DOG ON THE BEACH
今生の別れ、その言葉たるや
- 2009-12-03
- Category - People
- Tag - japanese / philosophy / language
今放映中の " JIN -仁- " の第五話のラストにこういう場面があった。梅毒を患い末期の症状に苦しむ女郎を救おうと、江戸時代にタイムスリップした現代の医者が、当時には存在しえないペニシリンを用いて治療を施す。しかしペニシリンの精製が間に合わず、とうとう患者は最期を迎える。そして今際の際に女郎はこう呟いて、手を合わせたまま息を引き取るのである。
どうしてこんなにも美しい言葉が日本の社会から失われてしまったのだろうか。いろいろ調べてみると、どうもこの言葉は武家若しくは郭の女性が主に使っていたようで、時期を異にすれどもどちらも解体された階級若しくは職場であるので、そのタイミングで失われたのだろうか。惜しい事です。情感溢れる古の言葉は、近代化や合理化に馴染む事が出来ずに風化してしまったのかも知れません。そしてそれと共にある種の美しさをも失ってしまったように思える。
挨拶というのは大変美しいものだと思うのだけれど、それをしない人もたくさん居る。他人の事情は想像を以てしても知る事はできないが、挨拶なくして一体何時、好意や感謝を伝える事が出来るのだろうか、とも考えるのである。
みなさま・・・ありがとう。けんど・・・苦しむことにも飽きなんした。堪忍しておくれなんし。・・・おさらばえ。凄く印象に残る場面であったので少し検索してみたところ、同じように思う人はたくさん居るようで、数多くの記事がヒットした。特に「おさらばえ」の言葉が反響を呼んでいるようだ。僕にしても、なんと美しく響く言葉だろうかと打ち震えた。言葉を分解してみれば「それならば・それでは」という意味の「然らば」の頭に「御」を付け足し、尾に女性言葉の「え」を付け足した単純な言葉であるのだが、導き出される情感は果てしがない。
どうしてこんなにも美しい言葉が日本の社会から失われてしまったのだろうか。いろいろ調べてみると、どうもこの言葉は武家若しくは郭の女性が主に使っていたようで、時期を異にすれどもどちらも解体された階級若しくは職場であるので、そのタイミングで失われたのだろうか。惜しい事です。情感溢れる古の言葉は、近代化や合理化に馴染む事が出来ずに風化してしまったのかも知れません。そしてそれと共にある種の美しさをも失ってしまったように思える。
挨拶というのは大変美しいものだと思うのだけれど、それをしない人もたくさん居る。他人の事情は想像を以てしても知る事はできないが、挨拶なくして一体何時、好意や感謝を伝える事が出来るのだろうか、とも考えるのである。
- Last Modified : 2009-12-04
雲は流れて、陽は落ちる
空が黄昏れる少し前、明るさを残したまま、沈みゆく太陽が雲を黄金色に染め始める頃合いを何と呼ぶのか判らないが、だいたいここからが夕方だと思っている。そして空は赤みを帯び、後には灰色が混じり始め、地上は黒い影に覆われていく。こういう光と闇が交代していく光景をまともに眺めていられたのは、中学生の時までだろうか。一周が300メートルのトラックの横、どうにか確保していた直線でダッシュを繰り返しながら、そういう空を見上げていた。ブラスバンド部が鳴らす下手くそな音階がいつも聴こえていた。
そういう光景は大変美しいのだけれど、それとは別に何か焦りのようなものを感じていた事を覚えている。日が暮れて夜になってしまったらどうしたら良いのかわからない、というような途方に暮れた感覚。考えるまでもなく、家に帰って家族と晩ご飯食べて風呂に入ってテレビ眺めて寝てしまえば良いのだし、実際に家に帰ると安心する。そうすると、焦りの原因は光量によるものとしか考えられないが、よく判らない。
大人になって勤めるようになるとその感覚は殆ど無くなった。昼間に働く大人にとって夕方とは、仕事から解放された後の楽しい時間の始まりであるので、焦りなど感じるはずもない。あるとすれば、待ち合わせの時間に遅れそうだとか、終わらない仕事の期限だとかそのくらいである。途方に暮れるのとは全然違う。
ただし、休日に部屋に籠もっていたりした夕方に、同じ様な感覚に陥る時がある。何となく夕暮れが怖いのである。それならば音楽を鳴らすなり本を開くなりテレビを点けるなりすれば良いのだが、意識しなければそうはしないようで、気がつけばボケっと夕暮れの空を眺めていたりする。独り暮らしはこの時間がキツい。
これはそういう時間をやり過ごす為の mix である。余り救済的なものにはならなかったけど。
そういう光景は大変美しいのだけれど、それとは別に何か焦りのようなものを感じていた事を覚えている。日が暮れて夜になってしまったらどうしたら良いのかわからない、というような途方に暮れた感覚。考えるまでもなく、家に帰って家族と晩ご飯食べて風呂に入ってテレビ眺めて寝てしまえば良いのだし、実際に家に帰ると安心する。そうすると、焦りの原因は光量によるものとしか考えられないが、よく判らない。
大人になって勤めるようになるとその感覚は殆ど無くなった。昼間に働く大人にとって夕方とは、仕事から解放された後の楽しい時間の始まりであるので、焦りなど感じるはずもない。あるとすれば、待ち合わせの時間に遅れそうだとか、終わらない仕事の期限だとかそのくらいである。途方に暮れるのとは全然違う。
ただし、休日に部屋に籠もっていたりした夕方に、同じ様な感覚に陥る時がある。何となく夕暮れが怖いのである。それならば音楽を鳴らすなり本を開くなりテレビを点けるなりすれば良いのだが、意識しなければそうはしないようで、気がつけばボケっと夕暮れの空を眺めていたりする。独り暮らしはこの時間がキツい。
これはそういう時間をやり過ごす為の mix である。余り救済的なものにはならなかったけど。
夏の終わり in Brazil
とかいってもう初秋なんですけどね。今年の夏は短かったなあ。例年だと9月一杯は残暑に抗いながら、汗みどろで暮らしていたように思えるのですが、今年は空気が乾燥しているので昼間でなければ涼しく過ごせてしまいます。
この Mix は夏の間に途中まで作っていて、その後かなりの間放ったらかしにしていたのですが、この季節には合わないのではないかという予想に反して悪くはない感じに出来ました。何だか不思議ですね。夏から秋への過渡期だからでしょうかね。
この Mix は夏の間に途中まで作っていて、その後かなりの間放ったらかしにしていたのですが、この季節には合わないのではないかという予想に反して悪くはない感じに出来ました。何だか不思議ですね。夏から秋への過渡期だからでしょうかね。
真夏の夜の夢 in Cuba
梅雨明けと同時に灼熱の夏の到来である。僕は下町に住んでおり、河の近くでもあるのでまだマシな方だと思うが、それでもこの急激な季節の変化について行けないでいる。植物と老人は萎れ、焼けたアスファルトの上では猫が踊っている。現在の室温は摂氏31度。自室ではエアコンを出来るだけ使いたくないので、もっぱら扇風機にしがみついて過ごしている訳だが、これがいつまで保つのか。これより三月はこんな気候が続く。生まれた季節が夏なので割合暑いのは平気なのだけれど、加齢と共に厚さが堪えるようになった気がする。世の老人達はどのようにして夏を生き抜いているのだろう。己の行く末が心配だ。
キューバの音楽には「涼」が在る。打楽器・弦楽器・歌・管楽器。それぞれの楽器が紡ぐグルーヴは奔流のように暴れ回り、その中に何故か「涼」を感じる。これはもうその土地が生み出した快楽とでもいうしかないだろう。
キューバの音楽には「涼」が在る。打楽器・弦楽器・歌・管楽器。それぞれの楽器が紡ぐグルーヴは奔流のように暴れ回り、その中に何故か「涼」を感じる。これはもうその土地が生み出した快楽とでもいうしかないだろう。
- Last Modified : 2009-10-03
愛と誠
早乙女愛である。太賀誠である。石清水宏である。しかしながら読んだ事はない。絵柄は知っているが内容は知らない。週刊少年マガジンにて連載が始まったのは1973年。小学校に上がって間もない僕が、劇画調で内容のキツそうなこの漫画を読んでいるはずもない。後年になって彼方此方でたまに取り上げられているのを見聞きして、何となく雰囲気だけは掴んでいるような感じだ。
んで、つい先日何故かしらこの漫画のタイトルが頭に浮かび、興味がなくもないから興が乗れば読んでみようかな、などと考えながらポチポチと検索していたところ、どうも面白いらしい。しかも左記のサイトを開く際のダイアログにも出てくるが、この漫画のタイトルの由来になっている言葉がなかなか凄いので非常に気になってきた。
んで、つい先日何故かしらこの漫画のタイトルが頭に浮かび、興味がなくもないから興が乗れば読んでみようかな、などと考えながらポチポチと検索していたところ、どうも面白いらしい。しかも左記のサイトを開く際のダイアログにも出てくるが、この漫画のタイトルの由来になっている言葉がなかなか凄いので非常に気になってきた。
愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである――わが子よ、この事を覚えておきなさい。ネルー元インド首相の娘への手紙そういう事で読む事にしたのだけれど、未だ買ってない。しかも読むより先にタイトルをパクって mix を作ってしまった。
- Last Modified : 2009-07-04
Free ENKA
先週末に放映された「湯けむりスナイパー」の中で、谷桃子扮する芸者小雪がカラオケにて " ここにいるよ " を歌い、それを遠藤憲一扮する主人公が聴いて「これは、21世紀の演歌だ」と嘆き涙を流すという場面があったのだけれど、それを観て僕は何か腑に落ちるものがあった。2年前にラジオから繰り返し流れてくる上記の曲を聴きながら、こんなにも湿っぽい内容の歌詞を僕よりもずっと若い人達が楽曲としてまとめて発表し、そしてそれが世間で売れているという事実が少し不思議に思えたのだ。それは恐らく僕の若い人達に対する偏見からくるもので、若い人達はおしなべて皆ドライな感覚で生きていると思っていたようなのである。しかし実際はそうでもないらしい。
21世紀の演歌。もしかすると演歌的なものは昔からずっと、綿綿と受け継がれているのではないだろうか。音楽のジャンルとしてではなく、演ずる側聴く側双方の感覚的なジャンルとして。そう考えていると色々と思い当たる。この曲は何だか演歌っぽいなあ、という感じで。明確な基準はなく、飽くまで漠然とした感覚で。そういう曲を集めて繋いでみた。新しい曲ばかりだと解りづらいので古い曲も織り交ぜて。
Wikipedia - 演歌を読んでみると冒頭に「演歌(えんか)とは、日本の大衆音楽のジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。」と書かれてある。まあそういう分類なんだろうなあ。しかし「情念」とは強い言葉を使ったものだ。その言葉を当てはめると定義が結構明確になる気がする。その他には音階や歌唱法によって特徴付けられているようである。今回色々と聴いていて思ったのだけれど、こんなにも素晴らしい歌唱力・表現力を持つ歌い手達の受け皿が無くなるのは勿体ない。最近は少し盛り返しているようだけれど、演歌というジャンルが衰退して久しい。大瀧詠一・松本隆が楽曲を提供し森進一が歌った「冬のリヴィエラ」とか、福山雅治が楽曲を提供し前川清が歌った「ひまわり」とか、杉真理が曲を書いて石川さゆりが歌った「ウィスキーが、お好きでしょ」とか、そんな感じに混交していけば良いのになあ。先日、くるりが企画して毎年催される京都音楽博覧会に石川さゆりが出演する事が発表されたが、一体どういう事になるのやら判らないけれど、何だか楽しい気分にさせてくれる話である。
で、音楽とは関係ない話なのだけれど、石川さゆりって昔っから結構好きである。実家に帰省した際に両親が「演歌の花道」なんかを観ていると、出演の是非を確認せずにはいられない。
★
そう言えば、上の「湯けむりスナイパー」のカラオケでのエピソードは原作にもあるのかと思って調べたらそうではないようで、原作では椎名林檎の曲みたいだ。どの曲かまで判らないが台詞は「これは、女の殺し屋の歌だ!」で。脚本・演出の大根仁のブログに原作のエピソードが書いてあった。
21世紀の演歌。もしかすると演歌的なものは昔からずっと、綿綿と受け継がれているのではないだろうか。音楽のジャンルとしてではなく、演ずる側聴く側双方の感覚的なジャンルとして。そう考えていると色々と思い当たる。この曲は何だか演歌っぽいなあ、という感じで。明確な基準はなく、飽くまで漠然とした感覚で。そういう曲を集めて繋いでみた。新しい曲ばかりだと解りづらいので古い曲も織り交ぜて。
Wikipedia - 演歌を読んでみると冒頭に「演歌(えんか)とは、日本の大衆音楽のジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。」と書かれてある。まあそういう分類なんだろうなあ。しかし「情念」とは強い言葉を使ったものだ。その言葉を当てはめると定義が結構明確になる気がする。その他には音階や歌唱法によって特徴付けられているようである。今回色々と聴いていて思ったのだけれど、こんなにも素晴らしい歌唱力・表現力を持つ歌い手達の受け皿が無くなるのは勿体ない。最近は少し盛り返しているようだけれど、演歌というジャンルが衰退して久しい。大瀧詠一・松本隆が楽曲を提供し森進一が歌った「冬のリヴィエラ」とか、福山雅治が楽曲を提供し前川清が歌った「ひまわり」とか、杉真理が曲を書いて石川さゆりが歌った「ウィスキーが、お好きでしょ」とか、そんな感じに混交していけば良いのになあ。先日、くるりが企画して毎年催される京都音楽博覧会に石川さゆりが出演する事が発表されたが、一体どういう事になるのやら判らないけれど、何だか楽しい気分にさせてくれる話である。
で、音楽とは関係ない話なのだけれど、石川さゆりって昔っから結構好きである。実家に帰省した際に両親が「演歌の花道」なんかを観ていると、出演の是非を確認せずにはいられない。
★
そう言えば、上の「湯けむりスナイパー」のカラオケでのエピソードは原作にもあるのかと思って調べたらそうではないようで、原作では椎名林檎の曲みたいだ。どの曲かまで判らないが台詞は「これは、女の殺し屋の歌だ!」で。脚本・演出の大根仁のブログに原作のエピソードが書いてあった。
- Last Modified : 2009-07-04
ちゃんちゃらおかP音頭
今朝電車の中でふいに思い出されたこの歌のサビ。何の歌だっけ。誰が歌ってたんだっけ。思い出そうとする間ずっと僕の頭の中では「ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー!」と誰かが歌い続けている。つい口ずさみそうになるのを堪えながら考え続ける。するとサンプラザ中野の顔がうっすらと浮かんできた。という事は歌っていたのは爆風スランプか。電車の中で思い出せたのはここまで。
ネットで調べてみると僕と同じようにふと思い出してしまう人が何人かいるようだ。
表示される絵は全く関係ないと思うが、これがオリジナルバージョン。そしてなんとファイテンション☆テレビというテレビ東京系の番組で24年振りにリメイクされたらしい。歌っているのは改名後のサンプラザ中野くん。
キャラクターがとても可愛いく、振り真似したくなる。今更だけど、流行らないかな、これ。
ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー! ・・・「ピー!」の部分がとても良い。
ネットで調べてみると僕と同じようにふと思い出してしまう人が何人かいるようだ。
今日、会社で突然この曲を思い出したんです。誰の曲か全く思い出せなくって、他の人に聞いてもだーれも分からずじまい。ただこのメロディだけが帰りの電車の中でもぐるぐるしてました。そう、これは爆風スランプのサンプラザ中野がオールナイトニッポンの番組の中で「こぼうず隊」として出した音頭なのでした。Wikipedia にはこうある。
ちゃんちゃらおかP音頭 - 関心空間
1985年9月には、爆風スランプが「こぼうず隊」と名義を変えて歌った「ちゃんちゃらおかP音頭」の歌詞をリスナーから募集している(同時に、その替え歌も募集していた)。ちなみに「おかP」という言葉は現代用語の基礎知識にも載った事があるという。1985年か。高校の頃だけど、僕はサンプラザ中野のオールナイトニッポンは聴いてなかったしなあ。何故知っているのだろう。恐らく同じクラスの誰かが、教室で繰り返し真似て歌うのを聴いていたのだろう。そんな気がする。
サンプラザ中野のオールナイトニッポン - Wikipedia
表示される絵は全く関係ないと思うが、これがオリジナルバージョン。そしてなんとファイテンション☆テレビというテレビ東京系の番組で24年振りにリメイクされたらしい。歌っているのは改名後のサンプラザ中野くん。
キャラクターがとても可愛いく、振り真似したくなる。今更だけど、流行らないかな、これ。
ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー! ・・・「ピー!」の部分がとても良い。
- Last Modified : 2009-05-22






