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DOG ON THE BEACH

近況

 先々週末に熱を出して寝込み、翌日には熱は引いたが今度は喉を痛め、かつてないほどの痛みと、地獄からの咆哮が如き声の変調を経験し、そしてそれも治まったかと思いきや、今度は咳嗽が止まらず、いつまでも完治せずに低調な毎日を送っていた。しかしようやく、本日をもって回復の兆しが見え一安心しているところである。

 そんな中思っていたのは、喉を痛めると、噛み砕いたものですら飲み込むのがなかなか困難で、毎日の食事が愉しみでるあるどころか苦行に近いものがあり、そうなると毎日の暮らしに張り合いが無くなる。つまり「あと一時間もすれば旨い昼飯が待っているのでそれまで頑張ろう」だとかそういう自己暗示が出来なくなるので、どうにもやってられないのである。更には刺激の強いアルコールを摂取するのも、出来ない事はないが、いささか憚られるものがあり、夜に向けての張り合いも無くなる。こうなるともう、一日中どんよりとしている。僕はどちらかと言えば小食で、美食家でもない。そこそこの物をそれなりに食べていれば、一応は満足してしまう結構安上がりな人間である。毎日同じ献立であってもさほど問題は無い。そんな僕がこんなにも参ってしまうのだから、これが大食漢であり美食家でもある人物が喉を痛めたりしたら、とんでもない大打撃なのだろうなと考えたりしていた。

 そして更に厄介なのは咳嗽。咳が続くとなーんにも出来ない。観るのも読むのも何かしら手を動かすのも考えるのも、何一つ集中出来ないのですぐに放り出したくなる。夜になると、炎症止めも咳止めも薬の効力が無くなってくるせいか、喉の痛みや咳嗽がこの時間帯に集中する。もはや身体はぐったりしているし、何もする気になれないので、兎に角横になりたい。横になったからといって症状が軽くなる訳でもないのだが、そうしているのが一番楽な気がしてくるのだ。しかし眠くもないのに横になっていて、余計な考え事なんかしたくはないので、ぼんやりテレビを眺めている。大概は語学番組だ。咳が治まっている時は発音練習をしたりもする。意外にこれが心地良く過ごせるので、ここ数日は毎晩やっている。おかげで何時の間にか、英語フランス語韓国語中国語を並行して学ぶ事になってしまった。ロシア語ドイツ語イタリア語アラビア語はさすがに多すぎるので避けた。いや、既に許容範囲は超えてそうだが、始めてしまったものは仕方がない。因みにテレビ番組のプログラムは半年間行われるが、これがいつまで続くのかは判らない。成り行き次第である。

雨と冬の憂鬱

 ずっと以前、僕は雨の日が大嫌いだった。梅雨の時期と、11月を過ぎた辺りの長雨は気分が沈み、晩秋で迎えた下降線はそのまま冬を越え、春になるまでそれは続いた。しかし何故か数年前から、徐々にではあったがその状態を強く感じる事が少なくなった。今では長雨を幾らかは楽しめるようになったような気がする。
 そして、冬鬱というものが存在する事を最近になって知った。かつての僕は冬の間は生ける屍とでも呼べるような生活を送っていたのだけれど、それも最近では軽減してきた。雨期の不調もそれと似たようなものかも知れない。気温の下降変化や気圧が関係するのだろうか。それとも血流の勢いに関係があるとか。冬鬱の場合は日照時間に関係があるようで、その治療法として毎日二時間光(太陽光でなくても可)に身を晒す事であるらしい。そういう施設も存在するとの事。しかし日常生活を営みながら、毎日それだけの時間を割いて治療に当てるというのは無理な話である。でも中には酷い鬱状態に陥る人も居るようなので、その人々には有用だろう。どのみち日常生活を送る事すら困難になっているのだから。

 時折、それらの症状が軽減した理由を考えてみるのだが、何も思い当たらない。歳を取って体質が変化したのだと思う他はない気がする。

 軽い鬱状態にある時はとにかく何もしたくないし、無理矢理に何かしらを為したとしても効率が余りにも悪過ぎて、段々と自分が嫌になってくる。だから「何もしたくない病」に罹っている時は、自堕落に過ごすしかないような気がしている。しかし社会生活を営んでいれば、どうしてもやらなければならない事は多々ある訳で、どうにか最低限の事だけを歯を食いしばってこなし、それでどうにか勘弁して貰うのがやっとの生活を送る事になるのだが、それはやはり憂鬱でしかない。
 しかし考えてみれば、そういう話を余り耳にした事がないので、そんな状態に陥る人はきっと少ないのだろう。そう考えると、長雨や冬において鬱屈しない人間の状態が存在するという事になるが、一体どうすればそこに自分を持って行けるのだろうか。是非とも知りたいところである。これは僕の勝手な想像だけれど、日常生活の中で頻々に運動をしていればそうならずに済むような気がする。つまり血液の循環を良くして、身体を冷やす事を避け、新陳代謝を良くすれば軽減していくのではないだろうか。まあこれは本当に想像しているだけで、何も実践はしてないのだけれど。

 ところで、年寄りが天気の事ばかり話題にするのは、それだけ影響が大きいからなのだろうな、と思う。そう遠くない将来、僕らも洩れなくそうなるのだ。やり過ごす方法を学んでおいた方が良いと思う。
  • Last Modified : 2010-05-31

光の手

 もう20年近く前に当時の知人から聞いた話。彼女の知り合いに、患部に手を触れて病を治す施術者の女性が居たらしい。幾人もの病人が彼女の元を訪れ、その都度、彼女は患部に手を触れて病を治していた。しかし、数年後に今度は彼女自身が病を患ったが、残念な事に自分自身を治す事は出来なかったようで、果たして彼女は死んでしまった。ここら辺の記憶は曖昧だが、施術者の女性は、病人の病を自分自身の身体に移す事で、患者を治癒に導いていたという話だった。似たような話が乙一の " Kids " という小説に出てくる。
 僕の知人は施術者の女性が亡くなった時、この世の何かしらを悟ったような気がしたと言っていた。それから時を経て彼女は美術家となった。何年か前に僕は偶然その事を知った。今現在の彼女が元気でいるのかどうか、僕は知らない。何故だかこの話を今日思い出したのだ。そして時折思い出すこの話を、書き留めて置いた方が良いような気がしたから、今こうして書いている。

そもそもハイレグとは何だったのか。

 1980年代中頃、ハイレグという形状の水着が流行った。現在から見ればとても変だと僕なんかは思うのだが、その当時はハイレグこそがセクシーの代名詞であった。上のリンク先にもあるように「セクシーで人目をひく・脚が長く見える・動きやすい・涼しい」とまあ、そんな理由なのだろう。しかし僕にはセクシーというのが今一つ分からなかった。そう、僕は流行っている当時から「何処となく変だな」と思っていたのだ。ハイレグは未だ良い。鋭角に切り込んだデルタラインがスリルを感じさせるのは勿論解る。しかしその傾向が過剰となりスーパーハイレグになるともう違和感が先だってセクシーでも何でもないのだ。太腿の付け根の上まで露わになった女性の大腿部は、僕にバッタの脚を思い起こさせる。
 取り敢えずこれだけ書けば僕がハイレグを好きではない事を伝える事が出来たと思う。但し競泳水着の場合はこの限りではない。あれは動きやすさ(機能性)が優先されるだろうからハイレグ以外は有り得ないと思う。実際にそれを着用して運動するにしても、鑑賞されるにしても。

 ★

 さて、2000年を迎えると今度はローライズが流行りだした。最初こそ僕も若干の違和感を感じていたのだが、今となってはすっかり慣れてしまい、それどころかローであればローである程良い気がしている。ファスナーの長さが5cmしかないようなジーンズを穿いた女性を見かけると心の中で小躍りするくらい好きである。ハイレグの場合は無闇やたらと公明正大というか「こんなに切れ込んだわよ。どう? 好きでしょ? 申し分ないでしょ? 素晴らしいでしょ?」という感じのスポーツ感覚がどうにも白けてしまうのだが、ローライズの場合は若干の迂闊さが存在する。しかしそれとて計算し尽くした上での迂闊さなのであって、それ無しで露出されたものは「だらしなさ」でしかない。どちらかと言えば、この方が日本人のエロティシズムの感覚に近いと思う。

 ★

 で、こういう見方ってのは理性と本能(性欲)のどちらが欲する事なのだろうか。水着や下着などの色や素材・カットなどのデザインを注視して考えるならばそれは理性だろうし、肌の露出加減や隠蔽の際どさを考えるならばそれは本能であるように思う。しかしこんな風に単純には考えられない事も一応は知っている。何も観るのは男だけとは限らないのだ。
 以前に会社を辞めた元同僚(女)二人と久しぶりに会おうとホテルのカフェで待ち合わせした時の事。彼女らがやってくるのを待つ間、本を読んでやり過ごそうとしている僕の隣の席に、背が高くとてもスタイルの良い二人の女の子が座った。二人はローライズのジーンズを穿いており、席に座る際に露出した下着が見えた。オレンジと紫のどちらもレースの下着であった。どうやらそのカフェの支配人の知り合いらしく、せっかくだから来てやったわよ的な態度の二人に、支配人自ら給仕をして何やかやと世話を焼いていた。やがて元同僚の二人が登場し、珈琲を飲みながら近況などをてんでバラバラに語りつつ午後を過ごした。隣の席の二人の女の子は気付けばいつの間にか居なくなっていた。
 そして散々喋って話題も無くなった頃、僕は場繋ぎに「さっき隣の席に女の子が二人座ってさ、その子達が物凄いローライズ穿いてんのよ。そんでついつい見たら紫とか黒のパンツが見えたんだよねー」と女性相手に喋るには少々難のある話題をうっかり喋ってしまったのだけれど、元同僚の二人は「え?どこどこ?」「隣?隣ってどっち?」と予想外の反応が返ってくる。「いや、もう居ないよ」と僕は答えたのだけれど「えええっ!何で直ぐに教えてくれないんですか!」とか言う。「え、どして? 見たかった?」と訊けば「当たり前じゃないですか!」とユニゾンで怒鳴られる。「えー・・・何で見たいの?」「女の子大好きなんですよ。可愛いじゃないですか! で、何処なんですか?」「だからもう居ないって」「えええええっ!!」因みにこの二人は結婚してるし、僕が知る限りではレズビアンでもない。そういう感覚は本当に解らない。男が思うエロティシズムとは別な感覚で、女は女を観ているのだろう。

 ★

 僕に解ったのは「よくわからない」という事だけだった。
  • Last Modified : 2009-03-24

伏し目のボッティチェルリ



 因みにボッティチェルリがいつも伏し目がちだとかそういう話ではない。先週放映された新日曜美術館の「パリは何故芸術都市と成り得たか?」という特集を観ていると、その中で上に(全体の一部分だが)掲げたボッティチェルリの「ヴィーナスと美神」というフレスコ画が紹介された。あーこの画家の描く女の顔は好きだなあとか呑気に眺めていたら、ふいに自分がボッティチェルリの安い画集を持っている事を思いだし、書架から引っ張り出した。
 何故僕はボッティチェルリの画集を持っているのだろうか。恐らく何処かで手にしたボッティチェルリの絵を観て、今回と同じ様な感想を持ち、目当ての絵が収録されている安い画集を取り敢えず買ったのだろう。きっとそうだ。しかしその画集には「ヴィーナスと美神」は載っていない。じゃあどの絵を目当てにして買ったのかと頁を捲って探してみたところ、案外に早く、しかも確信を持って見つけ出す事が出来た。どう考えてもこれだ。



 「マニフィカトの聖母」この聖母の顔というか伏し目がちな表情にもの凄く惹かれる。そしてこの流れで更に思い出したのは、僕はそもそもこういう表情をする女が好きだったという事である。その事を久しぶりに思い出した。思い当たるフシは幾つかある。そう言えば緒川たまきも時々こういう表情を見せている気がする。いや気のせいかな。しかし一体何時からこういう好みの種が僕の中に植え付けられたのだろうか。学生の頃にはボッティチェルリには何の興味も持っていなかったはずなので、この絵が原型ではないと思う。その事についてはどうにも思い出せない。というのは嘘でしっかりと思い出した。思い出したのは良いが後悔で押し潰されそうである。気付かなければ良かったよ。まいったねどうも。

しとやかな獣 / オリガト・プラスティコ

 一昨日、新宿は紀伊国屋ホールにて " しとやかな獣 " を観てきた。未だ観てはいないが新藤兼人脚本・川島雄三監督の原作映画には興味があったし、ケラリーノ・サンドロヴィッチの黒光りのするユーモアは好きだし、テレビドラマや映画でちょくちょく見かける近藤公園という役者も気になっていた。しかし実際のところ、書くまでもない事だが、僕は緒川たまきをどうしても観たかったのである。

 実際に観る緒川たまきはやはり緒川たまきであるのだが、映像や紙面で観るよりもずっとほっそりとしていて、それ故に儚げな雰囲気も持ち合わせており、いやはや可憐である。可憐なんて言葉は生まれて初めて使ったな。しかし他に上手い言葉が思い浮かばないので取り敢えずそう書いておく。
 僕は上手側の前方の席に座っていたのだけれど、劇中何度となく僕の目の前で芝居が行われるので僕は気が気ではなかった。僕の眼球から計って4メートル弱の舞台上に緒川たまきが立っており、これは観る為の催しであるのだから凝視し放題である。はずなのだが直視するには余りにも目映く、僕は手をかざしたい気持ちを必至に堪えつつ瞬きをくり返しながら見つめていた。そんな事をしていては芝居を追う事なんて出来はしまいと思うだろうが、緒川たまきばかりを観ていると目眩がして仕方がないので、他の役者に注意を向けて気を紛らせていたので物語の進行を見逃す事はなかった。しかしその間も緒川たまきの白く細長い指が僕の脳裏から離れてくれない。そして、劇中で緒川たまきがソファに押し倒される場面が在るのだけれど、仰向けになった緒川たまきの額から鼻梁、顎先に至るまでの造形は信じ難いほどに美しかった。

 この芝居はDVD化されたりするのだろうか。しかしそうなったとしても後方から引きで撮った映像なのだろうな。それだと見えないものが色々と在る。出来得れば、僕の眼球に写った映像をそのまま記録したい。観ている間中僕は「どうしたら良いのか判らない」状態で、メディアを通さずに見せつけられる肉体の放つ光に平伏していたのである。以前にも何かの折に書いた気がするがもう一度書く。美しさとは観る物を圧倒する強大な力である。
  • Last Modified : 2009-02-09

更にしつこく、緒川たまき。

 ニコニコ動画で見つけたPV物。やはり今回も埋め込まずにリンクだけ。アカウント取得の上ご鑑賞下さい。
 以前にも YouTube で観ていたのだが見失って忘れていたのだ。それぞれに趣きは違うのだけれど、どちらの作品も緒川たまきは「夢の女」的な扱いで、それがまた良いんだよなあ。下衆な現実だけを見せつけられたって、それの一体何処が嬉しいのだ。そりゃあ勿論現実は現実として受け容れますが、それを夢のように愛せとは全く不条理不届き千万。死ね。馬鹿。死ね。現実を承知した上だからこそ夢は楽しいのだ。とかなんとか考えているうちに LaB LIFe の方が YouTube にも在るのを見つけた。以下に掲載。



 追記:つい先日アップロードされた土曜ソリトンSIDE-B。薄々は感じていたけど、緒川たまきという人は結構いらん事を言ってしまう人なのだなあ。
  • Last Modified : 2009-02-14
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