DOG ON THE BEACH
冒険者たちのバラード
ふいに思い出したガンバの冒険のエンディング・テーマ。このアニメーションは子供の頃によく観てたんだけど、イタチがとても怖くて震えながら観ていた気がする。
放映バージョン
フルコーラス
昔のアニメーションのエンディング・テーマはどうしてああも暗い曲が多いのだろうか。例えばこの曲なんかはメロディの複雑さからしても、とても子供向けに作られたとは思えない。そういう時代だった、では片付けられないものがある。
放映バージョン
フルコーラス
昔のアニメーションのエンディング・テーマはどうしてああも暗い曲が多いのだろうか。例えばこの曲なんかはメロディの複雑さからしても、とても子供向けに作られたとは思えない。そういう時代だった、では片付けられないものがある。
伏し目のボッティチェルリ

因みにボッティチェルリがいつも伏し目がちだとかそういう話ではない。先週放映された新日曜美術館の「パリは何故芸術都市と成り得たか?」という特集を観ていると、その中で上に(全体の一部分だが)掲げたボッティチェルリの「ヴィーナスと美神」というフレスコ画が紹介された。あーこの画家の描く女の顔は好きだなあとか呑気に眺めていたら、ふいに自分がボッティチェルリの安い画集を持っている事を思いだし、書架から引っ張り出した。
何故僕はボッティチェルリの画集を持っているのだろうか。恐らく何処かで手にしたボッティチェルリの絵を観て、今回と同じ様な感想を持ち、目当ての絵が収録されている安い画集を取り敢えず買ったのだろう。きっとそうだ。しかしその画集には「ヴィーナスと美神」は載っていない。じゃあどの絵を目当てにして買ったのかと頁を捲って探してみたところ、案外に早く、しかも確信を持って見つけ出す事が出来た。どう考えてもこれだ。

「マニフィカトの聖母」この聖母の顔というか伏し目がちな表情にもの凄く惹かれる。そしてこの流れで更に思い出したのは、僕はそもそもこういう表情をする女が好きだったという事である。その事を久しぶりに思い出した。思い当たるフシは幾つかある。そう言えば緒川たまきも時々こういう表情を見せている気がする。いや気のせいかな。しかし一体何時からこういう好みの種が僕の中に植え付けられたのだろうか。学生の頃にはボッティチェルリには何の興味も持っていなかったはずなので、この絵が原型ではないと思う。その事についてはどうにも思い出せない。というのは嘘でしっかりと思い出した。思い出したのは良いが後悔で押し潰されそうである。気付かなければ良かったよ。まいったねどうも。
車中にて
先の土曜日、上野アメ屋横町で買い物をしたその帰り、京成本線電車内での事。
早い内から車両に乗り込み座っていた僕の目の前に、発車時刻ギリギリになだれ込んできた一団があった。中年層から初老の域までの男女合わせて10人ほどの団体。折りたたみのイーゼルを入れる布袋や、絵の具・筆を収納する手提げ箱や、ホルベインのショルダーバッグを持っている人がいるところを見ると、どうやら上野公園で写生をしていた人達であろう事が伺える。
それぞれが和気あいあいと座席に座ったり立ったりしながら、今日の陽射しの具合や、絵の具の仕入れ先の事について話したり、技術面でのアドヴァイスをしたりして過ごしている。僕の隣には派手な身なりの老年に差し掛かった女性が座り、その前には擦り切れたジーンズにフィールド・ジャケットを羽織ったの初老の男性が立った。話を聞いていると、その男性はどうやらその会の指導者か若しくは主催者であるようだった。何故ならばちょっと偉そうだったからである。
まあそこまでは良い。普通の光景だ。しかし、どうやら連中は写生の後、知り合いのイタリア料理屋で一杯やってきたらしく、僕の目の前の男性も結構饒舌であった。そして彼は、途中から会の他のメンバーの絵にケチをつけ始めた。当日の写生会の事ではないようだが、何やら発表会をやったらしくて、その時に提出された絵をいちいち否定するのである。「あいつ、あんなへったクソな絵出しやがってさー・・・」「まあまあ見れるのは、そうだねえ、一枚くらいかな・・・」
事実そうなのかも知れないが、指導者(若しくは主催者)が同じ会のメンバーの一人に向かって、そんな事を口にするのは凄くマズイんじゃないのかなあ。そんなに気に入らないんだったら独りで描いてりゃいいのに。そんな事を思いながら、僕は寝たふりをしていたのだけれど、再び目を開けた瞬間、その初老の男のジーンズのジッパーが全開になっている事に気付いた。
カッコ悪い・・・。そう思うと同時に、僕はその男が不憫に思えてきた。社会の窓が全開になっている事に気付かぬまま他人の悪口を言うのは、本当に間が抜けている。僕はその事を彼に告げるべきか迷ったが、何だかツマラナイ反応が返ってきそうなので、何も言わずに寝たふりを続けた。
早い内から車両に乗り込み座っていた僕の目の前に、発車時刻ギリギリになだれ込んできた一団があった。中年層から初老の域までの男女合わせて10人ほどの団体。折りたたみのイーゼルを入れる布袋や、絵の具・筆を収納する手提げ箱や、ホルベインのショルダーバッグを持っている人がいるところを見ると、どうやら上野公園で写生をしていた人達であろう事が伺える。
それぞれが和気あいあいと座席に座ったり立ったりしながら、今日の陽射しの具合や、絵の具の仕入れ先の事について話したり、技術面でのアドヴァイスをしたりして過ごしている。僕の隣には派手な身なりの老年に差し掛かった女性が座り、その前には擦り切れたジーンズにフィールド・ジャケットを羽織ったの初老の男性が立った。話を聞いていると、その男性はどうやらその会の指導者か若しくは主催者であるようだった。何故ならばちょっと偉そうだったからである。
まあそこまでは良い。普通の光景だ。しかし、どうやら連中は写生の後、知り合いのイタリア料理屋で一杯やってきたらしく、僕の目の前の男性も結構饒舌であった。そして彼は、途中から会の他のメンバーの絵にケチをつけ始めた。当日の写生会の事ではないようだが、何やら発表会をやったらしくて、その時に提出された絵をいちいち否定するのである。「あいつ、あんなへったクソな絵出しやがってさー・・・」「まあまあ見れるのは、そうだねえ、一枚くらいかな・・・」
事実そうなのかも知れないが、指導者(若しくは主催者)が同じ会のメンバーの一人に向かって、そんな事を口にするのは凄くマズイんじゃないのかなあ。そんなに気に入らないんだったら独りで描いてりゃいいのに。そんな事を思いながら、僕は寝たふりをしていたのだけれど、再び目を開けた瞬間、その初老の男のジーンズのジッパーが全開になっている事に気付いた。
カッコ悪い・・・。そう思うと同時に、僕はその男が不憫に思えてきた。社会の窓が全開になっている事に気付かぬまま他人の悪口を言うのは、本当に間が抜けている。僕はその事を彼に告げるべきか迷ったが、何だかツマラナイ反応が返ってきそうなので、何も言わずに寝たふりを続けた。
イサム・ノグチ展 / 東京都現代美術館
観に行った時の事を書くのを忘れていた。
入口から入ってすぐ、2m級の提灯が展示してあるスペースで、音声サービスのイヤフォンに耳を傾けつつ、一心に見つめている女の子が居た。他にも閲覧者は何人も居たというのに、何故かその子だけが目に入った。たぶん20歳くらい。美大だとか美術系の学生なのだろう、今の僕が属する環境では考えられない服装をしていた。ま、そんな事はどうでも良い。
それから後も、彼方此方の展示スペースで彼女を見かける。というか目に入ってくる。そうすると、イサム・ノグチの彫刻よりも彼女ばかりを目で追ってしまうのだ。何もその女の子が凄く好みであったとかそういう事ではない。それぞれの彫刻を取り憑かれたように見つめ、彫刻から彫刻へと小動物のように渡り歩くその姿から目を離せないのである。そんなにも熱狂的に彫刻を観る人は他には誰一人居なかった。自分の気に入った物だけを集中的に観る習慣の私とは違い、彼女は何一つ見逃そうとしない。何かしら切実さを感じしてしまう。僕はこういう人を見ているのが好きである。
展示場から出て、関係する書籍やグッズの販売スペースを彷徨いていたのだが、其処でもその女の子を見る事になる。彼女の情熱は留まる事を覚えないようで、此処でも全ての商品を吟味していた。既に手に幾つもの商品の入った袋を下げ、それでも未だ何か探そうとしている。Tシャツを選ぶのには、30分ほどかけていた。最後に彼女が買った物は、イサム・ノグチとは全く関係のない「太陽の塔」のオブジェ。包装して貰っているところを見ると、友人へのお土産か何かにするのだろう。取り敢えずそれで満足したのか、彼女は意気揚々と美術館を後にした。
イサム・ノグチの彫刻を観に行ったというより、その女の子を観に行ったようなものであった。
入口から入ってすぐ、2m級の提灯が展示してあるスペースで、音声サービスのイヤフォンに耳を傾けつつ、一心に見つめている女の子が居た。他にも閲覧者は何人も居たというのに、何故かその子だけが目に入った。たぶん20歳くらい。美大だとか美術系の学生なのだろう、今の僕が属する環境では考えられない服装をしていた。ま、そんな事はどうでも良い。
それから後も、彼方此方の展示スペースで彼女を見かける。というか目に入ってくる。そうすると、イサム・ノグチの彫刻よりも彼女ばかりを目で追ってしまうのだ。何もその女の子が凄く好みであったとかそういう事ではない。それぞれの彫刻を取り憑かれたように見つめ、彫刻から彫刻へと小動物のように渡り歩くその姿から目を離せないのである。そんなにも熱狂的に彫刻を観る人は他には誰一人居なかった。自分の気に入った物だけを集中的に観る習慣の私とは違い、彼女は何一つ見逃そうとしない。何かしら切実さを感じしてしまう。僕はこういう人を見ているのが好きである。
展示場から出て、関係する書籍やグッズの販売スペースを彷徨いていたのだが、其処でもその女の子を見る事になる。彼女の情熱は留まる事を覚えないようで、此処でも全ての商品を吟味していた。既に手に幾つもの商品の入った袋を下げ、それでも未だ何か探そうとしている。Tシャツを選ぶのには、30分ほどかけていた。最後に彼女が買った物は、イサム・ノグチとは全く関係のない「太陽の塔」のオブジェ。包装して貰っているところを見ると、友人へのお土産か何かにするのだろう。取り敢えずそれで満足したのか、彼女は意気揚々と美術館を後にした。
イサム・ノグチの彫刻を観に行ったというより、その女の子を観に行ったようなものであった。
妻をめとらば韓国人!? / 篠原 令
韓国繋がりでひとつ。著者は韓国人の女性と結婚し、現在もアジアを拠点とし日本企業のコンサルティングを生業としている男性である。タイトルからすると、韓国女性とのあれやこれやを書いてあるように思える(そういう部分も勿論あるが)が、中心は韓国と日本との文化(価値観)の違いについて書かれている。韓国の人々が、子供の頃からどういう風に教えられて生きているのか、どういう価値観の社会に属して生活しているのか。そういう事を具体的な例を挙げ、日本人との比較を交えながら書いてあります。凄く判りやすい。どう判り易いかというと、物事に対する考え方がそもそも違うので、それは歳を重ねる毎に確固たるものとしてその人の中で確立されてしまう。大人になった韓国人と日本人が全く違う思考をしてしまうのは仕方がない。と、そう思えるのである。僕は海外で生活した経験が無いので、このような文書から得た情報に拠る想像でしかないのだが、各国・各地域でのそれぞれの価値観の違いというのは、余りにも(そして途方もなく)歴然としているのだろう。自分の生まれ育った環境の外で生活し続ける人は凄い。微妙にコンプレックスを持ってしまう。
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