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DOG ON THE BEACH

温故知新

 最近この言葉に言いようのない魅力を感じる。昔から知っている言葉だが、何故かしらこの頃になって気になり始めた。きっかけは恐らく山下達郎のラジオ番組「サンデーソングブック」で、その中でキャッチフレーズとして「オールディーズ・バット・グッディーズ」「温故知新」という言葉が繰り返し謳われるので、何となしに言葉が頭に残り、後に意味が朧気に頭に入り込んできた。
 過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。
 というように辞書には出ている。僕はそこまで堅苦しく考えている訳ではないが、例えば本にしろ音楽にしろ、最近では古いものを紐解く方がより楽しく思えてきた。今現在流布している本や音楽に興味がない訳ではない。ただ、それらは正面から波のように僕に迫って来て、あっという間に通り過ぎそして忘れ去られて行く。まごまごしていると何も手にする事なく時間だけがどんどん進んでいくので、手に触れるものを取りあえず咥え込んでいくのだが、元来そういう網でトンボを捕るようなやり方がどうも性に合わないといつも感じている。
 それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。

 歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。

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 と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
 本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
  • Last modified : 2010-06-30 23:20

十字路で待ち合わせ

 数ヶ月に一度くらいの頻度でしか見かけないが、朝の通勤時の、駅までの道の途中、裏通りの狭い十字路に中学生の女の子が人待ち顔で時折立っている。スカートの丈は膝下まで伸び、学校指定の大きなサブバッグをたすき掛けに担いだ、どちらかと言えば朴訥な印象を受ける女の子だ。その子は僕が歩いて来る方向を向いて立ち、時々姿勢を変えながら、誰かが自分の元へやって来るのを待っているようなのである。その視線は歩いて来る僕のずっと後ろの別な十字路に注がれていて、誰かがそこを曲がって来る瞬間を見逃すまいと瞬きもせずにいる。そして彼女のその期待に満ちた表情の気恥ずかしく眩しい事といったらない。
 僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
 それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。

 と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
 僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
 と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。

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 十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
 一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。

幾筋かの轍

 東京は新宿西口、淀橋村の後ろ側、とあるビルの二階に在るカフェで遅い昼食を摂ろうと、スパゲティ・アラビアータを注文した。料理が運ばれてくるまでの暇潰しに、デイパックから本を取り出して読み始めた。暫くして一組の男女が僕の目の前のテーブルに案内されてきた。男は40代後半から50代辺り。女の顔を見る事は出来なかったが、服装や声からすると20代半ば辺りだろうか。彼らはどさりと椅子に腰を下ろすなり、さっきまでの口論の再開とばかりにやおら話し始めた。聞こえてきた言葉の中心は「幸福」について。それを喧嘩腰で喋っている。嫌な予感がするので聞きたくなかったのだが、何しろ声が大きいのでどうしても耳に入る。本に集中しようと試みたが果たせなかった。そしてその後、男の方は聞き役に回ったらしく、時折相づちを打つ程度に大人しくなった。

 この二人は一体どういう間柄なのだろうか。女はため口で喋っているので上下があるようには見えないし、かと言って恋人同士のような甘さも見当たらない。よく判らない。女の話は家族との関係性についての事柄に移っていく。そしてそこから女は更に興奮し始め、「そんなに育てるのが嫌なら、捨てて欲しかった」という言葉から連想または派生するあらゆる呪詛を吐き始めたのである。吐き出される全ての言葉は攻撃性を帯び、時折高笑いが混じる。今現在一体誰と話しているのか。呪わしき記憶に向けてだろうか。彼女が言葉を発する度、僕が頬張るスパゲティ・アラビアータから味が失われていく。改めてそちらのテーブルを見遣る。男の顔は精気を失い、明日にでも死んでしまうのではないかと思ってしまう程に疲労の影が差していた。しかしそんな男の状態に気付かないのか、女の呪詛は続き、まるで暴風雨が吹き荒れているかのようだ。誰が悪いなんて思わないけど、嫌なものを見た。そう思った。

 床が大きく揺れた。思わず店内を見廻す。周囲の客達や店員達も動きを止め、僕と同じように見廻している。「え? 地震?」女が声を上げる。男が耳打ちしたようだ。「私気付かないんだよねー!いつも『あんたが揺れてるからでしょー』て言われる!」僕もそう思う。あなたはいつも揺れているのだろう。料理を食べ終えた僕は、早々に店を出た。

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 それから遡る事二時間。僕は上野公園に居た。長谷川等伯の展覧会を観に行ったのだ。混雑した館内から抜け出し、園内を歩いたところ、20代半ばくらいの息子らしき青年と、50代くらいの母親らしき女性が、妙に身体の大きいブルドッグを三匹連れているのに遭遇した。ペットとして飼っているのかそれともブリーダーをやっているのか判らないが、均質な体つきで毛並みも綺麗だった。ま、それはいいとして、面白かったのが、そのうちの一匹を台車に乗せて運んでいたのだ。別に怪我をしている訳でもなさそうだったのだけれど、何故かそうしていた。そもそも台車は一体何の為なのだろうか。
 僕が気に入ったのは、その台車に乗せられたブルドッグが妙に誇らしげだった事だ。四肢を伸ばしすっくとした出で立ちは、何処かしら滑稽で、何となく勇ましかった。その眼差しは真っ直ぐに前方を見つめ、そのままの姿勢で陽が傾き始めた公園をゴロゴロと運ばれていくのだ。良いものを見たな。そう思った。

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 どうせ同じ出来事に遭遇しなければならないのなら、この順番であって欲しかったなあ。と思う小春日和の日曜日。
  • Last modified : 2010-03-28 12:41

扉を開ければ其処には意外な現実が在った

 ずっと昔僕が未だ実家に住んでいた頃、テレビ番組で東京の少し変わった住宅事情を紹介していた。場所は渋谷。恐らく桜丘町辺りだったと思うのだけれど、古いホテルを改装して各部屋を貸し出しているという物件だった。その物件は非常に人気があり、部屋が空くのを待っている人が後を絶たないという事であった。ホテルの部屋だから浴室とトイレは完備しているがキッチンは無い。しかし自炊する習慣の無い人にとってそれは大した問題とならないのかも知れない。部屋は広く造りもしっかりしているので、通常の賃貸物件に住む事に比べれば気分は上がる。管理人はいつでもフロントに居るし。ラウンジに腰掛けていれば、丁度お隣さんなんかが帰ってきて言葉を交わしまるでサロンのような雰囲気である。

 そんな楽しい場所が在るなんて東京はなんて素晴らしい街なんだ、とその当時の僕は思っていたに違いない。しかし進学や就職で上京したての新参者がそんな物件に入り込める訳がない。どうやって探して良いのかすら判らないし、僕はテレビを観てその事を知っていたが、そうでなければそういう場所が存在することすら知らないだろう。僕達が知らず知らずに頭の中で構築した世界というか社会の構造の外側には、想像もしなかった場所が厳然と存在しているのである。
 何故だか知らないが、そんな事を思いだした。

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 以前に村上春樹が何処かで書いていた。抜け道が多い社会こそ良い社会である、と。決まり切った額面通りの路しか無いと思いあぐねて延々と生きるのでは、どうにも希望が無い。

諦めの上に成立する未来のその後

 その昔、僕は日本語で歌われる曲を聴くのが嫌で、いわゆる洋楽やジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックばかりを聴いていたのだけれど、就職の為に上京し、毎日の勤めの中で、事務所内で同僚が好んでかける邦楽を否応なしに耳する事になる。勿論嫌だったが文句を言う訳にもいかず、聴こえてくる日本語をどうにか聞き流す日々であった。しかしそんな毎日を過ごしている間に Flying Kids というファンク・バンドが気になり「あ、日本のバンドも結構良いかも」などと偉そうな事を考え始め、とうとう " 続いてゆくのかな " という 1st アルバムを買った。そしてそのアルバムの内ジャケットにレイアウトされた文章を読んで、僕はこのバンドが大好きになったのであった。以下にそれを敢えて画像で記す。文字の組み方は CD ジャケットに載っていた形そのままに、フォントとエフェクトは何故か銀色夏生風に。



 このアルバムの発売は1990年。しかし僕が実際に聴いたのは次の年くらいか。そしてその3年後に岡崎京子の " リバーズ・エッジ " が発売された。これも僕は随分と遅れて読んだ。作中ではウィリアム・ギブスンの詩が引用され、その最後の行に「平坦な戦場で/僕らが生き延びること」という言葉があり、その言葉はいつの間にか一人歩きし初めて、1990年代社会に生きる人々の指針となるべき言葉のように彼方此方で書かれていた気がする。巻末のあとがきにはこう在る。
 あらかじめ失われた子供達。すでに何もかも持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何かのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠の中なかにたたずみ続けるだけだ。
しかしそれから10年が経った頃には、人々は延々とくり返す同じ様な毎日に飽き果て、しかもそのままずっとくり返して生きていける訳ではない事にも気づいたところから、やおらドラマを求め始めたように見える。

 僕自身の事を言えば、通常の僕は社会の風潮に対して10年ほど遅れて生きているので、ようやく今頃になってくり返す事に限界を感じてきたところである。出来る限りの力を出し切り、知恵を絞って、この続いてゆく生活を続けていかなければならないのは変わらない事として、全く同じ轍を踏むのではなく、ほんの少しでも目新しき時間を手に入れるにはどうしたら良いのだろうか。なんて事を今更考えている。
  • Last modified : 2009-01-25 21:16

100万人のキャンドルナイト 2008 冬至



焦らず、騒がず、移りゆく時間をしっかりと見つめましょう。

借り物の祝祭

 浅草サンバカーニバルの起源を辿れば、Wikipedia やその他の殆どのページには同じ記述が在る。
 浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。
 1981年なんてついこの間の事だ。何故浅草にサンバカーニバルなのかという疑問は考えても意味がないだろう。この国はキリスト教の祝祭を平然と自国の祭り・イベントとしてやってのけるし、果てはキリストやモーゼやブッダの墓が在るとかないとかそんな事まで、街や地域の経済を興す為に作ったりするような国なのである。調べてみれば高円寺阿波おどりも同じ様な理由で始められたようだし、とにかく借り物のスタイルであれ何であれ、呼び物となりそうなものであればそれを催して金を落とさせる。全国何処でも大なり小なりやっている経済活動である。それは、全てとは言わないが元々この国の各地方に伝来する宗教的な祭りさえも含まれてしまう。浅草とサンバカーニバルを関連づける事柄があるとすれば、浅草が観光地で日常的に祭りを催しているようなもので観光客の扱いにも慣れているだろうし、昔から三社祭のような大祭を継続させるだけの素地がある土地なのだから、受け容れやすかったのだろうという事は考えられる。いずれにしても節操の無さを感じる事は否めないのであるが。

 さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。

 この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。
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