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DOG ON THE BEACH

絵馬

 先のの週末に明治神宮に参った。というか、表参道と新宿に用事があったのでその通り道として南参道から北参道へと抜けるだけのつもりが、つい御社殿へ足を向けてしまったのである。何やら今年は御社殿復興50年記念とかで鳥居の前にも提灯が釣られ、それをまるで壁のように並べていた。その物々しさに胸騒ぎを覚え僕はずんずんと参道を歩いた。まあでも、その日に何か催しがある訳でもないので参道に於ける様子はいつもと変わらない。外国人と日本人の比率は大体半々で、参道に両側から覆い被さる木々の枝々に遮られた陽射しが島を造るように地面に落ちていた。僕の少し前を歩いていた若い白人のカップル。女の長くうねった金髪に木漏れ陽が当てられ、その彫刻的な造形が一際目立っていた。

 御社殿に辿り着き辺りを一頻り眺めた後、何となしに絵馬が掛けられてている一角へ行った。これまで絵馬に興味を持った事は無かったのだけれど、ムカエマを思いだし少し眺めてみる事にした。因みに其処にも札が立てられていて「絵馬」の由来が書いてあった。
 奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納していたことが記されている。しかし、馬は高価でなかなか献納できず、また、献納された寺社の側でも馬の世話をするのが大変である。そのため、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、平安時代から板に描いた馬の絵で代えられるようになった。Wikipedia
 余所で絵馬に注意を向けた事がないので比較するのが難しいのだが、此処に掛けられている絵馬は本当に多彩である。そもそもが日本語で書かれた絵馬は全体の半分くらいしかない。韓国語・中国語・英語・仏語・その他僕にはよく解らないがアラビア語だかペルシャ語のように見える言語で書かれた絵馬が数多く掛けられていた。観光に来たついてに「ノリ」で書いて行ったのだろう。一体何を書いているのか気になるところだが読めないものは仕方がない。英語なら少しは解るが面倒なので読まない。で、日本語で書かれた絵馬ばかりを読み進めていたのだが、結構皆さん真面目な事を書いてらっしゃる。中にはかなり切実な想いを書いている絵馬もあって、読んでいる僕の方が神妙な心持ちになったりしていた。さ、そんな中にもムカエマとは言わないけれど面白い絵馬はやはり在るようだ。



 そうか。君は将来立派な数学者になるだろう。頑張ってくれ。



 そうか。君の妹は恋人を欲しがっているんだな。

 正確な意味でのムカエマを見つける事は出来なかったのだが、誰彼が書いた絵馬を見るというのはかなり面白かった。「今年中に世界一幸せな結婚をしたい」とか在ったが傍若無人度が今一つ。そう言えば、絵馬を読んでいる人というのは結構居て、その中の1/3くらいは写真に撮っている。大概は外国人なので、僕と同じような気構えで撮っているのかはかなり怪しい、というか居ない気がする。
  • Last Modified : 2008-10-31

借り物の祝祭

 浅草サンバカーニバルの起源を辿れば、Wikipedia やその他の殆どのページには同じ記述が在る。
 浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。
 1981年なんてついこの間の事だ。何故浅草にサンバカーニバルなのかという疑問は考えても意味がないだろう。この国はキリスト教の祝祭を平然と自国の祭り・イベントとしてやってのけるし、果てはキリストやモーゼやブッダの墓が在るとかないとかそんな事まで、街や地域の経済を興す為に作ったりするような国なのである。調べてみれば高円寺阿波おどりも同じ様な理由で始められたようだし、とにかく借り物のスタイルであれ何であれ、呼び物となりそうなものであればそれを催して金を落とさせる。全国何処でも大なり小なりやっている経済活動である。それは、全てとは言わないが元々この国の各地方に伝来する宗教的な祭りさえも含まれてしまう。浅草とサンバカーニバルを関連づける事柄があるとすれば、浅草が観光地で日常的に祭りを催しているようなもので観光客の扱いにも慣れているだろうし、昔から三社祭のような大祭を継続させるだけの素地がある土地なのだから、受け容れやすかったのだろうという事は考えられる。いずれにしても節操の無さを感じる事は否めないのであるが。

 さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。

 この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。

夢二 / 鈴木 清順

 そう言えば鈴木清順の映画は一作も観ていないなあというのと、この映画のコマーシャルは昔観た事あったなあというのと、竹久夢二を描いたものなら観てみたいなあというので観てみた。主要人物は実在の人をモデルに、というか名前そのままなのだけれど性格等は実際とはあまり関係なく設定されているし、物語としても実際とは全く関係ない創作である。しかしそれはどうでも良いし、そもそも其処に期待はしていない。僕が DVD のジャケットを観た時に感じた、虚無感に苛まれた人間の色気。恐らくそれがこの映画全編に映し込まれているであろう予感に期待したのである。
 しかし実際に観れば、予想とは少し違い、人間の色気というよりその場の状況の色気が映されていた。湖や河川や森林の色気、舞台は金沢だがその町屋の造りの色気、手染めの着物の柄の色気、それを纏う女の色気。僕が大好きな世界がそこに映し出されていた。その他、金屏風の前に一輪だけ花が咲いた小鉢を台座に乗せて置いている様とか、赤く怪しく染み広がる揚屋のネオンのような灯りだとか、心打ち震えるような映像で満たされている。
 幾ら革命的な美であっても伝統的な美を踏襲すべきである。それを知った上で打破し利用するべきである。この映画を観ながら、そんな事を考えていた。
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炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察

 休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。
  • 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
  • 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
  • その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
  • 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
  • どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
  • そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
  • ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。
 とまあ、こんな事を考えていたのだが、かなり個人的な経験に基づくものになってしまったので、僕以外の誰の役にも立たないだろうという気はする。世の中には炬燵と共に冬を過ごさない人はたくさん居るのだろうし、最早炬燵に愛着を感じる人の方が少ないかも知れない。炬燵を用いると掃除が大変だし、それを怠ると不衛生であるし、考えてみればちっとも合理的ではない。しかし、あの暖かさはいつまでも冬の記憶として忘れられないのである。

丹前

 今週に入ってから、陽が落ちてからの気温も下がってきた事だし、押し入れの中から丹前を引っ張り出してきた。少し早い気もしたが、丹前を羽織ったままごろごろしていると、柔らかな暖かさに包まれて幸せな気分になれるのだ。

 僕が所有している丹前は、実は友人の置き土産である。藍と青と灰色の縦縞で、あからさまに江戸前な代物だ。実家に住んでいる時はちゃんと僕専用の丹前(故郷では綿入れとも呼んだ)が用意されていたりしたものだが、いざ上京して独り暮らしを始めると、自分で丹前を買おうという気にはなかなかなれずに、そのまま月日は流れたのであった。それがある日、友人が地元に帰る(んだったか米国に行くんだったか記憶が曖昧だが)ので「お前にこれをやる」という事で譲り受けたのであった。今では毎年冬になると重宝している。

 さて、いつものように「丹前」の歴史でも知ろうかと Wikipedia で調べてみたら、意外や意外、吉原の遊女勝山の衣装が発祥で、彼女に気に入られたい旗本連中を元に広まったのであるという。不思議だ。丹前というと、そういう色っぽい事からは遙か遠く離れた実用一本槍の衣服であるとばかり思っていたのに。

縦縞の粋

 前回に続いて美意識の研究を読み解き、自分に判りやすいように再編する試み。今回は縦縞という模様が何故「粋」であるかについて。「粋」という観点からすれば「横縞」よりも「縦縞」の方が「粋」であるらしい。それは何故かというと
横縞よりも縦縞の方が平行線を平行線として容易に知覚させるから
 という事であるらしいのだが、それでは平行線として知覚しやすい事が何故「粋」なのかというと
 物の本によれば、着物の縦縞の平行線は男と女の暗示になります。男と女は、平行線である方が「いき」である。〜中略〜二つの線は限りなく近づくが決して接しない、その状態を「いき」とよびます。「決して接しない=平行線」を強調する縦縞が「いき」なのは、その所為です。
 という事であるらしい。付かず離れずの男女関係の緊張感に「美」を認めるという部分には、些かの異も唱える気はないのだが、僕が不思議に思うのは、何故この(限定された関係性における)美意識が、地域の文化としてまでに広まって行ったのかという事である。極度に発達した遊里の存在がそれであろうか。江戸の遊里の発達には参勤交代の制度が大いに拍車をかけているという事だが、そうすると、武士の間で持て囃される美意識が町人の間にまで下ったという事であろうか。

 僕の思考は、今現在この辺りで止まってしまう。情報が足りなさ過ぎて、まったく持って体系化出来ていない。そもそも、何かを体系化するという事に慣れていない私には、とんでも無い事柄に首を突っ込んでしまったような気もする。

 前回も同じ様な事書いたが、単純にパッと見で、縦縞は美しいと思う。僕は今現在着物を持ってはいないが、もし自分で着物を誂えるなら、やはり縦縞が良いと思う。しかも、物凄く細く接近した平行線の。それを単純に「美」だと思っていたのだが、それに意味が加えられると「美意識」というものになるのだろうか。「美」とは極個人的なものである。それが広がる為には「意識」が必要なのであろうか。では何故「美」を広める必要が在ったのか。それはもしかすると「生き抜く為の知恵」であるのかも知れない。

黒の粋

 遊里や遊女について情報を漁っていたところ、面白いページを見つけた。 i Gallery というサイトの中の美意識の研究という一頁。簡単に言えば「江戸文化の美意識」についての記述だが、ひとつひとつの文章が(私にとっては)色々なヒントを与えてくれ、大変勉強になる。このエントリでは、その中の一部分だけ取り上げようと思う。リンクを張っているのだから、紹介だけしておけば事足りるのだが、私の復習用メモという事で。
「いき」というのは美意識ですが、その美意識によれば、黒は「いき」ということになります。正確には、黒みを帯びた色が「いき」とされています。
 先日、関東文化圏の人々は黒を好んで着るし、関西文化圏の人々は派手な原色に近い色を好んで着る。という話を聞いたのだが、それはまさしく上記に引用した美意識が生み出したものであるのだろう。「粋」を美意識とする関東文化圏の人々が、何故「黒」という色を良しとするかについてはこう書かれている。
 黒味を帯びた色が「いき」なのは、非現実的理想主義とでもいえる色だからです。鮮やかな色が重なりあって沈静化し、冷ややかな落ち着き(無関心)が出てくるからです。華やかな過去を持つ色(色気)が、諦めによって一層の光沢を放ちます。渋味が、加わるのです。
 非常に観念的である。私個人としては、何かしらの観念や意味を発端としてモノを好むという事がないので、今一つ理解し兼ねる部分もあるのだが、文化として拡がり、継承するにはそういうものが必要なのかも知れない。「無関心」や「諦め」の意味については、他の箇所に説明がある。しかしそれは、今回は割愛する。

 僕はこれまで、映画やテレビの時代劇の中で、町人達が黒ずんだ服ばかりを着ているのは、御上から「町人は派手な色の服を着てはならぬ」というお達しでも出ているのかとずっと思っていたのだが、そういう訳ではなかったようである。

 数年前、電車の中で見かけた50代くらいの女性。しっかりと結い上げた白髪交じりの髪の毛に、黒い羽織、中には細かい市松模様の和服姿であった。見慣れない化粧をしているのもあってか、非常に艶やかで粋な印象を受けた。「黒の粋」と言われて僕が思い浮かべるのは、その女性の立ち姿である。それか、祭りで見かける法被。
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