DOG ON THE BEACH
プールで騎馬戦、ビート板で殴り合い。
仕事中、事務所にはいつも J-WAVE が流れており、その中の昼時の番組 Music Plus で、コーナーの一つとしてハワイからの放送がある。ま、そんな事はどうでも良いのだけれど、サーフィンの話題の中で「ビート板」という懐かしい響きを持つ言葉が出てきた。それを聴いてふいに思い出される記憶があった。そう言えば高校の時、夏の体育の授業で水中騎馬戦をやった気がする。しかもその際にビート板で殴り合った気がする。どう考えても正規の授業プログラムだとは思えないが確かにやった。
試しに同じフロアの後輩に尋ねてみたところ、彼もやった気がするとの事。同じ県の出身なのでもしかして同県では、ちゃんとプログラムに予定されていたのだろうか。教育委員会がそんなの推奨するかなあ・・・。僕の想像では、体力を有り余らせて日頃の鬱憤が溜まっている学生に、体育の教師が気紛れにやらせていただけのような気がするのだが。
で、少し気になって女性の後輩にも尋ねてみたら、体育祭では女子の騎馬戦が存在したらしい。僕の通っていた学校では存在しなかった。女同士の騎馬戦なんて「ポロリ!芸能人の水泳大会」でしか観た事ない。観たいような観たくないような・・・いや、やっぱり観たくないな。めちゃくちゃ怖そうである。一人はそれは小学生の時だけであったと言うが、もう一人は高校の時にもあったとの事。更に怖そうである。
僕が通っていた高校の体育祭でも男子の騎馬戦はあった。自由参加のプログラムだったのだが、普段はそういう事に興味を全く持てなかった僕でさえ参加した。通常の騎馬戦では殴る蹴るは当然御法度のはずなんだけど、それはそれ、高校生の体力を持ってしての騎馬戦であるから勿論殴るし蹴る。僕は前方の馬役だったが、相手騎馬とぶつかった時に何故か相手の前方に殴られた。殴り返したくても乗ってる奴の体重が僕の手の平にかかっているので、そこから手を離せない。一体どうやって相手の前方は手を離す事が出来たのだろうか。でも今思えば、奴は最初から殴りたくてそもそも手を離していたのだろう。
女子の騎馬戦の話に戻る。高校の体育祭での騎馬戦を経験したという後輩。こやつが豪語するのである。「私、馬役だったんですけど、相手の、上に乗ってる奴を叩きのめしましたよ!」そこで高笑いである。その偉業は一体どうやって成し遂げたのかと尋ねてみたところ「もうね、身体ごと突っ込んで行くんですよ!どかーん!て!」いや、それは判るがそれぞれの位置している高さが違うだろう、と思ったが怖いのでそれ以上訊かない事にした。きっとどうにかやって叩きのめしたのだろう。その時の事を思い出して興奮気味の彼女が更に言うには「騎馬戦はねえ、公然と人を殴れる絶好のチャンスなんですよ!」解る。その気持ち。たかだかクラスが違うだけの理由で騎馬で戦う事になった僕等だが、出陣前に気合いを入れる為に円陣を組んだ時の台詞が怖い。「○組の奴らば殺せえ!!」状況が整えば、僕等はそんな事をつい口にしてしまうような生き物なのである。だからと言って女の口から同じ台詞は余り聞きたくはない。何故かって、そもそもが怖い人達なのだから。
試しに同じフロアの後輩に尋ねてみたところ、彼もやった気がするとの事。同じ県の出身なのでもしかして同県では、ちゃんとプログラムに予定されていたのだろうか。教育委員会がそんなの推奨するかなあ・・・。僕の想像では、体力を有り余らせて日頃の鬱憤が溜まっている学生に、体育の教師が気紛れにやらせていただけのような気がするのだが。
で、少し気になって女性の後輩にも尋ねてみたら、体育祭では女子の騎馬戦が存在したらしい。僕の通っていた学校では存在しなかった。女同士の騎馬戦なんて「ポロリ!芸能人の水泳大会」でしか観た事ない。観たいような観たくないような・・・いや、やっぱり観たくないな。めちゃくちゃ怖そうである。一人はそれは小学生の時だけであったと言うが、もう一人は高校の時にもあったとの事。更に怖そうである。
僕が通っていた高校の体育祭でも男子の騎馬戦はあった。自由参加のプログラムだったのだが、普段はそういう事に興味を全く持てなかった僕でさえ参加した。通常の騎馬戦では殴る蹴るは当然御法度のはずなんだけど、それはそれ、高校生の体力を持ってしての騎馬戦であるから勿論殴るし蹴る。僕は前方の馬役だったが、相手騎馬とぶつかった時に何故か相手の前方に殴られた。殴り返したくても乗ってる奴の体重が僕の手の平にかかっているので、そこから手を離せない。一体どうやって相手の前方は手を離す事が出来たのだろうか。でも今思えば、奴は最初から殴りたくてそもそも手を離していたのだろう。
女子の騎馬戦の話に戻る。高校の体育祭での騎馬戦を経験したという後輩。こやつが豪語するのである。「私、馬役だったんですけど、相手の、上に乗ってる奴を叩きのめしましたよ!」そこで高笑いである。その偉業は一体どうやって成し遂げたのかと尋ねてみたところ「もうね、身体ごと突っ込んで行くんですよ!どかーん!て!」いや、それは判るがそれぞれの位置している高さが違うだろう、と思ったが怖いのでそれ以上訊かない事にした。きっとどうにかやって叩きのめしたのだろう。その時の事を思い出して興奮気味の彼女が更に言うには「騎馬戦はねえ、公然と人を殴れる絶好のチャンスなんですよ!」解る。その気持ち。たかだかクラスが違うだけの理由で騎馬で戦う事になった僕等だが、出陣前に気合いを入れる為に円陣を組んだ時の台詞が怖い。「○組の奴らば殺せえ!!」状況が整えば、僕等はそんな事をつい口にしてしまうような生き物なのである。だからと言って女の口から同じ台詞は余り聞きたくはない。何故かって、そもそもが怖い人達なのだから。
日本に於ける太陰太陽暦の消失
本題に入る前に少し説明をしておく。先頃の穏やかな休日の朝に、眠気が抜けぬままの目を擦りながらパワーブックを立ち上げてメールのチェックをしていると、何やら赤い色をした一通のメールが届いており、差出人を見遣ればそれは十庵氏であった。どうやら僕は秘密結社「我等はブギー」の構成員になってしまっているらしい。しかしながら現在は自分のブログでさえまともに更新出来ていないので、どうしようかと暫し迷ったのだが結局は「ま、いーか。」で参加する事にした。各人の投稿を集約する事に拠って何かしらの広がりを持つような気もする。そう考えると少し楽しい。
十庵氏のブログを読んでいる人と僕のそれは、若干名被ってはいるがそうではない人が多勢であるだろう。今現在二つのブログに記事を書き分ける余裕はないので、結社ブログの主旨にも該当するであろう記事を書いた場合には、ミラーサイトと同じ考えで双方のブログに投稿する事にした。とまあ、そんな感じで前説は終わり。
★
この記事で十庵氏が書いている事柄に関して少し調べてみた。「旧正月」というキーワードを検索しているとこのサイトの2006年1月29日の日付の記事と、この記事を見つけた。というかこのくらいしか見つからなかった。何れの記事も「旧正月は明治維新の際に廃止された」と書いてある。
そこで「明治維新」「大政奉還」「旧暦」「天保暦」というキーワードで探ってみた。僕が受けてきた教育では「明治維新」「大政奉還」と言われれば「政権が徳川家から天皇家に返上された」くらいの認識しかなく、その事に関する興味を一切持っていなかったが為にそれ以上の事を想像する事もなかった。しかしよくよく考えてみれば、それまでの生活に対する枠組みが一変したのであるから、人々の受けた衝撃は相当ななものであったと想像される。その改革を喜んだ人も居ただろうし、途方に暮れた人もたくさん居ただろう。国の成り立ちが変わるという事実は、人々を「もう訳が解らない状態」に追い込んで行くものなのではないだろうか。
そんな中に旧暦は廃止され、新暦へ移行したとされる。上に記した Wikipedia の記事の中から幾つか気になる箇所を引用してみる。
十庵氏のブログを読んでいる人と僕のそれは、若干名被ってはいるがそうではない人が多勢であるだろう。今現在二つのブログに記事を書き分ける余裕はないので、結社ブログの主旨にも該当するであろう記事を書いた場合には、ミラーサイトと同じ考えで双方のブログに投稿する事にした。とまあ、そんな感じで前説は終わり。
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この記事で十庵氏が書いている事柄に関して少し調べてみた。「旧正月」というキーワードを検索しているとこのサイトの2006年1月29日の日付の記事と、この記事を見つけた。というかこのくらいしか見つからなかった。何れの記事も「旧正月は明治維新の際に廃止された」と書いてある。
そこで「明治維新」「大政奉還」「旧暦」「天保暦」というキーワードで探ってみた。僕が受けてきた教育では「明治維新」「大政奉還」と言われれば「政権が徳川家から天皇家に返上された」くらいの認識しかなく、その事に関する興味を一切持っていなかったが為にそれ以上の事を想像する事もなかった。しかしよくよく考えてみれば、それまでの生活に対する枠組みが一変したのであるから、人々の受けた衝撃は相当ななものであったと想像される。その改革を喜んだ人も居ただろうし、途方に暮れた人もたくさん居ただろう。国の成り立ちが変わるという事実は、人々を「もう訳が解らない状態」に追い込んで行くものなのではないだろうか。
そんな中に旧暦は廃止され、新暦へ移行したとされる。上に記した Wikipedia の記事の中から幾つか気になる箇所を引用してみる。
宗教的には、祭政一致の古代に復す改革であったから、1867年(慶応3年)旧暦正月17日に制定された職制には神祇を七科の筆頭に置き、3月 (旧暦)には神仏分離令が布かれた。神仏分離令により、当時の復古的機運は仏教でさえも外来の宗教という点で廃仏毀釈として弾圧される時代であった。ただし、神仏分離令の主旨は仏教の排斥ではなく、江戸時代までの神仏習合による仏教と神道の混交から両者を分離することであった。Wikipedia
東アジアの多くの国では、グレゴリオ暦に改暦する前は中国暦またはそれをもとにした暦が使われていた。Wikipediaこれは僕の想像でしかないが、中国から伝来した文化も宗教も等しく日本国の純化を目的に排斥されたのではないだろうか。そう考えると、なんとなーくだが、第二次世界大戦へと至る道がうっすらと見えてくるような気がする。
ハッシュ! / 橋口亮輔
一組のゲイのカップルの間に「子供を作りたい」と言うヘテロの女が割り込んで来る話。誰かには誰かが必要だが、それが家族や恋人である必要はない。長く連れ添う事が稀なゲイ・カップル。将来を思ってみても、養子でも貰わなければ家族が増える事はない。片や女は、長らくの不摂生(不特定の男との性交)が祟り子宮に陽性の筋腫が見つかる。出産をする気がないのなら摘出してしまえば良いのでは?と医師に薦められる。
この映画の中では、家族制は(核家族でさえ)否定されている。将来の孤独から自分を一生涯救ってくれるほどの確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」
★
とまあ、此処までは僕が2006年に書いた記事である。何故今更こんなものを引っ張り出してきたのかというと、橋口亮輔の今年の夏公開予定の最新作「ぐるりのこと。」が気になって仕方がないからである。
主演のリリー・フランキーは勿論大好きだし、木村多江も好きである。だからそれだけでも観る気満々なのに、此処の橋口亮輔のインタビュー記事を読んだらもう居ても立ってもいられない気分になってきた。せっかくなので引用しておく。
★
因みに、この映画の予告編を観ていると、リリー・フランキーという男に何というか、愛しさみたいなものを感じてくる。何処がどうとは説明出来ないのだけれど。
この映画の中では、家族制は(核家族でさえ)否定されている。将来の孤独から自分を一生涯救ってくれるほどの確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」
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とまあ、此処までは僕が2006年に書いた記事である。何故今更こんなものを引っ張り出してきたのかというと、橋口亮輔の今年の夏公開予定の最新作「ぐるりのこと。」が気になって仕方がないからである。
主演のリリー・フランキーは勿論大好きだし、木村多江も好きである。だからそれだけでも観る気満々なのに、此処の橋口亮輔のインタビュー記事を読んだらもう居ても立ってもいられない気分になってきた。せっかくなので引用しておく。
それまで、日本映画の中で真面目に扱われてこなかったゲイの登場人物たちを10年通して描いてきて、『ハッシュ!』(2001)で大きな評価をいただいたので、ひとつやり終えた感があったんです。じゃあ何を撮ろうって考えたときに、『ハッシュ!』以降の人間関係、それも“絶対に別れない夫 婦”をやろう!と思って。
実は僕が「ハッシュ!」の後、鬱になったん ですね。「映画なんてできない、もう無理だ」って1年 くらい何もしない時期があって…。そんな時、2001年の 米テロ事件が起きたんです。実はテロと鬱ってす ごくよく似てて、くすぶっていた過去の問題が全部表面 化しちゃうという共通点があるんですね。そんな90年以降の犯罪史が、僕の鬱屈した想いとリンクして、 「どうやったら希望をもって人は生きられるんだろう?」と、祈りにも似た想いで考えていました。でも結局、希望なんて人と人 との間にしか生まれないですよね。面倒くさいし、やっか いだけど、人と人との繋がりしかないんだって。…だから 何が起きようとも“絶対に別れない”夫婦なんです。僕は未婚であるので夫婦の事についてはよく解らない。しかしこれまでの経験上、人と人は、出会えば何れは別れ別れになるものだと思っている。血縁関係にしたって、不仲であれば大仰な名目でもなければ顔を合わす事もない。まあ、これは僕個人に関しての事だが。ただ、前述の僕が書いた記事と、橋口亮輔のインタビュー記事との間の流れを考えれば「絶対に自分の目の前から居なくならない人がいる」事への羨望は、僕の裡にもその欲求は十分に備わっている。だから、そういう人と人との関係は一体どういう風に形作られているのか、その事に大変興味がある。公開まであと半年もあるが、きっと忘れた頃に突然思いだして慌てて劇場へ足を運ぶのだろう。
★
因みに、この映画の予告編を観ていると、リリー・フランキーという男に何というか、愛しさみたいなものを感じてくる。何処がどうとは説明出来ないのだけれど。
A pop star was killed by a human being today in 1980
- 2007-12-08 土曜日
- Category - People
- Tag - philosophy / psychology / sociology
僕が生まれたのは、丁度ジョンとヨーコが同棲を始めた頃である。そしてジョンが一人の青年によって命の灯火を消されてしまった時、僕は未だ鼻糞の詰まった小学生だった。日本の片田舎に暮らし、毎日の御飯と、プロ野球やスーパーカーや8時だよ全員集合や好きな女の子のスカートの色や少年漫画、それに毎週のように入れ替わるたわいのない遊び以外には何の興味もなかった僕の耳には、一人のイギリス出身のロックスターの悲報が届く事はなかった。だから、同時代的な思い入れなどあるはずもない。中学生になり、ラジオやテレビから頼みもしないのに流れてくる音楽だけでなく、自ら選んで聴く音楽を求めるようになってようやく、ジョン・レノンというロックスターが既に死んでしまっている事を知る事になる。とは言え、それは情報として知っただけの話で実感としては何もない。それにただ死んだのではなく、殺されたという事を知ったのも未だ少し先の話である。
要するに今日は John Winston Ono Lennon の27回目の命日だ。どのラジオ曲でも今日は追悼番組をやっているのだろうと思っていたが、新聞の番組表を見るとそうでもないらしい。昔はその企画だけで4時間の番組を組んでいたりした気がするが、古い話は忘れ去られていくのは仕方のない事なのだろう。僕は今日一日、部屋で The Beatles と John Lennon ばかりを聴いている。
★
さて、ジョン・レノンに対してさほどの思い入れもない僕が、何故こうやってしこしこと書いているのかというと、まあよく解らない。僕はどちらかと言えば音楽家としてのジョン・レノンよりも、人間としてのジョン・レノンの方に興味があり、それ故に命日というのはわりと気にしてしまうのだ。ロックスターとして欧米の空の上に君臨したのは、彼の正確な本望だったのかどうかは解らないが、極東の地までツアーで来たり、インドに赴きグルの教えを請うたり、現代音楽や現代美術に傾倒したり、スクリーミング療法に通ったり、自分の音楽的原点に回帰したり、女性解放運動や平和運動に参加したりと、そういう行動家としてのジョン・レノンに興味がある。
彼は一体何に成りたかったのだろうか。先ほど聴いていた J-WAVE の追悼番組。DJ の小林克也は「博愛主義で音楽的才能に溢れたポール・マッカートニーに対し、ジョン・レノンはひねくれ者で(自分自身と)戦い続ける男だった。」というような事を語っていた。まさしく、そういうジョン・レノンの姿に共感を覚えるのである。自分が成りたい自らのサンプルとしての人間が近くに存在しなかった場合、人は当てずっぽうに彷徨い歩くしかない。彷徨い歩き、少しでも共感を覚える世界には思い切って首を突っ込み、暫くして其処に違和感を感じるようになれば去り、また彷徨い続ける。その繰り返しである。ポップスターと成り万人にその姿を晒すようになっても尚、迷い彷徨う意気地を隠さない。それこそが僕が知るジョン・レノンである。

電車男 / 村上正典
- 2007-09-24 月曜日
- Category - Art
- Tag - movie / philosophy / sociology
観たのは随分前だしこのエントリは映画のレビューでもないのだが、僕はこの映画はロードショーで観ていて、割と身につまされる話であったりする。しかしながら、その当時僕の周囲では「主人公の男が気持ち悪い。」とか「主人公の男の子は私の好みではないですねえ。」とかそんな感想ばかりが耳に入った。そりゃまあ、そうなんだろうけど。人生のとある場面で(若しくは様々な場面で)排除され、挫折し、その事件から己を守る為に諦める事を覚えた人間。そういう経験を経たが故に、自分が誰かを求める資格が在るとか無いとか、そういう事に躓いている人間が少なからず存在する事を彼らは知らないのだろうか。自分自身が経験せずとも、家族や友人の中の一人ががそういう世界観の元に生きているという事はないのだろうか。無いんだったら仕方ない気はするけど。そんな事を考えた事を思い出した。
女の一生
先日のエントリで母の事を書いていて思い出したのが、リリー・フランキーの「東京タワー」の中の一節。産み育てた子供達が皆家を出、其処に独り残された二人の祖母の話だ。一部を少し引用すると。
長い年月を生き続けた一人の人間が自ら選んでそうしている事だし、僕のようなまだまだものの解っていない人間がどうこう言える事ではないとは思うけれども、切なく、非常に無力感を伴う。祖父が亡くなった時、僕は仕事をどうしても抜ける状況ではなかったので、別れを告げる事が出来なかった。そして前年の末は、帰省はしたのだが、著しく体調を崩した為に祖母の元を訪れる事が出来なかった。つまり独りになってしまった祖母には一度も会っていない。
そんな経験をすると、明確な答えなど見つかるはずもないと思ってはいても、つい「一体どういう状態での家族の在り方が一番正しいのか。」などという事を考えてしまう。事情は千差万別。それが家族であれ何であれ、人と人との関係は「思うようにはいかん。」のが常であり、もし健康的な繋がりを保てそうな気配がするのであれば、それはきっと守るべきものである。僕は今そんな風に考える。
タイトルに大層な事を銘打ってしまったが、実際問題、僕に女の人生について語れる訳はない。ただ、親しい人間の寂しそうな姿を見るのは辛い。それは勝手な思いこみだし、根拠としてはそれだけしか無いのだけれど、とても大事な事のような気もしている。
筑豊のばあちゃんは相変わらずひとりで、黄色くなったジャーの中の御飯を食べていた。(中略)誰も居なくなった家で、黄色くなった御飯を食べながら、心臓病の薬を飲み、映りの悪くなったテレビを観ている。ばあちゃんにとって、一日のどんな時が楽しいのだろう。人生の何が楽しみなのだろう。その後に続く本文にも同じような事が書いてあるのだが、そんな祖母の後ろ姿を想像しては、僕は自分勝手にやりきれない気分に陥ってしまう。父方の祖母は既に亡くなっているが、母方の祖母は、一昨年に伴侶を亡くし今は独りで暮らしている。母の末弟が近くに住んでいるのでちょくちょく様子を見に行ってはいるし、その叔父や母が一緒に暮らす事を薦めても頑としてその家に留まる考えを変えないと聞く。
長い年月を生き続けた一人の人間が自ら選んでそうしている事だし、僕のようなまだまだものの解っていない人間がどうこう言える事ではないとは思うけれども、切なく、非常に無力感を伴う。祖父が亡くなった時、僕は仕事をどうしても抜ける状況ではなかったので、別れを告げる事が出来なかった。そして前年の末は、帰省はしたのだが、著しく体調を崩した為に祖母の元を訪れる事が出来なかった。つまり独りになってしまった祖母には一度も会っていない。
そんな経験をすると、明確な答えなど見つかるはずもないと思ってはいても、つい「一体どういう状態での家族の在り方が一番正しいのか。」などという事を考えてしまう。事情は千差万別。それが家族であれ何であれ、人と人との関係は「思うようにはいかん。」のが常であり、もし健康的な繋がりを保てそうな気配がするのであれば、それはきっと守るべきものである。僕は今そんな風に考える。
タイトルに大層な事を銘打ってしまったが、実際問題、僕に女の人生について語れる訳はない。ただ、親しい人間の寂しそうな姿を見るのは辛い。それは勝手な思いこみだし、根拠としてはそれだけしか無いのだけれど、とても大事な事のような気もしている。
町田町蔵
- 2007-07-28 土曜日
- Category - Art
- Tag - music / sociology / philosophy
布袋寅泰、町田康の顔面を殴るの巻。一昨日から楽しませて貰っている。Yahoo トピックでこの記事を見つけてしまったものだから、これは祭りに違いないと2ちゃんねるの「芸能ニュース速報+」で該当スレッドを見つけて早速読み始めてしまった。だいたい発言は同じ様な事が繰り返されるのだが、たまに80年代のその界隈の裏話とか出てくるので、それ目当てで読んでいたのだ。しかしさすがに3スレッド目で飽きた。スレッド内では「何故、布袋は町田を殴るに至ったのか?」という話題と「殴られたからって被害届を出すのは元パンクス小説家としてどうか?」に二分されているが、僕個人としては前者はどうでもよい。後者に関しては少々気になるところなのだが、スレッド内でその命題に対する、すこぶるナイスなレスポンスを見つけた。
町田はパンクだから被害届け出したんだよ解りにくいとは思うが、パンクとは個人の気に入らない者(事)に対するアンチテーゼ、言ってみりゃただの悪意であるのだもの。社会的な正当性や倫理観などとは無縁の行為なのだ。自分が受けた圧力に対して、ねじくれた悪意で返すのがパンクの姿勢である。場合に拠ってはそれが喜びともなる。まあこれは僕の勝手な解釈だ。
ただのロックだったら出さなかっただろうな
いつものように Wikipedia で検索すると「パンク・ロック」に関してはこんな大層な事が書かれている。特に思想的特徴の辺り。そしてそれが日本に伝わってくると、様相が違ってくるようで、思想として確立するまでには至っていない。しかしながら、中には真面目に考え、その定義を求めようとする人も居たりする訳である。
時々思うのは、文化的な奔流の発端は思想なんかじゃないと思うのだ。思想とはあくまで、後々になってから、或る現象を解りやすく括る為の方便だと思っている。そりゃまあ、社会の大きな流れとなるには共感を覚え、賛同する人々の感情を汲み取るような何かしら原義が在るとは思うのだけれど、個人レベルの話と、共同体レベルの話であれば、その中心となるものが全然別個のものだと思うのである。
★
話がやたらと大きくなってきたので元に戻す。
高校3年の頃、Uちゃんというパンクスの友人が居た。3年になるまでお互いにその存在を知らなかったのだが、デッサンを習っていた教室で一緒になり仲良くなったのだ。それから僕は、彼の影響で時々アマチュア・バンドが出演するギクに顔を出すようになった。僕がパンクと実際に触れ合っていたのはその頃だけだ。彼方此方で色々なものを見聞きしながらも、相変わらずそれに踏み込む事も出来ず、傍観するような態度で眺めていた。
その頃のUちゃんとの会話の中で、こんなエピソードを聞いた。或る時Uちゃんは自宅でとあるバンド(聞いたはずだけど忘れた)のテープを聴いていたところ、彼の妹がそこに現れ、やたらと横柄な態度で「それ、ダビングしてよ。」と言い放たれたらしい。その態度にムカついた彼は言われた通りにダビングするフリをして、実はボリュームを0に下げて録音して渡したとか。Uちゃんはそんな事を話しながらウッシッシッシと笑っていた。妹の傲慢さに悪意で報復する兄。僕はその時、内心は「なんて性格の悪い奴なんだ。」と思っていたのだが、今現在となってもそのエピソードを楽しく思い出す。
僕がパンクに関して知り得たのはUちゃんから教えられた事ばかりだ。つまりは彼のフィルターを通しての事なので、どう考えても一般的な認識であるはずはないのだけれど、その出で立ちや行動を介して、他人から指さされる事で己の存在を確認するという、そういう精神性を持った人間をパンクスと呼ぶものだと僕は思っている。だからこそ、上に引用した2ちゃんねるでのレスポンスにひどく共感を覚えたのである。
★
町田町蔵。数々の逸話を残すパンクスのアイドルであった。「つるつるの壺」の文庫本に掲載された中島らもの解説や、「へらへらぼっちゃん」の文庫本に掲載された大槻ケンヂの解説や、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(当時は有頂天のケラ)のブログ「日々是嫌日」の記事を読めば、その一端は知れると思う。とか偉そうに書いているが、僕だってそれ以外には知らない。
それと、大槻ケンヂの解説の中にも出てきた、日比谷野音でのライヴ「天国注射の昼」の映像の一部が Youtube にアップされていた。ケラが書いた記事にあるように見事に前歯が折られている。気持ち悪い癖に凄まじく格好良い。






