗せられたブルドッグが妙に誇らしげだった事だ。四肢を伸ばしすっくとした出で立ちは、何処かしら滑稽で、何となく勇ましかった。その眼差しは真っ直ぐに前方を見つめ、そのままの姿勢で陽が傾き始めた公園をゴロゴロと運ばれていくのだ。良いものを見たな。そう思った。
--
どうせ同じ出来事に遭遇しなければならないのなら、この順番であって欲しかったなあ。と思う小春日和の日曜日。
この二人は一体どういう間柄なのだろうか。女はため口で喋っているので上下があるようには見えないし、かと言って恋人同士のような甘さも見当たらない。よく判らない。女の話は家族との関係性についての事柄に移っていく。そしてそこから女は更に興奮し始め、「そんなに育てるのが嫌なら、捨てて欲しかった」という言葉から連想または派生するあらゆる呪詛を吐き始めたのである。吐き出される全ての言葉は攻撃性を帯び、時折高笑いが混じる。今現在一体誰と話しているのか。呪わしき記憶に向けてだろうか。彼女が言葉を発する度、僕が頬張るスパゲティ・アラビアータから味が失われていく。改めてそちらのテーブルを見遣る。男の顔は精気を失い、明日にでも死んでしまうのではないかと思ってしまう程に疲労の影が差していた。しかしそんな男の状態に気付かないのか、女の呪詛は続き、まるで暴風雨が吹き荒れているかのようだ。誰が悪いなんて思わないけど、嫌なものを見た。そう思った。
床が大きく揺れた。思わず店内を見廻す。周囲の客達や店員達も動きを止め、僕と同じように見廻している。「え? 地震?」女が声を上げる。男が耳打ちしたようだ。「私気付かないんだよねー!いつも『あんたが揺れてるからでしょー』て言われる!」僕もそう思う。あなたはいつも揺れているのだろう。料理を食べ終えた僕は、早々に店を出た。
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それから遡る事二時間。僕は上野公園に居た。長谷川等伯の展覧会を観に行ったのだ。混雑した館内から抜け出し、園内を歩いたところ、20代半ばくらいの息子らしき青年と、50代くらいの母親らしき女性が、妙に身体の大きいブルドッグを三匹連れているのに遭遇した。ペットとして飼っているのかそれともブリーダーをやっているのか判らないが、均質な体つきで毛並みも綺麗だった。ま、それはいいとして、面白かったのが、そのうちの一匹を台車に乗せて運んでいたのだ。別に怪我をしている訳でもなさそうだったのだけれど、何故かそうしていた。そもそも台車は一体何の為なのだろうか。
僕が気に入ったのは、その台車に乗せられたブルドッグが妙に誇らしげだった事だ。四肢を伸ばしすっくとした出で立ちは、何処かしら滑稽で、何となく勇ましかった。その眼差しは真っ直ぐに前方を見つめ、そのままの姿勢で陽が傾き始めた公園をゴロゴロと運ばれていくのだ。良いものを見たな。そう思った。
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どうせ同じ出来事に遭遇しなければならないのなら、この順番であって欲しかったなあ。と思う小春日和の日曜日。
- 最終更新日時 : 2010-03-28 12:41:31
幾筋の轍
東京は新宿西口、淀橋村の後ろ側、とあるビルの二階に在るカフェで遅い昼食を摂ろうと、スパゲティ・アラビアータを注文した。料理が運ばれてくるまでの暇潰しに、デイパックから本を取り出して読み始めた。暫くして一組の男女が僕の目の前のテーブルに案内されてきた。男は40代後半から50代辺り。女の顔を見る事は出来なかったが、服装や声からすると20代半ば辺りだろうか。彼らはどさりと椅子に腰を下ろすなり、さっきまでの口論の再開とばかりにやおら話し始めた。聞こえてきた言葉の中心は「幸福」について。それを喧嘩腰で喋っている。嫌な予感がするので聞きたくなかったのだが、何しろ声が大きいのでどうしても耳に入る。本に集中しようと試みたが果たせなかった。そしてその後、男の方は聞き役に回ったらしく、時折相づちを打つ程度に大人しくなった。
この二人は一体どういう間柄なのだろうか。女はため口で喋っているので上下があるようには見えないし、かと言って恋人同士のような甘さも見当たらない。よく判らない。女の話は家族との関係性についての事柄に移っていく。そしてそこから女は更に興奮し始め、「そんなに育てるのが嫌なら、捨てて欲しかった」という言葉から連想または派生するあらゆる呪詛を吐き始めたのである。吐き出される全ての言葉は攻撃性を帯び、時折高笑いが混じる。今現在一体誰を話しているのか。呪わしき記憶に向けてだろうか。彼女が言葉を発する度、僕が頬張るスパゲティ・アラビアータから味が失われていく。改めてそちらのテーブルを見遣る。男の顔は精気を失い、明日にでも死んでしまうのではないかと思ってしまう程に疲労の影が差していた。しかしそんな男の状態に気付かないのか、女の呪詛は続き、あるで暴風雨が吹き荒れているかのようだ。誰が悪いなんて思わないけど、嫌なものを見た。そう思った。
床が大きく揺れた。思わず店内を見廻す。周囲の客達や店員達も動きを止め、僕と同じように見廻している。「え? 地震?」女が声を上げる。男が耳打ちしたようだ。「私気付かないんだよねー!いつも『あんたが揺れてるからでしょー』て言われる!」僕もそう思う。あなたはいつも揺れているのだろう。料理を食べ終えた僕は、早々に店を出た。
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それから遡る事二時間。僕は上野公園に居た。長谷川等伯の展覧会を観に行ったのだ。混雑した館内から抜け出し、園内を歩いたところ、20代半ばくらいの息子らしき青年と、50代くらいの母親らしき女性が、妙に身体の大きいブルドッグを三匹連れているのに遭遇した。ペットとして飼っているのかそれともブリーダーをやっているのか判らないが、均質な体つきで毛並みも綺麗だった。ま、それはいいとして、面白かったのが、そのうちの一匹を台車に乗せて運んでいたのだ。別に怪我をしている訳でもなさそうだったのだけれど、何故かそうしていた。そもそも台車は一体何の為なのだろうか。
僕が気に入ったのは、その台車に乗せられたブルドッグが妙に誇らしげだった事だ。四肢を伸ばしすっくとした出で立ちは、何処かしら滑稽で、何となく勇ましかった。その眼差しは真っ直ぐに前方を見つめ、そのままの姿勢で陽が傾き始めた公園をゴロゴロと運ばれていくのだ。良いものを見たな。そう思った。
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どうせ同じ出来事に遭遇しなければならないのなら、この順番であって欲しかったなあ。と思う小春日和の日曜日。
この二人は一体どういう間柄なのだろうか。女はため口で喋っているので上下があるようには見えないし、かと言って恋人同士のような甘さも見当たらない。よく判らない。女の話は家族との関係性についての事柄に移っていく。そしてそこから女は更に興奮し始め、「そんなに育てるのが嫌なら、捨てて欲しかった」という言葉から連想または派生するあらゆる呪詛を吐き始めたのである。吐き出される全ての言葉は攻撃性を帯び、時折高笑いが混じる。今現在一体誰を話しているのか。呪わしき記憶に向けてだろうか。彼女が言葉を発する度、僕が頬張るスパゲティ・アラビアータから味が失われていく。改めてそちらのテーブルを見遣る。男の顔は精気を失い、明日にでも死んでしまうのではないかと思ってしまう程に疲労の影が差していた。しかしそんな男の状態に気付かないのか、女の呪詛は続き、あるで暴風雨が吹き荒れているかのようだ。誰が悪いなんて思わないけど、嫌なものを見た。そう思った。
床が大きく揺れた。思わず店内を見廻す。周囲の客達や店員達も動きを止め、僕と同じように見廻している。「え? 地震?」女が声を上げる。男が耳打ちしたようだ。「私気付かないんだよねー!いつも『あんたが揺れてるからでしょー』て言われる!」僕もそう思う。あなたはいつも揺れているのだろう。料理を食べ終えた僕は、早々に店を出た。
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それから遡る事二時間。僕は上野公園に居た。長谷川等伯の展覧会を観に行ったのだ。混雑した館内から抜け出し、園内を歩いたところ、20代半ばくらいの息子らしき青年と、50代くらいの母親らしき女性が、妙に身体の大きいブルドッグを三匹連れているのに遭遇した。ペットとして飼っているのかそれともブリーダーをやっているのか判らないが、均質な体つきで毛並みも綺麗だった。ま、それはいいとして、面白かったのが、そのうちの一匹を台車に乗せて運んでいたのだ。別に怪我をしている訳でもなさそうだったのだけれど、何故かそうしていた。そもそも台車は一体何の為なのだろうか。
僕が気に入ったのは、その台車に乗せられたブルドッグが妙に誇らしげだった事だ。四肢を伸ばしすっくとした出で立ちは、何処かしら滑稽で、何となく勇ましかった。その眼差しは真っ直ぐに前方を見つめ、そのままの姿勢で陽が傾き始めた公園をゴロゴロと運ばれていくのだ。良いものを見たな。そう思った。
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どうせ同じ出来事に遭遇しなければならないのなら、この順番であって欲しかったなあ。と思う小春日和の日曜日。
- 最終更新日時 : 2011-12-05 00:17:14
扉を開ければ其処には意外な現実が在った
- 2009-03-19 木曜日
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
ずっと昔僕が未だ実家に住んでいた頃、テレビ番組で東京の少し変わった住宅事情を紹介していた。場所は渋谷。恐らく桜丘町辺りだったと思うのだけれど、古いホテルを改装して各部屋を貸し出しているという物件だった。その物件は非常に人気があり、部屋が空くのを待っている人が後を絶たないという事であった。ホテルの部屋だから浴室とトイレは完備しているがキッチンは無い。しかし自炊する習慣の無い人にとってそれは大した問題とならないのかも知れない。部屋は広く造りもしっかりしているので、通常の賃貸物件に住む事に比べれば気分は上がる。管理人はいつでもフロントに居るし。ラウンジに腰掛けていれば、丁度お隣さんなんかが帰ってきて言葉を交わしまるでサロンのような雰囲気である。
そんな楽しい場所が在るなんて東京はなんて素晴らしい街なんだ、とその当時の僕は思っていたに違いない。しかし進学や就職で上京したての新参者がそんな物件に入り込める訳がない。どうやって探して良いのかすら判らないし、僕はテレビを観てその事を知っていたが、そうでなければそういう場所が存在することすら知らないだろう。僕達が知らず知らずに頭の中で構築した世界というか社会の構造の外側には、想像もしなかった場所が厳然と存在しているのである。
何故だか知らないが、そんな事を思いだした。
★
以前に村上春樹が何処かで書いていた。抜け道が多い社会こそ良い社会である、と。決まり切った額面通りの路しか無いと思いあぐねて延々と生きるのでは、どうにも希望が無い。
そんな楽しい場所が在るなんて東京はなんて素晴らしい街なんだ、とその当時の僕は思っていたに違いない。しかし進学や就職で上京したての新参者がそんな物件に入り込める訳がない。どうやって探して良いのかすら判らないし、僕はテレビを観てその事を知っていたが、そうでなければそういう場所が存在することすら知らないだろう。僕達が知らず知らずに頭の中で構築した世界というか社会の構造の外側には、想像もしなかった場所が厳然と存在しているのである。
何故だか知らないが、そんな事を思いだした。
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以前に村上春樹が何処かで書いていた。抜け道が多い社会こそ良い社会である、と。決まり切った額面通りの路しか無いと思いあぐねて延々と生きるのでは、どうにも希望が無い。






