DOG ON THE BEACH
蛮行伝
僕は平日はいつも同じ時刻の電車に乗っている。通勤快速も止まる駅なのにわざわざ普通電車に乗っている。通勤快速は基本的に鮨詰めの状態なので乗りたくないし、普通電車であってもいつも僕が乗っている時刻の前後の電車は人が多い。なのでその時刻の電車に乗らなければどうあっても嫌な目に遭うのである。
そんな風にして何年もの間同じ電車に乗っていると、何年も前から見かける同じ顔というのも存在する。勿論人は動くものだし、何年かすればそこに居合わせる人々はすっかり入れ替わるのだけれど、1・2年は居たりするのだ。毎朝同じようなメンバーに囲まれて電車に揺られていれば、自然と「あ、この人は良い匂いがするからいつも隣に立とうかなー。」とか「あ、こいつは挙動不審だから嫌な目に遭わないように出来るだけ離れて立つ事にしよう。」などと思ってくるものである。
例えば、僕と同年代であろう女性というか女が次の駅でいつも同じ車両に乗ってくるのだが、数年前の事、揺れる車両によろめいてその女の足を踏んだ事があった。その女は非難がましい目で僕を睨み付けながら「いったーい!」と殊更にデカい声で叫びやがった、その余りの反応に僕は素でムカついて「すみません。」と小声で謝った後は無視していた。
その次の日から現在まで同じ車両に乗り合わせるのだが、時々見かける彼女は何というか自分の欲求のみに正直な人で、空いた座席やスペースを見つけるや否や、既に彼女の網膜にはそれしか写っていないらしく、他の乗客を蹴散らすような勢いで突進する。そして無事に領土を確保すると何事もなかったように鞄から本を取り出し読み始めるのである。しかしまあ、そんな事をするオバハンはよく居るので、大して気にしていなかった。
しかし彼女の場合はそれだけではなかった。普段は本を読んでいるがたまにイヤフォンで音楽を聴いているのを見かける。ジャカスカと音漏れしていなければ普通の行為だ。何ら問題はない。ただ彼女は違った。一体何の音楽を聴いているのかなんて知りたくもないが、なんと彼女はヘッドバンギングを始めたのである。ラッシュ時の電車内で。固く目を閉じ、唇は真一文字で、長い髪の毛を振り乱しながら一心不乱に、ガンッガンに首を縦に振っていた。もうそうなると迷惑だとかそういう問題ではない。怖いのだ、その存在が。何だか見てはいけないものを見たような気もしてくる。
明日も同じ車両に彼女が乗ってくるかと思うとドキドキする。何というか、彼女は余りにも不適切だ。
そんな風にして何年もの間同じ電車に乗っていると、何年も前から見かける同じ顔というのも存在する。勿論人は動くものだし、何年かすればそこに居合わせる人々はすっかり入れ替わるのだけれど、1・2年は居たりするのだ。毎朝同じようなメンバーに囲まれて電車に揺られていれば、自然と「あ、この人は良い匂いがするからいつも隣に立とうかなー。」とか「あ、こいつは挙動不審だから嫌な目に遭わないように出来るだけ離れて立つ事にしよう。」などと思ってくるものである。
例えば、僕と同年代であろう女性というか女が次の駅でいつも同じ車両に乗ってくるのだが、数年前の事、揺れる車両によろめいてその女の足を踏んだ事があった。その女は非難がましい目で僕を睨み付けながら「いったーい!」と殊更にデカい声で叫びやがった、その余りの反応に僕は素でムカついて「すみません。」と小声で謝った後は無視していた。
その次の日から現在まで同じ車両に乗り合わせるのだが、時々見かける彼女は何というか自分の欲求のみに正直な人で、空いた座席やスペースを見つけるや否や、既に彼女の網膜にはそれしか写っていないらしく、他の乗客を蹴散らすような勢いで突進する。そして無事に領土を確保すると何事もなかったように鞄から本を取り出し読み始めるのである。しかしまあ、そんな事をするオバハンはよく居るので、大して気にしていなかった。
しかし彼女の場合はそれだけではなかった。普段は本を読んでいるがたまにイヤフォンで音楽を聴いているのを見かける。ジャカスカと音漏れしていなければ普通の行為だ。何ら問題はない。ただ彼女は違った。一体何の音楽を聴いているのかなんて知りたくもないが、なんと彼女はヘッドバンギングを始めたのである。ラッシュ時の電車内で。固く目を閉じ、唇は真一文字で、長い髪の毛を振り乱しながら一心不乱に、ガンッガンに首を縦に振っていた。もうそうなると迷惑だとかそういう問題ではない。怖いのだ、その存在が。何だか見てはいけないものを見たような気もしてくる。
明日も同じ車両に彼女が乗ってくるかと思うとドキドキする。何というか、彼女は余りにも不適切だ。
根性彫り
- 2007-06-21 木曜日
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
昨日の夜はひどく疲れていたので、さっさと寝てしまおうと23時頃にはタオルケットを被っていたのだけれど、何故かしらふいに根性彫りの事を思い出してしまい、それからあれやこれやと思い出していたら眠れなくなってしまった。
田舎の中学生だった僕の周りには、所謂「ヤンな人達」が結構居て(というか元々保育園からの同級生なのだけれど)、彼等の間で「根性彫り」が流行っていたのだ。僕自身はその頃から非常に中途半端な精神性を持った子供で、真面目に勉強する事もなければ「ヤンな人」にもなれなかった。しかしその周辺には居たので自然感化される事になった訳である。つまり、僕も根性彫りをやった事があるような気がする。恐らく。というのも記憶が曖昧だからである。昨夜の回想の中では僕の左手首に刻まれた文字のような疵まで思い出せたので、恐らく間違いはないと思うのだけれど、僕は自分の記憶に夢が混ざっているフシがあるような人間なので確信が持てないのだ。
さて、根性彫りとは一般的に「好きな人の名前を自分の身体に刻む。」という、言ってみれば「どれだけ相手に惚れ込んでいるか?」という事を目に見える形で証明する行為であるようなのだが、僕の周辺で行われていたのはそれとはかなり違い「好きな人の名前を自分の身体に彫って、それを誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら、その恋は成就する。」という、何というか・・・やってる事は大差ないのに、その意味合いが一般的な根性彫りに比べると一途で一本槍な感じがあっさりと崩れ去り、幼稚な部分だけが残ってしまったという非情に恥ずかしい行為であった。さすが中学生、おしなべて馬鹿である。
そして根性彫りというのは、どちらかと言えば女の子がやる行為(海外では好きな女の名前を入れ墨にする男は結構居るようではあるが)であるようで、僕の周辺で流行っていた行為も、その意味合いからしてどう考えても女の子用に考案された遊びに思える。では何故僕がそんな事をしたのか。その時の事情を全く覚えていないので想像するしかないのだけれど、たぶん「乗せられた」のだろう。僕は昔っから誰かを好きになると、その行動全てにそれが現れるらしくて、長くは経たない内に周囲の人全てが知るところとなる。そんなあからさまな行動をとる僕はよく女の子達にからかわれていたのである。
そんな風にして僕は好きな女の子の名前を自分の左手首に彫る事になったのだが、その後の処理がこれまた甘酸っぱい。上に書いたように「誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら」という条件が在るので、何かしらで彫った名前を隠蔽する事になる。どうやって隠すか。それは絆創膏がその役目を果たしていた。しかも目立たない事を前提にデザインされた肌色の物ではなく、そこはさすがに女子中学生、キャラクター物の絆創膏なのである。他の人の事は覚えていないが、僕が貼っていたのはスヌーピーがプリントされた水色の絆創膏であった。勿論自分でそんな物を買う訳もなく、友達の女の子に予め貰って貼っていたのである。
スヌーピーの絆創膏って・・・。もう言葉もない。恐らく女の子から何かしら貰う、という事が嬉しくて仕方がなかったのだろう。今思えば中学2年くらいまでは、毎日そんな事ばかり思って過ごしていた気がする。
★
さて、此処までは前フリである。昨夜思い出していた中でどうしても気になった事があって、それがこの話のメインなのだが、それは何かというと、僕が左手首に彫った名前の持ち主が一体誰なのか全く思い出せない事である。実はそれが思い出せないが為に眠れなくなったのだ。その当時、中学生の頃の前半くらい、該当する女の子は二人居るがそのどちらなのかが判らない。
根性彫りと言うのならば、一生残る疵を自らに与えるのだろうけれど、根性も思想も何もなかった僕は、安全ピンを使ってナノ単位で薄く自分の皮膚を削っていたので、間もなく彫った名前は消えてしまった。そんな事を考えていると、もしかしたら僕の根性彫りは夢の中での出来事ではなかったのだろうかと思ってしまう。あり得るだけに確信が持てない。
本気で根性彫りをする人を何となく羨ましく思う。昨夜は、酒の酔いに任せて久しぶりに彫ってみようかとも考えたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。今僕は、それを馬鹿馬鹿しく思わない精神性を眩しく感じるのだ。何故だろうか。たぶん、退屈なのだ。
田舎の中学生だった僕の周りには、所謂「ヤンな人達」が結構居て(というか元々保育園からの同級生なのだけれど)、彼等の間で「根性彫り」が流行っていたのだ。僕自身はその頃から非常に中途半端な精神性を持った子供で、真面目に勉強する事もなければ「ヤンな人」にもなれなかった。しかしその周辺には居たので自然感化される事になった訳である。つまり、僕も根性彫りをやった事があるような気がする。恐らく。というのも記憶が曖昧だからである。昨夜の回想の中では僕の左手首に刻まれた文字のような疵まで思い出せたので、恐らく間違いはないと思うのだけれど、僕は自分の記憶に夢が混ざっているフシがあるような人間なので確信が持てないのだ。
さて、根性彫りとは一般的に「好きな人の名前を自分の身体に刻む。」という、言ってみれば「どれだけ相手に惚れ込んでいるか?」という事を目に見える形で証明する行為であるようなのだが、僕の周辺で行われていたのはそれとはかなり違い「好きな人の名前を自分の身体に彫って、それを誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら、その恋は成就する。」という、何というか・・・やってる事は大差ないのに、その意味合いが一般的な根性彫りに比べると一途で一本槍な感じがあっさりと崩れ去り、幼稚な部分だけが残ってしまったという非情に恥ずかしい行為であった。さすが中学生、おしなべて馬鹿である。
そして根性彫りというのは、どちらかと言えば女の子がやる行為(海外では好きな女の名前を入れ墨にする男は結構居るようではあるが)であるようで、僕の周辺で流行っていた行為も、その意味合いからしてどう考えても女の子用に考案された遊びに思える。では何故僕がそんな事をしたのか。その時の事情を全く覚えていないので想像するしかないのだけれど、たぶん「乗せられた」のだろう。僕は昔っから誰かを好きになると、その行動全てにそれが現れるらしくて、長くは経たない内に周囲の人全てが知るところとなる。そんなあからさまな行動をとる僕はよく女の子達にからかわれていたのである。
そんな風にして僕は好きな女の子の名前を自分の左手首に彫る事になったのだが、その後の処理がこれまた甘酸っぱい。上に書いたように「誰にも見せずに一ヶ月過ごせたら」という条件が在るので、何かしらで彫った名前を隠蔽する事になる。どうやって隠すか。それは絆創膏がその役目を果たしていた。しかも目立たない事を前提にデザインされた肌色の物ではなく、そこはさすがに女子中学生、キャラクター物の絆創膏なのである。他の人の事は覚えていないが、僕が貼っていたのはスヌーピーがプリントされた水色の絆創膏であった。勿論自分でそんな物を買う訳もなく、友達の女の子に予め貰って貼っていたのである。
スヌーピーの絆創膏って・・・。もう言葉もない。恐らく女の子から何かしら貰う、という事が嬉しくて仕方がなかったのだろう。今思えば中学2年くらいまでは、毎日そんな事ばかり思って過ごしていた気がする。
★
さて、此処までは前フリである。昨夜思い出していた中でどうしても気になった事があって、それがこの話のメインなのだが、それは何かというと、僕が左手首に彫った名前の持ち主が一体誰なのか全く思い出せない事である。実はそれが思い出せないが為に眠れなくなったのだ。その当時、中学生の頃の前半くらい、該当する女の子は二人居るがそのどちらなのかが判らない。
根性彫りと言うのならば、一生残る疵を自らに与えるのだろうけれど、根性も思想も何もなかった僕は、安全ピンを使ってナノ単位で薄く自分の皮膚を削っていたので、間もなく彫った名前は消えてしまった。そんな事を考えていると、もしかしたら僕の根性彫りは夢の中での出来事ではなかったのだろうかと思ってしまう。あり得るだけに確信が持てない。
本気で根性彫りをする人を何となく羨ましく思う。昨夜は、酒の酔いに任せて久しぶりに彫ってみようかとも考えたが、馬鹿馬鹿しくなって止めてしまった。今僕は、それを馬鹿馬鹿しく思わない精神性を眩しく感じるのだ。何故だろうか。たぶん、退屈なのだ。
岩松 了
- 2007-06-05 火曜日
- Category - People
- Tag - environment / sociology / movie
「帰ってきた時効警察〜第八話」は、三日月120%という感じで大変気に入っているのだけれど、早いもので残すは今週末の最終回を残すのみ。一抹の寂しさを感じる。
そんな時に、兼ねてより予定されていた岩松了が監督を務める、仮題「たみおのしあわせ」が「そして夏がきた」というタイトルに変更され、6月1日からクランクインしたという知らせを見つけた。主演はオダギリジョーと麻生久美子。二人の結婚へと至る騒動を描いたものであるらしい。最終回がどうなるのかは判らないのだけれど、時効警察での二人を見ていて、結婚というイベントに巻き込んでみたくなったのだろうか。
Wikipedia の頁にも在るように、岩松了は俳優より以前に劇作家・演出家であるのだが、いかんせん僕は戯曲は読まないし演劇には疎い。彼がどのような舞台を作り上げている人なのか全然知らない。知っているのは、色々な映画やテレビドラマに端役として出ているのを見かけるのと、幾つかの作品に脚本家として参加している事くらいだ。
岩松了脚本で観た事があるのは、荒木経惟とその妻陽子を描いた「東京日和」と、「私立探偵濱マイク〜第七話」と、「時効警察〜第三話」くらいだが、どの話も夫婦の話だ。しかもどの夫婦も漠然とした疑念を抱えながら暮らしている。そんな話ばかりを書いていた岩松了が結婚へと至る話を撮ると聞いて僕は「へえ。」と思った。その「へえ。」とは下世話な興味でしかないのだが、何だか楽しみである。何より「そして夏がきた」というタイトルが気に入った。静岡県島田市の風景と共に、僕は勝手にラストシーンを思い浮かべてしまう。そこにはとても幸せな光景が広がっているのだ。撮り終えるのが今年一杯だという事だから、公開されるのは来年になるのだろうが、そういう物語を観たいと思っている自分を、実のところ持て余している。僕が未だに未婚だからかも知れないのだけれど。
6月も既に5日は過ぎ、その内に雨が多くなってくるのだろう。昔ほどは梅雨が嫌いではなくなってきた。雨が降っている方が気持ちが落ち着く。しかしながらそうした季節もやがては過ぎ去り、気がつけば、強烈な光に溢れた夏が手を広げて待っている。
そんな時に、兼ねてより予定されていた岩松了が監督を務める、仮題「たみおのしあわせ」が「そして夏がきた」というタイトルに変更され、6月1日からクランクインしたという知らせを見つけた。主演はオダギリジョーと麻生久美子。二人の結婚へと至る騒動を描いたものであるらしい。最終回がどうなるのかは判らないのだけれど、時効警察での二人を見ていて、結婚というイベントに巻き込んでみたくなったのだろうか。
Wikipedia の頁にも在るように、岩松了は俳優より以前に劇作家・演出家であるのだが、いかんせん僕は戯曲は読まないし演劇には疎い。彼がどのような舞台を作り上げている人なのか全然知らない。知っているのは、色々な映画やテレビドラマに端役として出ているのを見かけるのと、幾つかの作品に脚本家として参加している事くらいだ。
岩松了脚本で観た事があるのは、荒木経惟とその妻陽子を描いた「東京日和」と、「私立探偵濱マイク〜第七話」と、「時効警察〜第三話」くらいだが、どの話も夫婦の話だ。しかもどの夫婦も漠然とした疑念を抱えながら暮らしている。そんな話ばかりを書いていた岩松了が結婚へと至る話を撮ると聞いて僕は「へえ。」と思った。その「へえ。」とは下世話な興味でしかないのだが、何だか楽しみである。何より「そして夏がきた」というタイトルが気に入った。静岡県島田市の風景と共に、僕は勝手にラストシーンを思い浮かべてしまう。そこにはとても幸せな光景が広がっているのだ。撮り終えるのが今年一杯だという事だから、公開されるのは来年になるのだろうが、そういう物語を観たいと思っている自分を、実のところ持て余している。僕が未だに未婚だからかも知れないのだけれど。
6月も既に5日は過ぎ、その内に雨が多くなってくるのだろう。昔ほどは梅雨が嫌いではなくなってきた。雨が降っている方が気持ちが落ち着く。しかしながらそうした季節もやがては過ぎ去り、気がつけば、強烈な光に溢れた夏が手を広げて待っている。
境涯
- 2007-02-10 土曜日
- Category - People
- Tag - sociology / psychology
久しぶりに古い友人と電話で長話をしていると意外な話が出てきた。一月ほど前に宗教家である友人の元に、かつての共通の友人が相談に訪ねて来たとの事であった。僕は別な高校に通う事になったので、中学を卒業した後のその友人の事を僕は全く知らなかった。伝え聞くところに拠れば、高校ではさほど問題のない生活を送っていたのだが、社会に出る少し前から精神のバランスを崩し始め、そしてそのまま働いては辞め働いては辞め、を繰り返して来たとの事だった。
それで彼はどうにもならなくなり、手当たり次第に周囲に助けを求めるも何の救いも得られず、回り廻って友人の所へ頼ってきたのだった。宗教家の友人は話を聞きながら、訪ねて来た友人の変わりように衝撃を受けたようだ。僕が覚えているのは、いつもニコニコと白い歯を見せて笑っていた彼である。あれからもう20年以上経つ。そんなにも長い間、バランスを欠いた己の精神を抱えて生きてきたのだ。少し想像しただけでも目眩がする。
そう言えば中学の頃、その宗教家の友人の兄がこう言ったそうだ。「おまえらの学年は他の学年に比べて何処か違う。」何を持ってそう言ったのかは不明だが、そうかも知れないとは思った。とにかく面白い奴が多かったのだ。それだけに楽しい学校生活を送る事が出来たので、僕は密かに自慢に思っていた。しかし後年になって、ちらほらと耳に入ってくる同級生達は何だか大変な事になっている奴が多い。社会が大きく変動した訳でもないので、たかだか一二年の差に何かが在るとは思えない。なので僕の年代だけがそうである訳ではなく、どの世代でも同じように皆大変な事になったりするのだろう。
かつて、僕だけがおかしいのではないかと未だ悩んでいた頃。或る時期、或るきっかけで、誰もがそれぞれ少しずつおかしいという事に気付いた。そしてそのせいで誰もが日々酷い目に遭っている。その事実に対して僕は生まれて初めて絶望した。己が生まれ出たこの世界に言いようのない嫌悪感と無力感を味わったのだ。しかしそのままでは死ぬしかないので、僕は無理矢理にでもそれを認めるしかなかった。飲んで喰らって消化するしかなかったのだ。
それから長い年月を経て、今では随分と慣れた。世界の成り立ちとしてその事実を認める事が出来る。しかし、それでも、かつての時間や空間を共有した懐かしい人達には、幸せでいて欲しいのである。
それで彼はどうにもならなくなり、手当たり次第に周囲に助けを求めるも何の救いも得られず、回り廻って友人の所へ頼ってきたのだった。宗教家の友人は話を聞きながら、訪ねて来た友人の変わりように衝撃を受けたようだ。僕が覚えているのは、いつもニコニコと白い歯を見せて笑っていた彼である。あれからもう20年以上経つ。そんなにも長い間、バランスを欠いた己の精神を抱えて生きてきたのだ。少し想像しただけでも目眩がする。
そう言えば中学の頃、その宗教家の友人の兄がこう言ったそうだ。「おまえらの学年は他の学年に比べて何処か違う。」何を持ってそう言ったのかは不明だが、そうかも知れないとは思った。とにかく面白い奴が多かったのだ。それだけに楽しい学校生活を送る事が出来たので、僕は密かに自慢に思っていた。しかし後年になって、ちらほらと耳に入ってくる同級生達は何だか大変な事になっている奴が多い。社会が大きく変動した訳でもないので、たかだか一二年の差に何かが在るとは思えない。なので僕の年代だけがそうである訳ではなく、どの世代でも同じように皆大変な事になったりするのだろう。
かつて、僕だけがおかしいのではないかと未だ悩んでいた頃。或る時期、或るきっかけで、誰もがそれぞれ少しずつおかしいという事に気付いた。そしてそのせいで誰もが日々酷い目に遭っている。その事実に対して僕は生まれて初めて絶望した。己が生まれ出たこの世界に言いようのない嫌悪感と無力感を味わったのだ。しかしそのままでは死ぬしかないので、僕は無理矢理にでもそれを認めるしかなかった。飲んで喰らって消化するしかなかったのだ。
それから長い年月を経て、今では随分と慣れた。世界の成り立ちとしてその事実を認める事が出来る。しかし、それでも、かつての時間や空間を共有した懐かしい人達には、幸せでいて欲しいのである。
表裏の逆転、若しくは個体内でのパラレルな共存。
- 2006-07-24 月曜日
- Category - People
- Tag - sociology / internet / philosophy
昔、未だネット上は極めて非日常的な空間で、匿名性を利用して日記を公開している人達がたくさん居て、僕はその人達に引っ張られるようにしてインターネットの世界に入り込んだ。普段目にする事のない言葉がひっそりと書き連ねられ、抑えられていた感情が圧縮機にかけられたようにひりだしてくる様を眺めていたのだった。
それから数年が経ち、インターネットの普及と共に言葉は平準化され、其処は非日常的な場所ではなく日常の延長となった。奇妙な唸り声を上げるモデムを介して、こちらから何かを探しに行く場所ではなく、ブロードバンドに拠りあたかも窓を開けるようにして眺め得る風景となった。良い悪いではない。ただそうであるだけの話。
不便極まりないダイヤルアップの時代にも、少人数ながらコミュニティは在った。匿名性はいつしか人格を持ち、それらが互いに交差していくうちに或る関係性を持つようにもなった。当初の匿名性は希薄になり、書けない事も次第に増えてくる。そして誰かが別な名前で、無料のサーバスペースを使って裏日記を書き始める。勿論最初は誰も気付かないが、そもそも顕示欲が強くなければ日記を公開したりするはずもないので、自分の日記ページの中に隠しリンクを張ったり、特定の人にだけ教えたりする。それがいつの間にか周知の事となって、関係性は複雑化する。非常に人間臭い村がそこに出来上がってしまうのである。
此処までは昔そういう事もあったな、という思い出話でしかないのだが、最近思うのだ。インターネット上でのやりとりがコミュニティ主体になってきている昨今、物理的・社会的な距離を飛躍的に縮め、様々な人と知り合えるのは結構なのだが、それだけに自己が晒し晒される頻度や深度が増大する。それに疲れたり嫌になったのであれば、そのコミュニティから離れれば済む話のような気もするが、中にはそれをドロップアウトのように感じる人も居るかも知れない。学校や会社からのそれと同じ感覚で。
それとは別に、そのドロップアウト的な行動を好む人も居るだろう。極端な話、オフラインで生活していると、日常化されたインターネット村の裏側に居るような気がしてくる事がある。・・・何だか取りとめの無い話になってきた。また後で書き換えるかも知れない。
それから数年が経ち、インターネットの普及と共に言葉は平準化され、其処は非日常的な場所ではなく日常の延長となった。奇妙な唸り声を上げるモデムを介して、こちらから何かを探しに行く場所ではなく、ブロードバンドに拠りあたかも窓を開けるようにして眺め得る風景となった。良い悪いではない。ただそうであるだけの話。
不便極まりないダイヤルアップの時代にも、少人数ながらコミュニティは在った。匿名性はいつしか人格を持ち、それらが互いに交差していくうちに或る関係性を持つようにもなった。当初の匿名性は希薄になり、書けない事も次第に増えてくる。そして誰かが別な名前で、無料のサーバスペースを使って裏日記を書き始める。勿論最初は誰も気付かないが、そもそも顕示欲が強くなければ日記を公開したりするはずもないので、自分の日記ページの中に隠しリンクを張ったり、特定の人にだけ教えたりする。それがいつの間にか周知の事となって、関係性は複雑化する。非常に人間臭い村がそこに出来上がってしまうのである。
此処までは昔そういう事もあったな、という思い出話でしかないのだが、最近思うのだ。インターネット上でのやりとりがコミュニティ主体になってきている昨今、物理的・社会的な距離を飛躍的に縮め、様々な人と知り合えるのは結構なのだが、それだけに自己が晒し晒される頻度や深度が増大する。それに疲れたり嫌になったのであれば、そのコミュニティから離れれば済む話のような気もするが、中にはそれをドロップアウトのように感じる人も居るかも知れない。学校や会社からのそれと同じ感覚で。
それとは別に、そのドロップアウト的な行動を好む人も居るだろう。極端な話、オフラインで生活していると、日常化されたインターネット村の裏側に居るような気がしてくる事がある。・・・何だか取りとめの無い話になってきた。また後で書き換えるかも知れない。
エコバッグ
- 2006-06-09 金曜日
- Category - Days
- Tag - sociology / environment / ecology
二ヶ月くらい前から画像にあるようなエコバッグを使っている。理由は割と明確で、スーパーなどで買い物をした際に自動的についてくるポリエチレン製の袋が、毎度毎度あっという間に溜まってしまうので、それがほとほと嫌になったからである。我が家から出るゴミの3分の1はこれであるので、何となく罪悪感さえ芽生えてくる始末。さて、この二ヶ月の間、スーパーで買い物をする際に、他の買い物客の手元を観察しているのだが、ポリエチレンの袋ではなくエコバッグに品物を詰めて帰る人の割合は、僕が買い物に3・4回行くと一人くらいは見かける。全員女性。30代の女性を一人みかけたが、後は年配の女性が多い。そう言えば僕の母は、昔から買い物に行く際には布製の袋を持って行っていた。しかしながら彼女がエコ(そんな言葉が存在しない頃からだし)に興味を抱いているとも思えないから、恐らく僕と同じような理由なのだろう。
そんな状況なので、僕が上のような袋に品物を詰めていると、物珍しそうな顔して見られる事がしばしばある。でも恐らく、殆どの買い物客は他人の手元になんか興味を持っていないだろうな。
そして一つ思い出した。以前に一緒に居た人はエコバッグを使っていた。その人の地元で買い物をする時だけだったが、僕が何も聞かないのに、色々と説明してくれた覚えがある。ただその時僕はそういう事に何の興味も持っていなかったので、適当に聞き流していた気がする。時は流れるものである。
今後、我が家のゴミから減らすべき物。総菜等をパッケージしているプラスティックのケース。そして空き缶や酒瓶。後者は消費する量を抑えるしか手はないが。
メゾン・ド・ヒミコ / 犬童 一心
ゲイの為の養護ホームの話。特に気に入った映画だという訳ではないのだけれど「ハッシュ!」からの流れで少し考えてしまった。将来の僕達に必要なものとは何なだろうか。家族? 友人? 恋人又は配偶者? それとも金だろうか? 欲望だろうか?話は少しずれるが、今日この記事を見つけて読んで、暫くの間考え込んでしまった。僕は10年前に始まり、それから数年に一人くらいの割合で同じ様な考えを持つ人と出会う。それ以来ずっと考え続けているのだが、未だによく解らない。出会って間もない頃に、家族や古い友人に対するような深い安心感を持つ事は、自分としては出来ないと思うのだが、人に拠っては出来るのかも知れない。何かのヒントになりそうで、出来れば理解したいのだが、まだまだ追いついていない。他人との関係における歴史を重要視するか否かという辺りに鍵が在りそうな気がする。
理解など必要無い、と言われればそれまでの話なのだけれど。






